神はいずこ、超えられるか

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【このための命】 「ッ、ハヤト!」 「心得ています!」  走り出しながら思わず荒んだ声が出る。しかし動じず後に続いたハヤトは御上を受け止めた灰河を押し退け、吾れが後ろへ突き出した手の首を掴み、法力を送る。そのあまりの量に、これでは覚悟ではなく捨て身だと舌を打ちそうになるも――お互い様だと笑い捨て、右の手のひらで心力を受け止めた。  しかし変若水を手に入れんと昂ぶる帝の心は止まらない、それほどまでに渇望してはやまなかったのだろう。威力は勢いは増す一方、されどもこちらは余儀なくされた消耗型。短期決戦に持ち込まれようと長期で構えられようと、底の尽きる法術では勝ち目などあるはずもない。  ぎり、歯噛みする。この身は、たとえ消し去られようと構わぬ覚悟と手筈でもってここへ来た。  天降(あまくだ)し――それは【簡易的かつ不完全な神降ろし】。現在天照を宿している者が死ぬと、天降しを受けたものへ自然と継がれ流れていくという儀式である。それを既に契約者がおり、戦にも慣れている音春へと、行ってきた。  天晴から月夜見のこと、協会のことを聞き――決意は固まった。  私情のために国を捨てた愚かな当主、死後にいくらそう罵られても構いはしない。だから言ったのだ、「ハヤトを必ず生かして帰す」と。  この男だけは、生かして残す。これは誓いだ。他の誰でもないこの藤天雀が、ひとりのひととして、絶対として決めたのだ。自身の為すべき定めとしたのだ。  ハヤトを、使い潰すわけになどいかない。法力の過剰な消費は身体へ負担をもたらす、元々持てる法力が少ないというに、これほどの勢いで短期に量を使い込むなど……寿命さえ縮みかねない。  そんなこと許せるものか、これ以上吾れを追うのはやめろ。  掴まれた手を払う。 「若! なにっ――」 「後ろん二人ゃあお内に任せらる、ハヤト、火の粉を払え。心力が【ひとりの願いの力】であらるなら、合意を以って契約しやぁて初めて力足り得る法術、そん片割れの【不完全なひとりの志】たる法力ゃあ相反するはず!弾きやらるやもしれん!」 「それは……よく分かりませんが! 若はどうなさるんです、あんな札では法力が足りませんよ!」 「法術にゃあぞもう敵わん、相手ぁ神であらるぞ」  え、と。  背後、男が息を詰める気配が、する。したことに、感じ取った己に、また笑った。  振り払った手に法力が途切れる。展開した法術が崩れゆく。突き出した右手が帝の執着に燃え尽くされそうだった。 「若、いけません!!」  嗚呼、相変わらず察しだけは良い……いいや、きっと違う。息を詰めた気配すら感じ取れたように、男とて察したのだろう、感じたのだ。吾れの思考、それさえも。  ――この状況での最善手。法術ではどうにもしようがないものを、どうにかする命。 「いくら若のほうが馴染んで扱いが上手くとも、今は満月! 分が悪すぎます、何よりそんなことをしては……!」 「分かっちょらる、んにゃこたぁ」 「でしたら!!」  それでもハヤトは駆けつけずに、言いつけ通り崩れる法術の隙間から漏れる心力を、法力で打ち消していく。予想通りそれはうまくいったようだった、持つ特性が全くの真逆だからこそ弾き得る、そして特別性の法力がゆえ神の心力すら相殺する――否、もしかするならば。半ば神であった自分と契約を結び、そして現つ神と呼ばれるようになった自分と何度も法力をやりとりするうち……ハヤトにすら神の気配が馴染んだのやもしれない。  そんな男はただ、律儀に、忠実に、吾れの言いつけを守って。少女とそれを抱え身動きの取れない灰河を守るため、その場からは動かずに。しかし何度も喉が焼き切れんばかりに叫び、言の葉でもって吾れを止めんと怒鳴り吠える。  痛い。  痛いほど通ずる男の焦り、危惧、恐怖。  厄介だ、契約とは。いくら血を交わしたといえ、こんな機能がついてくるなんて聞いていないのに、なにゆえか。  なにゆえ目を逸らしたか。  死にゆく定めを嘆かぬ「道具」を求め、なれどそれが「せめて道具足り得よう」と見当違いな足掻きを始め。なにがきっかけか知らぬうち、民が神と祀る吾れを、ひとだ、と、そうつよく言う瞳に、吾れは入れ込んだ。ひとだと瞳が言うたびに、ひととしての弱さを支えられるたびに、地に足をついて歩ける喜びを感じていたのだと、思う。  互いをひとだと思った。傷つけば苦しみ、悲しみに嘆き、やがては死ぬ。そんな、【ひと】だと知った。  痛い。吾れを失う恐怖に心臓を締め付ける男の吠え声が。  痛い。吾れを失えば悲しみ嘆くであろう男である事実が。  だから言ったのだ、戯れにお内と契約して後悔するのは自分であろうと。その通りになっただろう。 「御上の姫ん何しとらるか、今こそ答えてもらぁぞ、帝」 「この期に及んでまだ言うか、天雀。次代帝は生まれた時から定められている、その膨大で神聖な心力を持って生まれるためにな。