逢い(思いがけず巡り会う)・綾

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逢い(思いがけず巡り会う)・綾

 何時の間にか…… 渋谷は様変わりしていた。 お目当てのCDショップが見つからないのだ。 ちょっと来ない間に、大手のチェーン店が相次いで閉店していたのだ。 「えー!? 結局私は何のために?」 母が突拍子のない声を上げる。 (私が言いたいよ……。何よ此処でそんな声出さなくても……) シュンとした自分が情けなくなる。 私は一体、何をしに此処に来たのだろう? 公園通り。 文化通り。 歩き疲れた私は、センター街で途方に暮れていた。  結局。 新宿の柏木公園近くの、ビジュアル系のCDショップに寄っていた。 其処位しか思い付かなかった。 でも母はもう一軒寄ると言い出した。 確かに以前と比べると少ない。 売れなくなっているのは確かだ。 携帯からのダウンロードが主流だから。 でもその携帯もじきに廃止となり、スマートフォンが主流になっている。 世の中の流れを感じた。 でも、私はその流れにも乗れてない。 『高校生に携帯なんかは要らない』 そう父に言われたから…… どんなに欲しくても持てないんだ。 アンケート調査の結果、学校内でただ一人だったらしい。 (そりゃ、そうだろう) その数字を見て思った。 私の通っているのは女子高なのだ。 小中学生とは違い、遠距離通学中何が起こるか解らない。 心配だから持たせるのだ。 でも、その表を見せても父は動いてくれなかった。 だから諦めた。諦めざるを得なかったんだ。 だから歌はCDを買うしかないのだ。  母はJロックのコーナーにいた。 私は遠巻きに母を見ながら、ガールズロックのDVDを見ていた。 でもやはり気になって、母の様子を見に来てしまう。 (何遣ってるんだろ?) 母はずっと一カ所から離れなかった。 「あ……、RDか?」 私がは母の手元を覗き込むと、母"あ"のボックスのCDを指で探していた。 母は音楽好きだ。 下手すりゃ一日中でも聴いている。 でも父は、自分から音楽番組を掛けておいてから母に向かって言う。 『いい加減に卒業しろ』 と――。 父は本当に意地悪だった。  「あ、あった」 母はそう言いながら、ベストアルバムと書かれたCDを手にした。 「今日の、朝の占いで自分へのご褒美を! ってあったの」 さっきまで泣いてた事が嘘のように母はニコニコしていた。  「あっ!」 母はCDに付いているシールを見て驚きの声を上げた。 「どうしたの?」 私は何事かと思って、母の元へ駆け付けた。 「ほら、ここ!」 母の指の下にはCD発売イベントの告知があった。 「今日は三時から熊谷だって」 母は飛び上がって喜んでいた。 「確か新宿から埼京線が」 「うんそれそれ。早く行こう」 母は人が変わったかのようにはしゃいでいた。  でも問題が発生した。 何故今日渋谷に行ったかと言えば、それは音楽ギフト券を使うためだったのだ。 その券はだいぶ前に使用出来なくなっていたのだ。 「えー!? そんなの知らないよ!!」 母は、相当がっかりしたらしく、塞ぎ込んでいた。 「本当にもう使えないのですか? 対処方法はないのですか?」 私は諦め切れず店員に詰め寄った。 店員は慌てて店の奥へ入って行った。  「終了した半年位は現金化する対策が取られていたそうですが、今はないそうです。あのー、それもう十年以上も前の話だそうですが……」 店員は困り果てた顔で言った。 渋谷が新宿に変わっても使えるはずだったギフト券。 母は今はもう使用不可になった物を大切にバッグに締まった。 一万円分の紙屑を、ポイッと捨てられなかったのだ。 母は仕方なく、財布から五千円札を出した。 「綾と美味しい物を食べたかったのに……」 母はそう言い訳をした。 「そう言えばお母さん。その音楽ギフト券って、ずっとしまってあった物だったわよね。どうしてもっと前に使わなかったの? 」 私は又母が落ち込むのを承知しながら愚痴を吐いていた。 ギフト券が使用不可だったことは、その時に解ったはずだって言いたかったのだ。  埼京線で大宮まで出て、高崎線に乗り換えて熊谷を目指した。 