神はいずこ、超えられるか

3/4
前へ
/18ページ
次へ
【真にて、突貫】 ―― 「……借りを作るのは癪だけれど、」 「行きたいんでしょう」  え、と。振り返りもせず立ったまま、じっと天雀の背を見つめる唐笠を見上げた。 「その少女は自分が責任を持って守ります、「火の粉を払え」とは若の命ですから。それに自分は……ここで出来ることはもう、ひとつもないので」  ふと見えた唐笠の手はきつくきつく握り込まれて震え、血が滴っていた。見えないままの顔、は、どのような表情をしているのか。  法術では神に敵わないと主君に下がらせられ、そのひとが命を賭して戦うさまを黙ってみている、しか、できない。脇差二刀で参戦したところで足を引っ張るだけだろう、分かっているから言いつけ通り、時折火花のように散ってくる心力を弾き出す以外なんにもできようがない。その無力感はいかほどか、立場が逆ならという想像は容易すぎて――同時に。 「……いいのかい、私だって天雀を殺すかもしれない」  そう、結局は同じ。あの中へ飛び込む、そんなひどく危うすぎることをするひとを守らんと、余計なお節介を焼くのは間違いなく、藤天雀で。その結果として命を落とすことも決して有り得なくなどないし、第一私は帝様を信仰する立場。帝様に加勢するのかもしれない。 「その時は御上の姫を殺しますので」  数秒、天雀の背を見たあと、振り返り。それはいつも通りつまらなさそうな無表情だった。  そばへ来ると屈みこみ、御上を受け取る。そうして、また。ただ、ただ、主君がひとり戦うさまを眺めるのだ。  そうだ――私もこれ以上、お仕えして慕って尊敬している、帝様を。おひとりになど、できやしないだろう。 ―― 「なぜ貴方は……!」  飛び出した灰河狭李という、帝に救われ信奉してやまない娘。吾れを背に立つと心術でもって髪を(つるぎ)とし――帝へと構える。  しかしひとの力ひとつで神には対抗できない、今の――心力を昂らせる帝が相手ではなおのこと。案の定帝は顔色ひとつ変えぬまま、その娘など見えていないかのように。心力を打ち放っては吾れを飲み込むがため、素早く鏡を作って迫る。  ゼロ距離、それを狙った帝の鏡。まずいと灰河を押し退けようとするも刹那遅く、鏡は完成してしまう。灰河の剣は、飛びかかる帝の指先にて形作られたそれの真ん中を見事に捉えると、帝を食い止め、減速――地に、足をつけさせた。互いに相手を押し返そうと前のめり、踏ん張る足がじりじり後退していってはまた一歩前へと繰り返す。  ギリリリ、と。月夜見の鏡に弾かれないどころか、僅かながら確実に傷をつけていく灰河の剣。息を飲んだ、……ひとが、神を引きずり降ろさんとしている。 「っなぜだ、何ひとつ特別を持たぬただの心術ごとき……!」 「だとしても! あの優しい帝様を信じ戻ってきてほしいと願う私の心は、貴方が騙してきたすべてを罰せるほど強くなくても……ッ戻ってきてと何度だって叫べる!」  ――パリン、ついに鳴った。  帝の描いた鏡、その中心に、灰河の剣が穿ちし穴が開く。その空洞と割れてガタつく表面が鏡を不完全なものへと成り下げて、もう心力は放てない。  帝は使いものにならなくなった鏡を、叩きつけるように床へ放った。 「何をした! そんな幼稚な心力で俺の悲願を突き穿つなど、有り得ない……!」 「……まだ分かりゃせんか、お内。えい加減認めい、こん以上や惨めんなりやらるだけじゃろうて」 「ッ(かまびす)しいッ! 貴様に何が分かる、天雀……天雀、貴様の声を聞くたび気が狂いそうだ! 必ずや今日この満月のもと始末してやる!」 「あぁそいやろうて。吾れぁお内ん命まで奪うつもりこそにゃあがの、……自滅しやぁても責任や取られにゃあぞ」  灰河の肩を掴むと今度こそ後ろへ押しやる、察したハヤトが手を引いて後ろへと、距離を取らせた音がする。  娘はただ茫然としていた、理解が追いつかず立ち尽くしていた。けれど心力について理解した今ならば、はっきりと分かる。確信を持って言える。灰河狭李の心の方がよほどに真っ直ぐだったのだ、誰かと違い。真摯で素直、強烈な願いであったからこそ……帝の【偽りの鏡】を刺し砕いた。  そう、帝は心を偽っているがゆえに、引けを取った。その事実を認めないと言うのなら強制的に認めさせるまで、そう、天照の【鏡】は――ありのままを天から照らす。偽っている心を無理やりにでも自覚させる。  