巡る思惑

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巡る思惑

【ふたつめの「想定外」】 「船が出せん?」 「大荒れでして」  つまりはそういうことだ。いつもはたった一泊で終わるこの茶番でしかない馴れ合いが、海の機嫌が直るまで続くという。  ふむ、と口元に手をやり考える素振りを見せる。これは案外、 「僥倖やもしれにゃあの」 「…? そうなんですか」  頭の弱い鳶は首を傾げて納得する。そこまで信じ込むのは果たしてどうなのか、呆れ細まった目で溜め息を落とした。 「まさか貴方がたと同じ空気をこれ以上長く吸うはめになるとはね」 「まぁそう言いな、お前さんも魔物討伐とやら少しゃ休まられ」 「貴方に心配されるほど鈍い腕じゃない、人のことより自国の心配をしたらどうなんだい?」 「んん、狭ちゃんはなんで藤さんにぎすぎすするの~」  唇を尖らす少女に諌められ、溜め息を吐きながら灰河狭李は目を伏せた。  帝は自国の復興に費やしすぎた心力のおかげで疲弊しているには違いないようで、渡航の疲れが癒せるならと自室にこもって朝から顔も見せていない。互いの従者に知れていようと、鉢合わせれば体裁上仲良しを演じなければならなくなる。それをせずに済むのは良いのだが、食事はどうしているのだかと多少の呆れはあった。回復に向かうつもりがあるなら寝るばかりではどうにもならないだろうに。  ハヤトは趣味の痣作りのため適当な林を見つけては向かっていった、いや、趣味なのは痣を作ることではないのだが。鍛錬を欠かすのは落ち着かないらしい、良いことではあるのだが少しは休めと、言ったところであれは聞かないから放っている。頑なに手当てもさせないものだから、いつだかに半ばどうでもよくなってしまった。  あれにはあれのプライドがあるということだ、法力の質について言及しないのと同様、面子を潰すのは本意ではない。過去とこれからの努力を信じている男に、なぜ「もう必要ない」など言えようか。  皮肉なもので、国から離れると憑き物が落ちたように肩が軽い。灯すべき場所から遠ざかるほど、無条件に消耗される力が薄れていくのだろう、呼吸も楽になっていく。  だからこそだ。後ろ髪をひどく、強く引かれる、早く戻らねば自国はあられの痛みと寒さに衰弱してしまう。天照の力を分け与えた勾玉にて結界を張り儀式こそしてきたものの、いつまで保つかなど試したこともない。  けれど確かめたいことがある、ただひとつだけ――あの少女について。それを知るにはこれを機に、国を離れる覚悟を決めなければならないだろう。  目を伏せて遠い勾玉へ力を送る。距離のあるほど削れる命など今更だ、知ったことではない。海の荒れは予期せぬ事故と言えど、己には国を守る義務がある。絶対的な、天照の力で以って。 「藤さん、ねむいの?」 「ん? あぁ、向こうじゃ雨季ん入っとらるゆえの。しばれりゃ土地に慣れすぎゃあて、こいも温いといっそ暑うてよう寝付けなんだ」 「ええ! わたくしはちょっとひんやりするな~って思って丸くなってたよー!」 「……御上様、」 「行ってみたいなぁ、雪とか降るんでしょう? 街頭の火も綺麗、写真で見たの!」 「ははは、そいか! お前さんはお役目があらるゆえ難しかろうが、機会さえありゃあいつでも来やられよ。ただまぁ雪なんぞは珍しい、大方あられだがそいでも良けりゃのう」 「ほんとう? 嬉しい! わたくしあられも見たことない!」  きゃらきゃらと跳ねて回って笑う姿は、年相応――というには幾分幼い。顰めるわけにもいかない眉を下げて笑ってやる。なおのこと後ろの護衛は不快そうにしたが仕方がない、あれは絶望と虚無で一生が埋まるのだとばかり思っていたところを帝に救われた娘だ。