上野まで行って乗り換える方法もあったけど、何となく新宿から上野だと遠回りになるような気になって。  熊谷駅に電車が着く。 プシューとドアが開く。 その途端に、異常な熱気を感じた。 ムッと暑くなる。 でも先ず鳥肌が立つ。 その後ジワジワ熱を帯びて来る。 (生き返った!) そんな雰囲気だった。 これを言うと、みんな信じられないと言うような顔をする。 私は冷房の効いた場所から出た時の、あのムッとした大気が好きだったのだ。 でも…… 熊谷は違っていた。 暑いよりも熱かった。 メチャクチャ熱かったのだ。  JR熊谷駅の改札口を出ると、その前にバッグなどを並べてあるワゴンのお店があった。 その先にお目当てのCDショップがあるはずたった。 ふと、左側の通路の先に人集りが出来ていた。  「あのぅー。これから何かあるのですか?」 思わず私は尋ねていた。 もしかしたらRD? そんな気持ちがあったからだった。 (きっとRDが此処を通るのだ) 私は勝手にそんな想像をしていた。 RDがそんなに人気があるとは思えなかったけど。 「SLよ。蒸気機関車。パレオエキスプレスと言うのよ」 でも、予想外の答えが返ってきた。 「えっ、SL? すぐ来るのですか?」 「いや、二時に三峰口駅を出て、三時に上長瀞の鉄橋を渡って……それからだから」 どうやら熊谷駅に到着するSLの撮影のために来たようだ。 「あのう、此処にいる全員がSL待ちですか?」 「えっ、あ、ああ違うわよ。私だけよ」 その人は照れ草そうに笑った。  時計を見ると、二時をだいぶ回っていた。 (取り合えずSLよりRDだなー。 きっと待っている内にイベントが終わっちゃう) 私はその人に軽く会釈をして、通路の先の駅ビルにあるCDショップを目指した。  薬品や本や雑貨。 溢れかえる物の向こうにお目当ての同系列のCDショップはあるはずだった。 でも其処も時代の波に飲まれたのか、百円ショップに変わっていた。 でも…… 母はめげない。 渋谷に居た時とは打って変わったように、イベント会場を目指すことにしたようだった。  徒歩五分位の場所にある建物でやるらしい。 何故あの場所にCDショップがあったことを母が知っていたのかは判らない。 きっと前に其処で買ったのだろうと思っていた。 行き方は何通りかあるらしいけど、取りあえず階段に急いだ。 一番シンプルな方法で解り易かったからだ。  「あっ、あれ!」 母が興奮していた。 何かと思ったら、霧のシャワーだった。 「あっ! 熊谷って、あの熊谷? 確か熱いぞ……」 母は頷いた。 目の前の道路はガンガンに熱しられていた。 渋谷も確かに暑かった。 でも此処とは違った。 私は電車のドアが開いた時に感じた異様暑さの正体を見た思いがした。 あの熱いぞ熊谷のキャッチコピーがピッタリだと思った。  このクソ熱い中。 SLを待つ人。 あの人は十時十分発のSLの写真を撮ろうと彼処で待っていたそうだ。 だけど、SLのホームは上からでは見えなかったようだ。 だけど何とか撮影しようと、帰って来る電車を見ていた時にあの反対の窓から垣間見えたのだそうだ。 だから、あの場所で探っていたのだ。 《熱いぞ熊谷!!》 をスローガンにして、楽しんでしまう熊谷気質。 まさにそれだと思った。 あの人が何処の誰かは知らないけれど。  (よっしゃー!!) 一人で気合いを入れた。 何時までもメソメソしていられない。 そう、思った。 でも、何気に階段を見て驚いた。 上から降りて来た時は解らなかった物が浮かび上がっていた。 それはアートだった。 階段に大木と其処で涼む少女の絵が描いてあったのだ。 「凄ーい!!」 私は思わず叫んでいた。  そんな中を歩く。 イヤイヤ歩く。 でも母はルンルン気分だった。 (そんなにRDが好きなんかい?) イヤミの一つでも言いたかった。 でも、やっと笑顔の戻った母にそれは言えなかった。  幾つかの建物を越え、信号が見えた。 其処が元大型スーパーの跡建物。 この中の一角に、イベント会場はあった。  イベントはまだ始まっていなかった。 ホッと一息ついた。 安心したせいなのかお腹が鳴った。 