『パディントン』と『散歩する侵略者』

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『パディントン』と『散歩する侵略者』

2021/01/19  私は俳優ベン・ウィショー氏の声がとても好きです。いい声だなあ! と気付いたのは『クラウド アトラス』という映画を観た時で、その時にベン・ウィショーという名前を認知し、さかのぼって「あ、007の新しいQの人だったのね」と認識しました。  映画『パディントン』ではなんと、そのウィショー氏が声優として出演しているのです! 声が気になっている私にはもってこいなのですが、なんとなく観るのが後回しになっていて最近やっと観ました。面白かったです。  ウィショー氏は主役である熊の少年パディントンに声をあてています。そう、熊です。この映画は熊のパディントンがロンドンで人間の家族と暮らしながら色々とトラブルを巻き起こすという話です。   で、まあ、ウィショー氏の声も堪能できましたし、とても愉快な映画だったのですが、ひとつ「おっ」と思ったところがありました。このお話、熊のパディントンが普通に人の言葉を喋りまくるのですね。そして周囲の人間は、「あら熊がいる」的な反応はするものの「熊が喋ってる!?」とはならないのです。そこはノーリアクションなのか、という突っ込みは当然頭をよぎるのですが、それよりもなんというか、ああ、そういえばこの系統ってあるよね、と思い至りました。 「非人間が人間の言葉を話し、周囲の人間がそれを不思議に思わない系の世界観」です。同じく熊がしゃべる『カントリーベアーズ』や、熊どころじゃない『アンパンマン』もですし、『きかんしゃトーマス』なんかもそうですよね。あの辺りの「どこからが驚くべきラインなのかよく分からない世界」って面白いなあと思います。  で、それって、「熊が話せる世界」というよりも「熊が話していることを異常に思う感覚がなくなっている世界」という感じが私にはして、なにかこう、「世界からひとつ概念を引き抜いた感」を感じるのです。  少し跳びますが、黒沢清監督の『散歩する侵略者』という映画には、概念を奪う宇宙人というものが登場します。彼らに概念を奪われた人間は、「家族」の概念であったり「所有」の概念であったりを失って奇妙な行動を取り始めます。しかし周囲の人間から見ると、いったい何の概念が抜け落ちているのかが分からず、とにかく不気味に見えるのです。  で、その感覚を個人ではなく世界レベルでやられているような、どこか落ち着かない感じを「熊が話しても驚かない世界」に感じるのです。伝わるか分かりませんが、私にとってはけっこう興味深い発見でした。  もっと突き詰めれば何か面白い話に繋がりそうな気がしなくもないですが、気軽に書くのがこのエッセイの趣旨なのでこの話はここで終わりたいと思います。  以上です。  関係ないけどマッツ・ミケルセン氏の声も好きです。
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