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雪が降り始めたのは、夕方近く。
寒さで手の指先までかじかむような、そんな日だった。
正月にあと少しで手が届くという年末に、雪が降るのは珍しい。ちらちらと降っていた細雪が、夜を迎える頃には牡丹雪となり、どこまでも白く白く、降り積もっていく。
普段なら辺り一面、真っ暗となってしまう夜のこの時間でも、ほわりと明るいのは雪明りのせいか、それとも目が暗闇に慣れてきたせいか。
私は二階にある子供部屋の電気を消し、真っ暗闇な部屋から窓の外を眺めていた。
「冷た」
直接触れずとも窓ガラスから伝わってくる、冬の冷気。ただ、もこもこの子供サイズの半纏を着ているから、吐く息は白いが身体はそう寒くない。
しんとした、静寂。
この窓からは、私が住む長屋の共用部分である裏庭がよく見える。そこは長屋の住人が生ゴミ用のゴミ箱やスコップや農機具などを置いていて、ほとんど物置のよう使い捨てられている、うらぶれた裏庭だ。
暗闇のなか、唯一の外灯が光っている。
そのたもとには、一台の子供用自転車。
はあぁ。
自然とため息が出た。吐く息で、窓が薄っすらと曇る。
雪に埋もれたその自転車を見て、私はどうしても目を細めてしまう。すると、この真っ暗で重くのし掛かってくるような夜空と同じくらいに、気持ちがどんよりと曇っていった。
その子供用自転車は、外灯に照らされてスポットライトを浴び、まるで主役のように佇んでいるが、実際は母が、隣町の親戚から貰い受けてきた中古品だ。
外灯が創り出す別世界。光の直線的な輪郭、煌々と照らされる自転車。
そこは暗闇に浮かぶ、唯一の真白な世界。
幻想的な光景だった。
光のなかで雪がひらひらりと舞い散り、そして反射しては光り、まるでダイヤモンドの欠片のようにキラキラと輝いている。
が、本物のダイヤモンドが実際そうなのかといえば、見たことはないからわからない。
わからない。
なぜ、親というものは、こうも子供の気持ちを察することができないのだろうか。
わからない。
なぜ、大人というものは大人になってしまうと、子供だった頃の気持ちを軽々しく忘れてしまうのか。
わからない。
わからないを繰り返す私という人間は、どこかひねた可愛げのない子供だったのかもしれない。
そうだ。
この幻想的な光景に、きっと意味などはない。理由や意味を突き詰めてしまえば、いつかこの世の理に辿り着いてしまって、その正しさに幻滅してしまうかもしれない。その真っ当さに結局は、圧倒されて終わり、のような気もしている。
私は四つん這いで布団の中へと這い戻り、目をつぶった。
まぶたの裏側には、雪化粧がほどこされた、自転車。
私にとってこの自転車は、父と母そのものだった。
真白の世界に落ちる錆
貧乏だった。
とにかくお金がなかった。
私の両親は、この長屋の近くに店を構え、そこでうどん屋を営んでいた。私が小学生の頃は、多種多様な飲食店が乱立する時代の流れによって、うどんだけでは生きていけない、そう両親が危機感を募らせていた高度成長期だ。
当時あちこちで流行っていたフランチャイズ展開の波に乗って、コンビニを始めるべきかどうかを検討していた頃のことだったと思う。
「自転車が欲しい」
中流階級と呼ばれる家庭の子供らが、皆こぞって、ピアノやらゲーム機やらを手に入れ始めていく。
そんな中、私は皆が楽しそうに乗り回している自転車が欲しいと思った。
クラスの友達が、ペガサスのような自転車を駆って、風を切りながら、颯爽と公園へと漕いでいく後ろ姿。
私はいつも、その友達の自転車をただひたすら自らの足で走って追いかけていた。けれど、いつしかそれがとても苦痛になってきて、気持ち的にも限界が来たのだろう。
思い切って父親に、「自転車が欲しい」と、そう告げた。
私が小学4年生の、初冬のことだった。
いくら良い子にしていても、貧乏な家にはサンタは来ない。お小遣いなどは当然なかったし、正月が来てもお年玉はポチ袋に入れたまま、親戚の子供へと横流しが決定している。よってお金を貯めて買うという発想も生まれない。
家の懐事情が薄っすらとわかってきたのもこの頃で、これは親に直接交渉しなければ、永遠に自転車に乗ることはできないだろうと、そう単純に考えたのだと思う。
