僕はまだ燃えるような朝焼けを知らない

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★ 僕は絵を描いていた。目に映る平凡な日常の風景をアレンジするのが得意だった。 色と色の境界になだらかなグラデーションをつけ、その上にグレース技法で透明感を醸し出していく。最後に鮮やかな星營(せいえい)をスパッタリング技法で夜空に散りばめる。 何気ない校外の風景は、幻想的な夜の世界に描き変えられる。そんなふうに、多彩な技法を用いた油彩画が僕の十八番(おはこ)だった。 美術部に入部していたこともあって、たいていは部活の時間に風景を描いていた。 いくつかの作品では、陸上部員の走る姿のシルエットが、小さなアクセントとしてひっそりと風景に溶け込んでいる。 高校一年のとき、油彩画のコンテストが開催されたので僕は作品をひとつ応募した。全国規模の有名な公募だったけれど、僕はそのコンテストで受賞するにいたった。佳作だったが、受賞者は大人ばかりだったので、最年少の受賞者として注目を浴びることになった。 表彰式の日、僕はメディアの取材を受けながら、油彩画の技法について意気揚々と語っていた。すると、会場がざわりと色めき立つ。 「大河原先生がいらしたぞ!」 「早くこちらへお連れして!」 大河原 忠雄先生。誰もが知る油彩画の重鎮だ。会話の流れから察すると、このコンクールに興味を持って自ら視察にこられたようだ。僕は評価して頂ける千載一遇のチャンスと思い期待を募らせる。 現れたその人は、市松風の浴衣に七宝柄の帯を巻き、京扇子を携えていた。芸術家独特の、つかめない深さの空気をまとっている。 順番に絵を眺めつつ、品評を織り込んだ感想を発する。受賞者にとっては御言葉に違いなく、皆、恭しく頭を垂れ耳を傾ける。 そして僕の順番が訪れた。 「ふむ、これは……君の作品かね」 「はいっ!」 明瞭な返事に反して、大河原先生は渋い表情をしてみせた。僕は最初、技術の評価をもったいつけているだけだろうと察していた。 けれど、その口から出た言葉はあまりにも辛辣なものだった。 「魂が抜け落ちた、傀儡(くぐつ)のような絵だ」 その一言に、かっと怒りが沸き起こる。 この先生は何をもって「魂がない」だとか、「傀儡」だとか言っているのだろうか。 人間を中心に描かなければ価値がないとでも言いたいのだろうか。 けれど、そんなのは評価者の主観にしか過ぎない。僕は憤りをあらわにした。 「風景画のどこが悪いんですか。正しく評価してください!」 すると大河原先生は蔑むような眼差しで僕を見下ろす。 「絵画には風があり、温度があり、そして魂があるべきだ。君はそのいずれも、筆に乗せることができていない」 大河原先生はそう言い切って会場を後にした。僕に反論の余地はなかった。 そして、大河原先生の低評価に傷つけられた僕の絵は価値を失い、誰も興味を示さなくなってしまった。取材陣も他の受賞者もその評価を鵜呑みにしたのだ。 結局、比べられないものを比較する芸術の世界の不条理さに嫌気がさし、僕は絵を描くことをやめたのだ。美術部では幽霊部員となり果てていた。
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