その心情を察せないわけも、無碍に扱うわけもない。  あくまで問題は、帝自身にのみ。  あれは、何をしようとしている? 御上の姫、この少女に何を仕掛けた? 「御上様、食事は終わったんだから。君も疲れているだろう、部屋に戻ろう」 「えー、もっと藤さんとお話したいよ」 「ははは! えいえい、まぁた半年後にゃ会いたにゃあても会わにゃならん。保護者ん言うこと聞きゃれ、心配かけやらるな」  笑ってひらひらと手を振れば、護衛の娘は言われずともと御上の手を引っ掴み。しかし無理に歩き出そうとはしないその娘の、心配と不快の隙間のような顔を見た少女は、ひとつお辞儀をして素直に歩いていった。本当にあの擦れ者の帝が育てたのかと疑うほど、まっすぐな子供だ。  そうだ、子供すぎる。  第一が神の子などいたのなら、それが本物なのだとしたら、あの国はもっと早くに復興を遂げられたはずである。帝自身がそこまで消耗しなくとも。「神の声を聞けるとは思わなかった」、そう言いながらも初めて行った儀式で「神を受け入れられる体に仕立てた」。つまり神の子になる、ないし出来るという予測が奴の中で既に立っていたのは明白だ。だのにそれを使わず自身をあそこまで消耗させる道を選び、そのあとになって神の子を使い始めたのは、なぜか?  加えて――十六代目帝は二十一歳で国を復興し、そして今から五年前の二十四のときに吾れが十六を迎え、天晴から天照を継いだのだが……困窮状態にあった協会を支援していた天晴から神の子の話など、ひとつも聞いたことはない。天晴がすべてを自分に話しているという確証もないわけだが。  けれどこれほどに不穏な影を伝えぬまま、果たして当主を継がせるものか? 帝は天晴にも神の子を隠していた、あるいは最近になって「必要」となった――だとしたらあの娘は、御上の姫とは、 「……作った、か? いつ……」 「ええはい、まぁ、作ったというか淹れたと言いますか。今です、熱いのでお気をつけて下さい。粗茶ですが」 「気や利くこっちゃ、鍛錬は」 「そろそろ食事も終わりあの女が失せた頃合いだろうと思いまして」 「……お前さんも大概、利口にしちょらるっちゅうモンを知らにゃあな」 「生粋の荘園育ちですからね」 何でもかんでも国民性、で片付けらえいと思うでにゃあわ。  言いながらちらりと、葉で切ったのか頬に負っている掠り傷を見遣る。猪突猛進を極めるばかりの命を惜しまぬ躊躇いのない間合いの詰めは、危険であれど確かに一手でもある。  林業を営む者に有り難がられてもいるのでやはり放っているし、あれこれ手を出さず一芸を極めろと言ったのも自分である手前いまさら言いづらいのだが、あんまりにも危なっかしい立ち回りではなかろうか。取り上げられた刀の代わり、拾ってきた鈍った短剣で幼少期を過ごした名残りだと、長い獲物は扱いにくいだなんて脇差二刀のみで。  腕を組み、今度こそ眉を寄せる。さてどうしたものか。 「若? どうなさいました、若も休まれた方が」 「ハヤト」  言ってしまえばこの鳶は、本当にどこへなりとも飛んでいくことだろう。  それがどうしたものかと言っているのだ、その、捨て身が。 「……吾れに言えられたことでにゃあが」 「はあ」 「その身、捨てぬと契られるか」 「若、……それは一体」  じっと射抜いたさきの柳茶色の瞳。それは意図を掴もうと強く返してくる揺れぬ視線だ、次に吾れがなんと言おうと、強く頷くためのものだ。  ――あぁ、腹を括らなければならないのはどうやら、とっくに自分ひとりだったらしい。  失う可能性、という恐怖など、自分だけは生涯一度も知り得ないだろうと思っていたのだから。
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