浅はかだとは思ったが、もし奇跡的に買ってもらえたら、冬休みに友達と公園に行って乗り回せるかも、などと淡い期待を抱きながら頼んでみたのだ。
「……自転車かあ。けっこうするからなあ」
父親の乗り気ではない言葉を聞く前から、自転車の値段が高いという事実はわりとわかっていたが、それでも私は食い下がった。
「だって、みんな乗ってるよ。公園に行く時、私だけ走っていくの、すごく嫌なんだもん」
「新池の公園なんて、歩いてでもたかが知れてるじゃない」
母が、店を閉めたあとの晩御飯の皿を洗いながら、横からそう言ってきた。その声色から、徒歩15分のわがままを言っているのは自分の側なのだということを強調され、とても気まずい心持ちがした。
けれど。
喉から手が出るほどに欲しかった。
風を切って、どこまでも走っていく爽快感を感じたかった。友達と並んで笑いながら、もちろん公園だけじゃなく、遠出に駆り出して、どこまでも走っていきたかった。
欲しかった。誰のものでもない、自分だけの自転車が欲しかった。
繰り返し頼み込んだ熱意が伝わったのか、「ちょっと考えさせて」と、母が言った。
そんな母の様子に、ちょっとした手応えのようなものを感じたのだと思う。それだけで自転車を買ってもらう確約を得たような気持ちになって、有頂天になっていたのだと思う。
その高揚感が反作用のベクトルに繋がった。
ある日、自転車がうちに来た。
けれど、私はその自転車を見て、心底ガッカリした。それは、古ぼけて錆がいったガタガタの自転車だった。言葉を忘れるほどの衝撃を受けた。
まさか、母が人から譲り受けてくるなどと、想像もつかなかったからだ。
「え? なにこれ……」
使い込まれて傷キズだらけで、サドルは所々が破れて中の黄土色のウレタンが顔を出しているし、ペダルは乱暴に漕いでいた名残りなのか、斜めに傾いている。
ハンドルのわん曲部分は、本来なら磨き上げられた銀食器のような色であるはずなのに、それが見る影もなく赤茶色の錆に覆い尽くされ、余りにも別物だ。
歪んだ前かご。ジャリジャリと濁った音しか出ないベル。
すべてが気に食わなかった。
けれどひとつ挙げろと言われるなら、この赤茶けた錆はどうだ。後々の記憶にも強く残るほどの、ひどい有様だ。
むくれ顔でそっと、ハンドルに蔓延っている錆に触れる。ざらりとした感触がして、指のはらに赤茶色の粉がベビーパウダーのように纏わりついた。
指先に付着したこの錆が、まるでそこから自らの血管に入り込み、そして腕、胸、足、頭、そうして全身に広がり侵食されていくような感覚に陥ったぐらいに。
そして心までも。
中古の自転車を見たその刹那、一瞬でみるみる劣化してしまったのではないか、と思うくらいに。
錆びついていった。
私の心も身体も。その世界のすべてが。
空き地に捨てられ、ぽつんと雨晒しにされた、なんの価値もない空き缶のように。
「こんな自転車、絶対に嫌! なんで私だけ、こんな汚い自転車に乗らなくちゃいけないの?」
赤茶色に染まった心の底から一生懸命に叫ぶ。泣きながら喚きながら、私はその場で大の字になって、暴れまくった。
「こんなの恥ずかしくて乗れないよっ! 嫌だ、いや、いや、絶対に嫌あぁっ! わああぁぁ」
両親は最初こそ、新品を買ってやれなくてごめんと謝ったり、我慢して乗りなさいなどと宥めすかしたりしていたけれど、私のあまりの暴れようにとうとう父がキレた。怒った父に抱えられ、沸きたての風呂場の浴槽に、洋服のまま放り込まれた。
そして、母が親戚から譲ってもらったという自転車は、結局は裏庭の外灯のたもとに放置されたのだ。
トラウマだ。
その自転車のことを考えるだけで、悔しさで涙が自然と滲んでくる。
貧乏をこれほど憎んだことはなかった。
例えば、私は可愛らしいスカートを履いたことがない。洋服はすべて、三つ上の従兄弟から貰っている。
例えば、靴下に幾度となく穴があいても、当て布をして縫いつけ、さらにまた穴があくまで履き続けていた。筆箱の蓋が取れようとも、定規が真っ二つに折れようとも、新品は買ってもらえない。輪ゴムで留めて使っている筆箱を、何度床に叩きつけて木っ端微塵にしたいと思っただろう?