しかし現帝にしかその心力は認知し得ない、だが継いでいくために身柄を引き取る必要がある……しかし俺が必要としていたのは、その帝に相応しい人間の持つ心力を使ってこそ作り得る変若水だ。……まだ分からないか?」 「……なるほど。お内ぁ次代帝ん非ず、細工前提で御上っちゅう新たな存在として家より取り上げようて……あん娘を何も分かりゃせん少女に仕立て利用しやぁたわけじゃ」 「惜しいな、……次代帝に目的を勘付かれたとき、その心術はただの懸念材料。ゆえに心を「壊した」、一度記憶を消してまっさらにしたわけだ。そして、」 「暗示であろう。悪趣味なこっちゃぁ、神ん声とやらもお内ん聞かしやぁた仕掛け、民にゃそん御言葉や絶対っちゅう錯覚まで抱かしようた」 「はは! それは叭玲に言ってほしいな、実際に御言葉は絶対だった。なぜか分かるか? 毎朝の宣託で叭玲が告げるその時、国中に心力をばら撒いて御言葉の何もかもが現実となるよう世界を操っていたのは、叭玲なのだからな!」 「そいもこいもお内がさせやらぁたことじゃろうが!」  やはり、天晴の憶測通り。この国は帝に救われたのではない、狂わされていたのだ。  御上の姫たる少女は暗示によって操られ、毎晩御言葉という名の幻聴を聞かされていた。果てはそれを民に聞かせる際に御言葉を「現実」にするため、無自覚にもばら撒いていた心力でもって……世界の法則に干渉までしていたのだ、毎朝。それは一体どれだけの負荷であったろうか。  道理でおかしくなるはずだ、なにもかも。食事の量、味覚と記憶の障害。何より、一度記憶を失くしていることを加えても十五にしては幼い言動すら、帝の極力無知のままに育てようという思惑が働いていた可能性が高い。  そして例の「ペンダントが眩しい」という発言……何より先ほどのペンダントに吊るされるように浮いて自我を喪失していたさまを見るに、少女はあのペンダントによって常時、暗示をかけ続けられていたのだろう――宣託で国中に心力をばら撒かせていた原因もこれである、と見るのが妥当だ。帝にかけられた術か込めた心力か、いずれかが少女に心力の放出を促していたのかもしれない。  心力が心の力だというのなら、一度壊されてもこうして再び心が芽生えだしているあの少女は、自らの心力で無自覚にも暗示に抵抗し……その都度、ペンダントに抑止されていたのではないか。  誰が許そうと吾れだけは見過ごせぬ、このような所業は。焼けて駆け走り尽きようと、構うものか。  置いていかれる恐怖を知るなぞ二度と御免だ。ここで確実に、守り抜く。 「……心力とやら、願いが尽きやらぬ限り吾れでは届かにゃあと言うたな」 「何を考えている? 法術では止められないと知って諦めたか、最期くらいは世間話にも付き合ってやるが」  帝は不敵に笑う、しかしその言葉とは裏腹に、肌を焼くような敵意でもってこちらを警戒し続けている。今だ手のひらを燃やす激しい執着の表れに、信頼されているようで何よりだと、笑い返した。  そう、――返すのだ。 「ありのままを照らし出しやる特性を持つは、満月……月夜見だけでにゃあと、お前さんは知らなんだか?」  袖より深緑の数珠がじゃらりと飛び出しては伸びて、心力を受け止める手を囲むように、丸い円を描く。ドクン、と心臓がいやに跳ねては熱い。  構うものか。 「天照より授かりし三種の神器、うちひとつであらるこの鏡は――全て等しく照らし返すほどに眩しゃあぞ、帝」 「若!!」  笑え。悟らせるな。止めてくれるな。  冷えていく指先も、壊れそうな脈も。決して引き攣るな。  円を描いた数珠は堅く光る膜を張り、帝の心ありのままを跳ね返す。あちらも持ち堪えようと心力を放ち続けているが、当然やればやるだけ自身で放った光に押されていく。  やがて、変若水のためと降ろした月夜見の力を、自棄(やけ)のように荒ぶらせ。 「ッ、貴様ァアア!」  結果――その光に飲み込まれ、浴びて、放ったままの勢いを受けて吹き飛ばされる。膝下は窓下の壁にぶち当たり、減速もせず頭から落ちそうになったのを、割れた窓の枠に腕をかけて阻止した。  息を切らしつつなおもぎらぎらと敵意を、執念を湛える濁ったその目。窓枠に足をかけひとつ強く蹴ると、こちらへ大きく距離を詰めた。指先で、また鏡を作る。 「ゼロ距離ならば防げまいてッ!!」  ……これ以上短期間に【神】そのものの力を使うのは、さすがに骨が折れそうだ。けれど終わらないなら終わらせるまで。  暴れる心臓に舌を打ちそうになる、視界がブレる。が、だとしても。 「……ッ帝様!」  ――月夜見と天照の割り込み、月の神の前に立ちふさがったのは……ひとりの娘だった。  この男に、帝に貧困から命を救われ人生に希望を与えられ、信仰し、生涯仕えると誓った女性。  それは灰河狭李という名の、盲信的な第十六代目帝、その信者である。 013fd7af-6caa-4ace-b7b0-6a49e5933b44
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