私は傍に居た人に聞いて、建物の中にあるファーストフード店に母を誘った。 スーパーの横にあるハンバーガーショップ。 母はイベントスペースばかり気にしながら、一生懸命食べていた。  「本日はお集まり戴きまして、有難う御座います。今リハーサルをしています。本番は三時からです」 そう言いながら、ボーカルの大はマイクの調節をしていた。 メンバーは他に三人。みんなそれぞれの楽器の調整をしていた。 母は大をじっと見つめていた。 「そんなに見つめないで、恥ずかしいよ」 俯きながら大がこそっと言う。 私はそれが母に向けられた言葉だと直感した。 私はそっと母を見た。 母は気付いていない様子で、尚も見つめ続けていた。 私は急に恥ずかしくなって、母の後ろに隠れた。  今熊谷のイベント会場に居る。 私は納得出来なかったのだけど、何とか支払いを済ませて此処にやって来たのだった。 「それではベストアルバムの中の唯一の書き下ろし"歩いて行こう"です」 歌が流れる。母は目を閉じた。 出たばかりのアルバムなのに、一緒に歌っている人もいる。 何度も歌わなければ覚えられない私は、羨ましいと思っていた。 ボーカルの人の名前だけは母に聞いて知っていた。 私は、大の張りのあるボイスに引き付けられている母の気持ちが少しだけ分かったような気がしていた。 「えーと、作曲した人は? 誰?」 母は私の顔を見た。私は首を振った。 (私に分かる筈がないでしょう?) そう思いながらも、さっき唄を歌っていた人を見つけ勇気を出して質問した。 その結果、作曲したのは幻だとわかった。 「幻よ。ゲン。まぼろしと書くの」 そう教えてくれたからだった。 私は軽く会釈して、母のいる壁際に向かった。  青い囲いの中に私と母はいた。 渋谷にいた時にはあんなに沈んでいた人が、今は笑っている。 私はふと、あの老人の顔を思い出していた。 『私は初めて見た。あんな哀しそうな目をした人に』 老人の声が耳の奥で響いていた。 (良かった!) 私は強引に母を渋谷に連れ出したことを誇りに感じ初めていた。 私は隣でアンケート用紙を書いていた母に向かって聞いた。 「これで元気になれる?」 って――。 母は私の質問に黙って頷いた。 "歩いて行こう"が始まり、会場が一つになろうとしていた。 何故母がこのグループを好きになったのか? 答はきっと音楽依存症。 好きな曲を聴いて心を癒やすためなんだろう。 でも父は母からそれすら取り上げようとする。 本当に底意地の悪い人だった。  デビュー曲から、最新シングルまでのビデオグリップ。 それにまつわる思い出などを、メンバー同士で語り合うトークイベントが始まった。 母は全ての曲を知っているようだった。 (何なんだろう、この人は?) 私は首を傾げた。渋谷にいた時とはまるで別人のようだった。 (ま、いっか。これで元気になってくれるでしょう) 私は何故かホッとして、肩の荷を下ろしたような気分になっていた。  アンケート&質問コーナーが始まった。 司会者のお姉さんは、母の斜め前にいた。母はチラチラお姉さんの手元を見ていた。 「次私みたい」 母は私に耳打ちした。 「これが最後の質問になります。佐々木恵さん、どちらに居られますか?」 お姉さんはキョロキョロいて探している。母は聞かれる前から手を挙げていた。 でもお姉さんは全然気付かない。 「さっきからアンタの傍で手を挙げてるよ」 たまりかねて大が言う。 お姉さんはハッとして、母に目をやった。 「失礼しました。灯台元暗しでした。えーと。『幻さんの曲って最高! メロディーはどのように作られるのですか?』」 「OH! ありがとう!」 幻はまずガッツポーズで母に応えた。 「メロディーですか? 基本的にはリラックスした時に浮かびますね。今はいいモバイルがありますので以前より楽してます」 真面目に答える幻。 目の前にいるロックグループは、チャラチャラした人達ではないようだった。 見た目はそう見えていたけどね。  改めて母を見た。 母の瞳は、ライトを浴びて輝いていた。 「お母さん良かったね」 そう言いながらそっと手を掴んだ。 スクランブル交差点で、母の手を握った時のことが脳裏に浮かんだ。 だから私はもう一度言っていた。 