だから、それより何倍も何十倍も高い自転車が、新品なわけがないのだ。
わかっていた。よく考えれば、理解できたのだ。
それなのに、古ぼけた自転車だけは許せなかった。
「私、あんな自転車、絶対に乗らないからあぁ」
風呂場で、号泣しながら叫んだ言葉が、こだまする。
私は風呂から出たあと、子供部屋に駆け込んで、すぐに布団の中へと潜り込んでから、さらに泣いた。こぼれる涙が、敷布団に染みを作っていく。
階下から父の声で、放っておけ、勝手にしろという怒鳴り声が聴こえてくる。
そしてとうとう、正月を迎えようというこの時期まで、自転車は放置されることとなってしまった。
✳︎✳︎✳︎
降り続いていた雪は、次の日の朝、ぱたりとやんでいた。夜中まで起きて、裏庭を見ていたのには、早寝の私にしては珍しいことだった。
雪が予想よりも降ったため、両親はうどん屋の前の道路の雪かきをしに、いつもより早く出かけていったようだ。玄関のドアがガラガラと鳴った音で、私はその朝目を覚ました。
冬休みの宿題を終わらせていた私は、まだ布団にくるまっている。窓のカーテンの隙間から、太陽の光が強く射し込んでいるのを見て、雪遊びができるのも、午前中だけかもなとぼんやり思った。
太陽は偉大だ。美しい雪化粧をあっという間に無遠慮に剥がしていってしまう。昼近くになれば、雪もほどほど溶けてしまうだろう。
皆が遊び出せば、声が聞こえてくるはずだ。それから雪遊びに混ざればいいだろうと、私はひとり朝食を摂ったあと、子供部屋でのんびりと、ダンボール箱で自作したコタツ机で、絵を描いていた。
少しして、裏庭から声がしてきた。雪で遊ぶ子供達のはち切れんばかりの笑い声がこだましてきて、私の部屋にも届き始めた。どうやら、裏庭で雪合戦が始まったらしい。
(私も遊びに行こう)
仲間に入れてもらおうと思い、色鉛筆を片付けようとした。
その時。
「あぁ? なんだこの自転車はぁ!」
見つかった。
「誰の自転車だよ? こんなところにあったっけ?」
見つかってしまった。
自分の自転車だということを隠したい。いや、自分のものだと認めることすらしたくない。名前は書いていないが、この長屋に住んでいる子供は、私だけだと知られている。
けれど、バレたくない。恥ずかしい。あんなオンボロに乗っているのだと、思われたくない。
なぜ、母はあんなにもぼろい自転車を貰ってきたのだ? ぼろ過ぎるから要らないと、なぜ断らなかったのか?
