巡る思惑

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【ひとか神か、】  偶然だった。目に留まったのも、それが例の唐笠家の長男だったのも。  本当に気紛れが理由のひとつなのも事実だった。契約を交わしたのも、世話を焼かせたのも。  だのにいつからか、――恐らく先に情が移ったのはこちらだった。  藤という家のことを本気で尊敬し、それが築く国のことを本気で誇りと思い。だからこそ吾れの気まぐれを許さなかった、あの、柳茶の目。それはなにも知らなさすぎるがため澄んで、そのくせ不器用に馬鹿正直に擦れて、出会ってからも恐らくその前からさえ、一度も笑ったことなどない男。  それが、半分神の血を引いているやも知れぬ存在と契約を交わす苦しみを知ったとき、気絶するように寝込む日々から覚めた、あの日に。こんなことを問うたのだ。 「貴方は初めから、ひとではなかったのか」  動揺、追求、単純な知的好奇心と何より、困惑。そんな顔で。  そんなことは自分が知りたかった。  藤天雀、といういきものが何なのか、何として生まれ何として死ぬものなのか。天晴が天照であった時に生まれた自分はきっと、純然たるひと、とは言い切れないのだろうと、そんなことは漠然と分かっていて。どころかいつかに必ずその力を降ろし継ぐこの身は、いつかに必ず、ひとではなくなる。その約束された未来と曖昧な境に立つ今のこの体、それが果たしてなにであるのか、なんて。  そんなことは自分が知りたかった。  なれやこそ契約者には、吾れの身をできる限り惜しまない人間が――定めの死たる喪失を美都希のように悲しまない人間、法石を欲し望んだ。そこにたまたまいたのがこの男だった、それだけのこと。  あの日のすべてを威嚇していた目付き、藤家の者に冷静に受け答えできない性格、しかしそれを後悔しているとありあり伝えた正直な気配が教える「藤への敬意」。であれば、この不出来なまま置き去りにされた男をどう扱えば吾れを惜しまぬ契約者たらしめられるか、なんて命題の十分条件を満たすのは簡単で――「藤」を放棄する振りをする、たったそれだけに尽きることだった。  しかして男は見事乗せられ、次期当主には決してさせたくない男、吾れに、「いつか処刑される藤に不相応な契約者」として嫌々仕えていたのだろうが、なれど奴の望む処刑なんてものが執り行われる日は、終ぞ来やしなかった。当然だ、天晴は唐笠家の有り様を知っていたうえ、第一法石が力不足だったという程度で首を打つような男ではない。吾れが勝手に拾ってきた法石なのだからなおさらにである。……加え、父はハヤトの法力を受け取れこそしないものの、あの抜きん出て優秀な「質」は感じているのだろうと時折、思う。戦にて最前線を絶対的に崩さずいられるのならということで、この契約は許されていたのだ、憶測だが。……父なるものを超えるとは相当、容易いものではない。腹の奥、思考の回り、それらは時折掴めたようでも錯覚として手の内から跡形なく消える。――時間はない、早く追いついておかねばならぬというのに。 ひとではなかったのか。  布団に横たわり首だけ(ひね)ってこちらを見ている、男。三日三晩うなされ意識が快復したと思えば、開口一番これだった。それほどにまで、契約時に交わった吾れの血とはひとに拒絶されるものであったかと、苦笑さえ漏れそうになる。腕を組み、ただ柳茶の瞳を見返した。  天照を既に継いでいるのかすら、この血は神と半々であるのかすら分からない。しかし何度も言うように恐らくは、「純然たるひとではない」。  答えられるのはそれまでで、自分、といういきもののその定義なんかは、ひどく危うく不明瞭だ、判別などできやしないのだ。そういった不確定事項を口にするのは、あまり好きではない。この男と違って吾れはそういうことを散り散り煙に巻くのが苦手ではない自覚があって、同時に男は煙に巻かれやすい弱さがあるだろうとの見当くらいはついていた。 「さて、そうさな……お内にゃあ何ん見えやる?」  かくしてくつくつ笑うしかなかったのだ。それを男は、怪訝そうに見ていた。  仕えるのだから、契約してしまったのだから。そんな風で仕方なさそうに己の体に痣を作っていく不出来な男。武も学も取り上げられた、出来損ない。それでも毎日「藤のため」と、刀を取っては鍛錬に勤しみ、筆をとって学に励んだ。後者は今もてんで役に立たないが、まぁ恐らく思ったことをそのまま口にしてしまう性分と、得手不得手の問題だろう。口の上手さ、それから頭の回り――先を読んだり裏を掻いたり、なんかを求めることはいつだかにはやばやと諦めたのだが、戦場(いくさば)においてあれ以外に命を預けられる存在なぞもはや、有り得なくなった。  そこまでハヤトが努力したのは藤のためだ。この国の安寧のため。天雀たる次期当主を守るため、などという理由は……まぁ「そう答えておけ」と言いつければ言えたのだろうが、あの通り思ったことしか言わぬ男である、言いつけなかったので発されることはなかった。  それでいい。そういう法石であればあるほどいい。惜しむな、いっそ天照に食われる事実すら知らなければ良い。死ぬと決まっている存在なれど契約者が必要ならば、その相手は必ずや訪れる吾れのいつかの死にだ、情けも悲しみも覚えぬほど吾れに入れ込みやしないであろう法石たれと、そうであればあるほど望ましいと願った。  そう願っていた。だというのにいつからだったのか、そうだ、先に情が移ったのはこちらだった。 