「もっと楽しもうよお母さん」 って――。  握手会が始まった。 母の番になる。 幻は満面な笑顔を母に向けて、心を込めて握手してくれた。 母はまんざらでもなさそうにニコニコしていた。  「次回のイベントは渋谷です」 お姉さんはそう言いながら母にチラシを渡した。 母の目が又輝き出した。 「もしかしたら行きたいと思ってる?」 私の質問に母は頷いた。  イベント後、二階に移動した。 暑い街中を避けるために、CDショップに書いてあった別ルートを試すことにしたのだ。 『幻よ、ゲン。まぼろしと書くの』 と教えてくれた人が案内してくれることになった。 一番端にあるドアを開けると、又熱気が肌を覆う。 アーケード型掛け橋を渡ると、隣のビルにドアにたどり着いた。 其処は、可愛い洋服を売る店が沢山並んでいた。 その人の後に付いてその中の通路を進んで行くと、左のドアに行き着いた。 階段を上ると、JR高崎線のホームがあった。 私はその人にお礼を言って秩父線に急いだ。 SLが見たかったのだ。 今ならまだ間に合うと思ったから。 通路の人はまばらになっていた。 でも、あの人はまだ其処にいた。  駅方面には古い電車が停まっていた。 私はそれを見ながら、カメラを持った女性側に移動した。 私達も行動を共にすることにしたのだ。  秩父方面から煙を吐きながらSLが迫って来る。 でもそれは音だけだった。 でもやっと駅ビルの下から煙が出て、SLが入って来た。 「このアングルがいいのよねー。だって狙わないと絶対に撮れない一枚だから」 ふうーんと思いながら、又反対側に移動した。 でも、煙だけでSLは見られなかった。 「やっぱり此処からは見られないのですね」 私こ質問にその人は頷いた。 SLは反対側の線路に…… 通路では見えない位置だったのだ。  それでも、垣間見たその迫力に圧倒されて私は興奮していた。 もくもくと上がる蒸気を吐きながら、SLが通路の下を通過した。 その光景を思い出す。 「初めて見たよー!! お母さん!」 私は母の手を握り締めていた。 パレオエキスプレスは、熊谷が出発駅であり到着駅なのだ。 「ちょっとしか見えなかったけど迫力あったね!!」 私は又、母の手を握り締めていた。 「何時か二人っきりで乗りたいね」 私は言う。 「秋の秩父路なんかきっと最高ね」 私の言葉に対して、返事が返ってきた。 どうせ父は行かない。 行くはずはないと思っていた。  『次回のイベントは渋谷です』 お姉さんにそう言われながら貰ったチラシ。 見る度母の目が輝く。 二日後の渋谷のイベントに、母は父に内緒で出掛けることにした。 あの母の喜びようを見ていたら、どうしても行かせたい気持ちになってしまったのだった。 アリバイ作りを手伝うことになった。 私の用事で渋谷まで付いて来てもらいたいと父には話した。 父は渋々承知した。 父は母が音楽を聴くのが嫌いなようで、歌番組など見ていると。 「いい加減で卒業しろ!」 と常に言っていた。 そのくせ、自分はチャンネルを合わせて聴いている。 母が聴き出すとチャンネルを変えて 「いい加減で卒業しろ!」 と繰り返す。 父は本当に意地悪だった。 母が傷付き易い言葉をワザと使っている。 だから音楽イベントだなんて言えなかったのだ。 母の目の暗さは、父と結婚したことで始まったのではないだろうか? 私は、父のような無神経な人とは結婚したくないと改めて思った。  父の帰宅は大抵十時を回った頃だった。 仕事のために遅くなる訳ではない。 パチンコに狂っていて、毎日帰りに寄ってくるからだった。 私達の誕生日もお構いなしで遊んでくる。 その上…… 母が肺炎を起こし医師から入院を勧められた時。 『誰がご飯の支度をするんだ。いいから直ぐ帰って来い!』 と電話した時言われたらしい。 仕方なく交代した医師の説得も聞かず、母の入院を阻止したのだった。 自分勝手な父。 自由気ままに生きて、我が儘を貫く。 母のことなどお構いなしで、家には殆ど居なかった。  「九時には帰れるからね」 母は朝、父にそう言った。 私は別行動を取って、ファッションアイテムを探しに同じ渋谷の若向けのお店に行っていた。 