僕はまだ燃えるような朝焼けを知らない

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★ 六月は朝の訪れが早い。けれど彼女にとって一日の始まりは、朝よりもはるかに早かった。 午前四時。東の地平線からは淡い白が沸き立って、群青の空を薄めてゆくさなかだった。 僕はその時間に指定の場所を訪れた。あかりの家の近くの、広大な麦畑だ。あたりに人の姿はない。 琥珀色の頭を天に向けた麦の穂が、海原のように地平線の先まで続いている。麦の穂は早朝の風に揺られてからからと囁いていた。 あかりはすでに来ていて、準備運動をしながら僕を待っていた。見慣れたジャージ姿をしている。 「おはよう、啓輔くん。ちゃんと起きられたんだね」 「おはよう。あたりまえだよ、あかりだって不戦勝なんて嬉しくないでしょ」 「へへぇ、ちゃんと分かってるじゃん」 あかりはさっそくルールを説明する。 「この麦畑、あぜ道で区切られた正方形をしていて、一区画が300メートル、一周が1200メートルあるんだ」 「へえ、よく知ってるね」 「そりゃそうだよ。だって毎日朝、走っていたもん。最低でも五周ね」 毎日だって? こともなげにいうあかりに僕は驚いた。 「部活だけじゃなくて朝練もやっていたのかよ」 「あのさぁ、あたしが涼しい顔して全国大会に出場してたと思っていたの。そんな天才、いたらお目にかかりたいわ」 あかりは人知れず努力を積み重ねてきたということなのか。情熱の裏打ちがある彼女の視線は、僕の深層をたやすく穿(うが)いて圧倒する。 それなのに、今はなぜ陸上から離れているのか。疑問だけが沸き起こる。 「それでね、あたしは一周とひと区画、つまり1500メートルを走る。啓輔くんは一つ先の角からちょうど一周。だから1200メートルね。その勝負でどう?」 「僕は構わないけど、だいぶハンデがあるな。ほんとうにそれでいいの?」 「あたしを舐めないでよ。タイム的にはたぶん、トントンのはずよ」 どうやらあかりは僕の足の速さを把握しているらしい。やはり、僕と勝負することは彼女の筋書き通りだったのだ。 けれど、ハンディキャップをもらった以上、男のプライドに賭けて負けるわけにはいかない。 そしてこの不平等な勝負は幕を開けた。
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