「若、また呑みすぎて。知りませんよ」  ああ、本当に笑わないな。  そんなことを思うようになっていた。笑わないほど良いのではなかったか、そう自問するにはその時、既に酔いが回りすぎていた。ゆえどこぞの誰かのごとく馬鹿正直、思ったことが口から滑り出た。 「お内、少しゃ笑いやれ。吾れに見せい、今んうちじゃあ」 神降ろしすらば、そいからぁもう一直線ゆえなぁ。  神降ろしのことまで口走ったのは、本当にどうしようもないと言えるが。当時のハヤトには、当主となれば前線に立ち死へ向かうのみ、と聞こえたことだろう。  酔っ払いの戯言だ、こんなことは。少なくとも生まれた時から存在が曖昧であった自分にとって、そうして未来をも約束されていた自分にとっては取るに足らない雑談のひとつ、酒の席の駄弁り、  そんなものだったのに。 「冗談になっていません」  コップを真逆さま、水を、頭からぶっかけられた。そうして、 「頭冷やして寝て下さい。自分は先に失礼します」  だん、だん、スパン。大股で部屋を出ては容赦なく襖を閉めて行ったのだ。  呆然と、閉めた勢いの強すぎたあまり僅かに隙間があいた襖の向こう、夜の暗闇を、見て。  分かってはいる。先の発言が、当時、まさに前線にて命を削り戦っていた当主、現つ神であった天晴への冒涜ととられたのだということ、またも藤を侮辱したことへの怒りだったのだということは。それでもどうしてか、あぁ、絆されたのは恐らくこのあたりか。  その、ひとの身を案じる尊敬と命を惜しむ慈愛、が。もし自分に向けられる日がくるものであったのならば。藤天雀というこの男がなにものなのかを、知ることができる気がしたのだ。  それでも惜しませるわけにはいかない。神を降ろし国に陽を灯す定め、寿命を捧げ前線で絶対の安寧を守り抜く責務。  背負っているのだ。成人はもうとっくに片手で指が余るほどまで近付いた。母の美都希のように、残る者を悲しませるわけにはいかない。背負っているのだ。  どうか、どうかそのまま吾れを不快なものと認識したままでいてくれと願っていたはずなのに。  天照を宿したあの日からなのだろうか。それとも天照を宿し使うとはどういうことかを奴に教えてしまったあの日からか。分からない。  ハヤトが送る法力から嫌でも伝わるようになったのだ。吾れを「ひと」と思っていることが、ひどく明瞭に。神ではないこの身を案じている、尊敬している、守らんとしている。それら全てが痛いほど、そう、苦痛だった。だってどうしてこんな自分に、お前までもが絆されてしまったというのか。  背負っている。数多の命、当然ハヤトの命とて等しく。ただただ苦しい、思われるとは爪痕を残すということだ。あの馬鹿正直で涙もろい男は、泣くだろうか、思えば思うほど後悔すら湧く。もっと非道な演技でもしていればよかったとでもいうのか。  ――あの日の問いに、奴は自分で答えを見出してしまったのだ。「藤天雀とはひとである」と。  その重い法力だけが、今、自分をひと足らしめている。どれだけ天照に食われようと現つ神と祀られようと、ハヤトが思うなら己はひとなのだ、と。吾れを信じている契約者の望みひとつ叶えられずにどうして国など守れようか。  吾れは、ひとだ。ひととして行く。 (早く、早く)  否、ひととして行かなければならない。こんな自分を信じて協会へ向かっていった鳶のもとに。  底抜けの、ついでに天井もない信頼。そんなもの、すぐ死に絶えるこの身に預けるなど早計がすぎる。だとしてもやはりあれの頭は良くないから、いっときの情かなにかで動かされて揺らいで、その命を何らかのきっかけで自分に任せてしまったのだ。任されて、いるのだ。  いつからか。唐笠ハヤトが役に立つべくして重ねる全ての努力はもう、藤家のためでも国のためでもない。藤天雀という――人間のためだ。  ならばこそ、神を捨てる用意とて整えてきた。国に多少の迷惑はかけてしまうが、しきたりも伝統も途絶えない。問題はない。  懐から巾着を取り出し広げる、ぎっしり詰まるは法力の込められた札の束。  数枚では一瞬の護身程度にしか法力を受け取れないが、これだけの数があれば話は別。  第一いくら物に宿せる法力は少量だといえど、言ったろう、あの鷹の法力の質は常人の倍はある。ゆえに数枚あれば護身、どころか多対一ですら、法力の配分に上手く気を遣えば難なく躱してしまえるだろう。あれは自分でそうと気付いていないせいで毎日こつこつ溜め続け、そのたび吾れに押し付けていた。「微々たる力でも数さえあれば」なんて、相変わらず難しい顔で。  契約者でなく無機物に法力を宿す行為。これは人同士と違い【意思の疎通】が成り立たない分、体力の消耗、負担が増えるというのに。それでもあれは毎日、欠かさずだ。自分のためだけに。  莫大な量を湛えた巾着、中から数枚札を取り出しすぐ使用できるよう懐に忍ばせておく。これだけの数があれば問題など有りようもない、そうだ、これは吾が契約者の法力だからだ。  仮にハヤトに何かあったとしても必ず救い出せる、救い出す。そう、この札は放っておいても死ぬと決まっている自分ではなく、あれを助けるためにあってこそ道理。 「あの頓痴気ゃあ…」  船上、遠くに見えてきた協会本部に目を細める。今ごろ悠々と煙管でもふかしているのか、それとも――神の子に細工をしているのか。  誰そ彼時。ゆうるり昇る満月に、なにゆえか寒気を感じて。
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