RDのイベントは六時より始まり七時には終わる予定だった。 場所はカラオケボックス内にあるイベント広場。 私達は七時半にハチ公前で待ち合わせしていた。 渋谷には大人向けのお店が多い。 だから私には早すぎるのだ。 私の名前は佐々木綾。 高校一年生。 十五歳。 やはりあのシンボルタワー的ファッションブランドは早かったのだ。  私はふと、母の来るかも知れないスクランブル交差点を見た。 そこには大きなパネルを持って歩いていた母がいた。 「綾ちゃーん、これ見て!」 母は声を弾ませていた。 「このパネルが当たった時、幻ちゃんったら『熊谷にいた人だ』って言ってくれたの。私の事覚えていてくれたの」 母は興奮した声で経過を話していた。 「今日此処に来られて良かったよ。綾に感謝ー!!」 母の興奮した声は、渋谷駅前で待ち合わせしていた私の隣の人も注目させていた。 「アンタのお袋さんかい? 若いね……」 それでもその人は笑いを堪えているようだった。 オーデコロンの香りが大人って感じ。 でも、清々しい。 (何時かこんな素敵なカレが欲しいな) 私は母を待ちながら、その香りを堪能していた。  私にとっては大問題は目の前のパネルだった。 (父が見つけたら怒るだろうな) 私はがっくりと肩を落とした。  「いやー、良い物が当たりましたね」 やっと到着した母に向かって、何気にその人が言う。 母は満遍な笑みを浮かべ、その人に向けて会釈した。 「お、コッチの相方もご登場だ」 渋谷駅を時々見ていたその人。 女性と待ち合わせだとばかり思っていた私。 「叔父さーん此処だよ」 その一言にホッとした。 (えっ!?) 私は思いがけない感情に驚いていた。 (やだー。私本気みたい。二度と逢えない人なのに……) 私は母と渋谷駅に向かいながらもその人の後ろ姿を追っていた。 (ん? あの叔父さんって、何処かで会った気がするな) 私は何故かそう思った。  帰りの電車の中で大事そうにパネルを抱える母。 私は少し恥ずかしくなり対面の座席に腰を降ろした。 「誰のパネル?」 母の横にいる少女が聞いている。 「あ、これ? RD」 母が答えた。 「あー、RD? おばさん青春してるね!」 あっけらかんと言う少女。母は一瞬戸惑っていた。 「そう、青春してるの」 母もあっけらかんと言う。 「RDの何処が好き?」 「うーん、メロディーかな? 幻ちゃんの曲って何か残るのよね」 「幻ちゃんだって。やっぱりおばさん青春してるわ 」 少女は笑い出した。 母も一緒に笑っていた。  駅からタクシーに乗って帰る事にした。大パネルを持ってバスには乗りたくはなかった。 噂でもされて父の耳にでも入ったらことだった。 苦労して出掛けたことが、新たな母への攻撃に変わるかも知れなかった。 玄関に電気が点いていた。 もしかしたら父? そう思い、パネルを裏庭に隠した。 その予感が当たった。 父は私達が帰宅した時には既に家にいた。 「お前らが九時に帰って来るって言うから、早めに帰って来てやったのに」 意地悪な父の攻撃が始まろうとしていた。  父は何時だってそうだ。 誕生日でも、特別な記念日でも家には居ない。 必ず閉店までパチンコをしてくる。 でも私達が出掛けると解ると、早めに帰って来てネチネチ文句をつける。 最低最悪の人だった。 だからこの前の渋谷行きは、内緒の母娘デートだったのだ。 でも六時から始まるイベントだったので、許可をとったのだった。 何時かは母が肺炎を起こした時入院もさせなかったのに、自分はキチッと遊んできた。 家に帰って来てから熱のある母を叩き起こし、食事の支度をさせていた。 外で食べて来たってバチは当たらないのに、冷めた物を温めさせ意識朦朧とする母をこき使っていた。 私は、父を絶対に許さないと思った。 私の傍で眠っていた母の顔面向けて、角張った目覚まし時計を投げつけて起こしていたのを見てしまったからだった。 非情な男だった。 本当にイヤな男だった。 お陰で母は唇の脇を斬って出血した。 それを見ながら、平然としていた父が許せなかった。 許したくもなかったのだ。
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