そうでもしなければ恐らくこの男の暴走は止まらない。  帝は反射を封じるため再び距離を大きく詰めると、指でもって新たに鏡を。……照らし返し続けるだけの体力は、恐らく余っていない。帝が自身の心、願いを真実だと信じたまま変若水を求め、疾走している限り。……鏡での「応戦」は、保たない。  ならば。 「終わりだ、貴様の顔を見るのもこれきりだ!」  光る月夜見の鏡、光線が放たれる直後。目を伏せ自身に祈る――神なのだろう、この体、この命。ならばやりきれ、堪え抜け。  背後、ああ、なにゆえか。ハヤトが立ち上がり、若、微かになぞった音がした。本当は襟首でも引っ掴みたいほどであろうに、そんな情けのない声を出されては。……鈍りそうだ。  ――ひらひらとひらめき光り、 「気ん毒じゃがのう、もう少しゃあこん顔に付き合うてもらいやらるゆえ」  袖よりするり現れ出ずるは、天照より賜りし三種の神器がうちひとつ、【(つるぎ)】。握って突き出してやればいとも容易く派手に割れ散る、帝の偽りの心、しかして扱いきれなかった月夜見の鏡。 「大蛇をも食らう霊妙なる剣、こいに貫けぬモンはにゃあぞ」  本来であれば奥の手も奥の手、最終手段の更に奥に位置するこの剣。神霊の加護を宿しており使い手に神聖な武力を授け賜うが、その力が強大すぎることと、何より「神剣」であること……つまり常に神としての力が増幅される剣であるがゆえに、握っているだけで天照として力を消費する。天照と認識されたこの身から、代償として命を吸われ続ける――ハイリスクハイリターンの極致、瞬間的に決着をつけられると確信を持てない限り取り扱うは悪手、どころか絶対禁物。それほどまでに体力を奪われる、そう、寿命を食われゆく。  その霊剣の使用すら察して、なれど駆けつけなかったハヤトは……理解しているのだ。月夜見の前、天照として立っている自分と並び立とうとも、吾れの懸念材料が増えるだけであると。吾れはそういう「ひと」であることを。  ならば裏切れまい、幾らの神力(じんりき)を使ったとて吾れは「ひと」だと、共に信じてここに在ろう。  その神剣は帝の描いた鏡を突き穿ち、奴の鼻先でピタリ止まる。脈のリズムなどとっくに狂っている、耳鳴りがやまず世界の音が遠い。視界の焦点があまりにもブレるものだから眼球が震えているのではないか、なんて頓痴気を思うほど。焼けるように熱く痛む胃にはもう慣れた。 「ぐ、ッここまできて諦めるなどできるものか……! 諸共に吹き飛ばしてくれる!」 「ほんに、素直でにゃあのう……であれば照らしやらる、天照の御力(みちから)で以って」  帝が高く上へかざす腕、そのまま大きく描こうとする円。月夜見の力はどんな応用が利くのかなど知ったことではないが、それより先に動けばいいだけのこと。素早く小さな動きでもって再び丸く繋げた数珠、そこへ形成されるごく小さな鏡。大きさと出力の小ささ、その関係でこちらがゆうに速かった。  まさに帝の、ほぼゼロ距離で――ほんの僅か、目を眩ませた。ありのままを照らす陽の光、それはまさにただ天に御座す神を直視するがごとく、網膜を焼いたことだろう。  否。網膜、ではない。天に在り常にして変わることなく、全てあるがまま照らし出すその御力は、【偽るすべて】も焼き焦がし――突き付ける。  光を浴びた帝はふらふらと後退し、窓の枠に手をついてから膝をつく。後ろから差す満月の光は、動揺する男の姿をありのまま、映す。  悟ったのだろう。偽ってきた「心」を砕かれたこと、それによって真の願いを思い出し、二度とそれを誤魔化せはしなくなったこと。もう、目はそらせない、太陽に照らされる地のもとでは。  ゆらり顔を上げ、力なくも吾れを睨む。 「なぜ……いつから知っていた、天雀」 「ほんの数日前んことじゃあ、天晴ん聞きゃあてな。あやつめ、本気んすりゃあとはと笑っちょうたわ」 「笑って、いただと? ふざけて……」 「聞きゃあれ。天晴は確かに死にとうはにゃあと言いようたらしいがの、お内に変若水を作られなぞ言うちょらんやろう。何より」 「分かっている! ……分かっている……言うな、それは天晴が俺に、言った言葉だ」 「……天晴より言伝じゃ。一つ、「月夜見ゃあ剥がせ」。二つ……「こいな体ゆえ、約束ぁ果たしゃられのうてすまなんだ。代わりに一度、顔見せん来やくられにゃあか」。