『架空OL日記』と役割語

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『架空OL日記』と役割語

2021/2/1  私、これと『住住』を観るまでバカリズム氏のことをよく知らなかったのですが、彼が原作・脚本・主演をつとめるドラマ『架空OL日記』を観て、一気にファンになってしまいました。 『架空OL日記』は、とある銀行で働く女性たちの他愛無い日常を描いたゆる~い感じのコメディで、ストーリー性はほとんどないのですが、ひとつ大きな特徴があって、中心となる「OL」たちのひとりに、女装したバカリズム氏が混じっているのです。女性として。  で、何が衝撃ってこのドラマ、「女装したバカリズム氏が混じっている」こと自体では直接笑わせようとしないんです。メイクや身支度をしている場面では多少その気も感じますが、それ以外は本当に、ただ何食わぬ顔で女性たちに混じって、その一員として普通に振る舞っているんです。「本当は男」ということを利用して滑稽な絵面を作ったりとか、メタ的なことを言ったりとか、そういうのが全然ないんです。  あくまで「日常ものとして普通に面白い」クオリティを作り上げつつ、圧倒的な異物としてバカリズム氏を放り込み、かつ、無視してるんです。その異物性を。だから日常ものとしてのクオリティやリアリティが上がれば上がるほど、バカリズム氏の異物性が無視されていることの意味不明さが増していく……と、私は思うのですが、でも人によってはおそらく、「普通に日常ものとして楽しい」だけにもなり得るのです。  とてもイカれてると思うし、私はこの構造自体がとても好きなのですが、これを可能にしている要素のひとつとして、台詞回しがあると思います。バカリズム氏が違和感なく女性たちに混じるうえで欠かせないのが、「女性に扮している」事実を視聴者に意識させないことだと思うので、ここでよくある感じの「女性口調」にしていたら、そこが目立っていたと思うのです。  でも実際は、「〜のよ」といった役割語を排した自然な言い回しが貫かれていて、「男性であるバカリズム氏が発しそうな口調」と大きな差をつけずとも女性に扮せているのです。  で、まあ、実際そうだよねって話なわけです。自然な言い回しを考えたとき、男女の口調の差って案外ないよね、と。それは前々から思っていたことなんですが、しかしこのドラマの特殊な構造によって、その事実が浮き彫りになっているというか、この迂回を経たからこその実感があるというか、証明された部分があるというか。  もちろん、フィクションにおける台詞回しはリアリティが全てじゃないのでしょうし、役割語は必ずしも悪ではないし、むしろ面白い役割を持っているとも思いますが、なんにしたって、すごく興味深いことをやっていると思います。  原作からの経緯を反映してこうなっているところが大きいのかとは思いますが(原作はバカリズム氏が女性のふりをして綴っていた架空の人物のブログです)、ドラマ化に際してこういう形でやりきったのはカッコいいなあ、と思うのです。  他にも語りたいことはありますが、まとまりが良さげなのでここまでにしたいと思います。伝わりましたでしょうか。  ちなみに、ご存知かもしれませんが私は小説を書いているので、役割語については思うところが多々あります。私は基本、なるべく役割語を排しつつ、あえて入れる時は意図的に思いっきり入れて遊んだりする方針です。今のところは。リアリティラインについて考えるのが好きなので、そこと密接に関わる役割語という現象には興味津々なのです。  
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