母と父に中古の自転車を押しつけられたあの日の、不条理でどろどろと鬱屈した気持ちが蘇ってくる。
色鉛筆を片付けていた手を止めた。息を殺すようにして、外の様子に耳を傾ける。なにか言われているのかもしれない。この自転車はきっとアイツのもんだぜ、と言われているのかもしれない。
けれど、続いたのは静寂。そして結局、遊び場を移したのか、雪遊びの甲高い声も聞こえてこなくなった。
私は、四つん這いで窓へと這い寄って、カーテンの隙間からそっと裏庭を覗いてみた。
真っ白な世界だった雪景色は、子供達にふみ荒らされてところどころが溶け、半ば枯れかけている黄土色の芝生と黒土を晒している。
自転車の周りには、たくさんの足跡。
私はその足跡の群れを、少しの間見ていた。
その足跡を見ていると、放っておかれた自転車が、とてつもなく憐れに思えてきてしまう。自転車を大勢の子供達が取り囲み、苛めているように見えるからだ。
深夜。
雪の降りしきるなか。外灯に照らされていた、夢のように幻想的だった光景。
そして、あの真白の世界の古びた自転車は。
白昼。
変わらず。現実に。
────まだそこにあって
けれど、違っていた。今までの古ぼけた自転車とは、全然違っていたのだ。
私は、急いで立ち上がり、一階へと続く階段を駆け下り、玄関から飛び出した。
溶けた雪が土と混ざって、歩くたびにバシャバシャと跳ねて、私のもともと真っ白ではない靴下を、黒く汚していく。
そんなことも気に留めず、私はぐるりと大きく回り込んで、長屋の裏庭へと走った。
子供達の姿はない。続く足跡を辿りながら、私は自転車に近づいていった。
「……なんで?」
手をそっと伸ばして、サドルに積もった雪をよける。指先に絡みつく雪は、きんと冷たい。
「どうして……?」
雪を落としたサドルには、手編みで作ったカバー。桃色と水色の毛糸。丁寧に三角の形に編み込まれ、サドルに被せてある。
ハンドルから雪を落とす。ハンドルのわん曲部分に存在した無数の錆は、巻きつけられているピンクのリボンで見事に覆われて、隠されている。
そのリボンは、母が誕生日に買ってくれたホールケーキの箱に結んであったものだ。私が可愛いといたく気に入って、それを取っておいてくれたもの。
そのリボンが、ぐるぐると巻きつけられていて、パステル調のハンドルになっている。
錆びついて、全体が赤茶色だったベル。ヤスリかなにかで、その錆を落としてくれたのだろう。落とし切れなかった部分はまだ残っているし、銀食器の輝きとまではいかないけれど、太陽の光を控えめに反射させている。
ジャリ、ジャリとしか鳴らなかったベルが、高い青空に駆け上がっていくように、チリンチリンと鳴った。
父が。
できるだけの錆を落とし、ベルの内部に油をさしてくれていたのだろう。いつも門やドアの蝶番に使っている、油の匂いがしたから。
母が。
ハンドルにリボンを巻き、サドルに手編みの毛糸でカバーを作ってくれたのだろう。この桃色と水色の毛糸で、私のマフラーを作ってくれたことがあったから。
知らなかった。
見ないようにしていたし、目を背けていた。
決して裏庭には行かなかった。目に入らないようにと、裏庭が見える子供部屋の窓のカーテンも引きっぱなしにしていた。
そして今になってようやく、雪が織りなす、幻想的な美しさに気を取られて。
雪が積もればそのオンボロな姿を隠してくれるだろうという安心感もあって。
ようやく、この自転車と向き合うことができたのだ。
「お母さんがな。カズちゃんちからおまえの自転車を、1時間かけて押してきてくれたんだぞ」
大の字になって大泣きで暴れていた私に、父が少し怒ったような顔で、そう言っていたのを思い出した。
車などはない。ましてや父も母もその当時、免許すら持ってはいない。父が中卒で働き始めたといううどん屋に、車の免許は必要ない。
母は、隣町まで電車で向かい自転車を譲り受けた日、その自転車に乗って帰ればいいと考えていたらしい。けれど、子供用の自転車は、意外と漕ぎにくかったのだろう。
商売向きの、体の丈夫な母ではあるが、中腰の姿勢で子供用の自転車を押して歩くのは、相当な労力だったに違いない。
そうやって磨き上げられた自転車を前にして、ようやく私はこの自転車が、父と母、そのものなのだということを、思い知ったのだ。
外灯に照らされた幻想的な光景によって。
たくさんの子供らの足跡によって。
この真白の世界によって。
私のために少しでも綺麗になれと手を入れられた、この自転車によって。
「私……あの自転車、乗る」
雪かきからいったん帰ってきた母に、私は告げた。
母が、少し困ったような顔をしながら、問うてくる。
「いいの? 自転車、あんなんでも乗ってくれる?」
私は、こくんと頷いた。
「うん、乗る」
その瞬間。私の心を覆っていた赤茶色の錆が。
ぽろり ぽろりと、剥がれて落ちた。
私のなかに宿った錆は、雪の日の真白の世界に落ちていき、
ひとつの染みも作ることなく、
真っ白になっていった────
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