……確かに伝えようたゆえ」 「……荘園の人間はどいつもこいつも、不可侵条約を忘れたか」  パリン、フラスコが地に落とされる。変若水のもとは無残に散って、もう、拾い集めることは叶わない。  へたりと窓下の壁に背をつき片膝を立て俯く帝から、神の気配が消えていくのを感じた。……もとより偽った心、願いで求め降ろした月夜見だ。「ありのままを映す鏡の特性を持つ」というのなら、逆によくこれほどの間宿していられたものだと、その執念に感心さえする。  は、と、短く安堵の息を吐く。戦意を削ぐことにも成功し、無事変若水の完成も阻止できた。であれどもまだ、やることがある――作られし神の子を、協会という国を、開放させる。ここまでが己の、責務、  ぐわんと世界が歪む。  心臓が破裂したかと思うほどに熱く脈動した。  視界が黒く覆われて、体は恐らく、後ろに、 「若、」  最後に感じたのは、そんな情けない声と、沈む己を受け止める慣れ親しんだ気配だった。 「な、何だ……藤天雀に何が起きた?」 「それは……自分が勝手に口にしていいものか、分かりません。それに」 次に目を覚ますのがいつになるのかさえ、分からない。  言えば灰河は目に見えて動揺した。――身勝手な女だ、けれど、それも仕方ないことだろう。救世主だと信じてやまなかった信仰対象、それが自身をあれほど躊躇いなく殺せると知ったのだ。整理をつけるには時間が要る。  「次に目を覚ますのがいつか分からない」なんて、半分は嘘だ。法術でさえ回路を活発化させるたび命を食われ、あれほど苦しむというに……天照の御力そのものを、あんな短時間で連続して振るってみせたのだ。  神ではないあの方が、ひとが、神の御力を。そんな無謀をして身が保つかなんて、分が悪すぎる賭け――ほぼ負けが決まっているような博打。何度目か分からない、奥歯を噛んで、また血の味。 「……部屋を貸そう。船を出すには遅い」 「上主(かみぬし)様との約束とは一体、何だったのですか」  そう重たげに口を開いたのは、俯いたままの帝だった。反射的に問う。  第十六代目、帝。結局この男は、何がしたかったのか。若とこの男、それから――上主様の三人だけが、それを知っている。知っているからには……若を苛み、死にこんなにも歩みを進ませたからには。答えてもらう。 「……天雀に聞け」 「では何のため変若水を上主様に」 「それも、全てだ。奴に聞け」  ――話にならない。呆然と首を落とし床を眺めるばかりの帝は、こちらの言葉にまともに答えやしなかった。溜め息を落とし諦める。  灰河は未だ目を覚まさない少女……御上の姫を抱き抱えると、部屋へ案内すると言って歩き出す。このまま敵地に身を置くべきか――しばらく悩んだが、この状況で船が出せないのも事実、何より若を早く休ませてさしあげたい。  不服だが提案を飲むほかなく、なにかあれば自分が若を守ればいいだけのこと、と。その腕を肩に回して、動かない主人の足を引き摺らざるを得ないことに内心謝りつつ、ゆっくりと歩いた。  効果があったのかは分からない。それでも応急措置にはなるだろうかと、一晩中できる限り若へ法力を送り続けた結果、翌日の昼前にはゆるりその目蓋が持ち上がった。  付きっきりで何度も何度も呼吸を確認していた俺は、すぐさま気付いて飛びついた。一度胸倉を掴んでしまって急ぎ離すと、熱はないか、脈に異常はないかとあちこち確認していく。  夜通しの看病には誰かさんのせいで慣れてしまっているけれど、このときはなぜだか、契約を交わしたときのことを思い出していた。こんな、命に関わるほど大げさなものではなかったにせよ――若も似たような思いで俺を見ていて下さったのだろうか、と。 「若!! もう本当に貴方は……ッ! 何度刺して止めようと思ったことかお分かりなのですか!」 「朝っぱらから喧しゃあのう……して、なぁしてお内ぁ心配や殺意ん変わりゃあんじゃあ……」 「もう昼です、自分は若に! 生きてほしいんです!」  瞬間、ひたり。――ピン、と張り詰めた空気に、は、と口を噤んだ。これを口にする、のは。だって、……若だとて。失言、心臓がゆれる。  瑠璃色の瞳、海をはめこんだような。静かにこちらをみる。 「……想定外にも程があらる」  そうして、諦めるように笑った。  なにも言えなかった。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加