24人が本棚に入れています
本棚に追加
★
僕は絵を描いていた。目に映る平凡な日常の風景をアレンジするのが得意だった。
色と色の境界になだらかなグラデーションをつけ、その上にグレース技法で透明感を醸し出していく。最後に鮮やかな星營をスパッタリング技法で夜空に散りばめる。
何気ない校外の風景は、幻想的な夜の世界に描き変えられる。そんなふうに、多彩な技法を用いた油彩画が僕の十八番だった。
美術部に入部していたこともあって、たいていは部活の時間に風景を描いていた。
いくつかの作品では、陸上部員の走る姿のシルエットが、小さなアクセントとしてひっそりと風景に溶け込んでいる。
高校一年のとき、油彩画のコンテストが開催されたので僕は作品をひとつ応募した。全国規模の有名な公募だったけれど、僕はそのコンテストで受賞するにいたった。佳作だったが、受賞者は大人ばかりだったので、最年少の受賞者として注目を浴びることになった。
表彰式の日、僕はメディアの取材を受けながら、油彩画の技法について意気揚々と語っていた。すると、会場がざわりと色めき立つ。
「大河原先生がいらしたぞ!」
「早くこちらへお連れして!」
大河原 忠雄先生。誰もが知る油彩画の重鎮だ。会話の流れから察すると、このコンクールに興味を持って自ら視察にこられたようだ。僕は評価して頂ける千載一遇のチャンスと思い期待を募らせる。
現れたその人は、市松風の浴衣に七宝柄の帯を巻き、京扇子を携えていた。芸術家独特の、つかめない深さの空気をまとっている。
順番に絵を眺めつつ、品評を織り込んだ感想を発する。受賞者にとっては御言葉に違いなく、皆、恭しく頭を垂れ耳を傾ける。
そして僕の順番が訪れた。
「ふむ、これは……君の作品かね」
「はいっ!」
明瞭な返事に反して、大河原先生は渋い表情をしてみせた。僕は最初、技術の評価をもったいつけているだけだろうと察していた。
けれど、その口から出た言葉はあまりにも辛辣なものだった。
「魂が抜け落ちた、傀儡のような絵だ」
その一言に、かっと怒りが沸き起こる。
この先生は何をもって「魂がない」だとか、「傀儡」だとか言っているのだろうか。
人間を中心に描かなければ価値がないとでも言いたいのだろうか。
けれど、そんなのは評価者の主観にしか過ぎない。僕は憤りをあらわにした。
「風景画のどこが悪いんですか。正しく評価してください!」
すると大河原先生は蔑むような眼差しで僕を見下ろす。
「絵画には風があり、温度があり、そして魂があるべきだ。君はそのいずれも、筆に乗せることができていない」
大河原先生はそう言い切って会場を後にした。僕に反論の余地はなかった。
そして、大河原先生の低評価に傷つけられた僕の絵は価値を失い、誰も興味を示さなくなってしまった。取材陣も他の受賞者もその評価を鵜呑みにしたのだ。
結局、比べられないものを比較する芸術の世界の不条理さに嫌気がさし、僕は絵を描くことをやめたのだ。美術部では幽霊部員となり果てていた。
最初のコメントを投稿しよう!