神はいずこ、超えられるか

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【ひとりとひとり】 ――天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも。 「天晴に伝えてくれ」 「確と。……暗示は」 「そんなもの、もうどうでもいい。全て解いた」  昼を過ぎ、波も穏やかなころ。藤さんとそのお付きのお兄さんは、国に帰ると言って帝さまに挨拶していた。  わたくしはあの晩のこと、ほとんど記憶にない。薄らとあるのは……お付きの、この唐笠というお兄さんがわたくしを抱えてくれていたような、……それだけ。言えば狭ちゃんは「ほとんど寝ていたからね」、と変な顔で笑った。  だけど、お話は聞いた。天雀さんが、掻い摘んで教えてくれた。わたくしや教会にかけられていた暗示のこと、帝さまが月夜見を降ろして不老不死のお薬を作ろうとして、それを狭ちゃんと協力して止めてくれたこと。だからわたくしはゆっくり、昨日のまんまの体勢で俯く帝さまへと近付いて。 「……儀式って、何をしていたの? もう分かっているけれど、ただの……そういうんじゃないんだよね」 「……叭玲の心力は強すぎた、放っておくと暗示が簡単に解けて、心力をばら撒けなくなる。だからペンダントに心力を込め直し、お前にも暗示をかけ直した……御言葉が現実にならなくなれば世界が思い通りに動かない、また土地が枯れ海が濁る……」 「じゃ、やっぱりお国のためでも」「違うな」  吐き捨てるような嘲笑、一度きり。 「そもそも宣託でばら撒く心力、それであれこれに干渉するとは世界法則を乱すということ、無理に生き返らせた土地も海も川も自然動物にとっては害を含んでいる……だから協会の魔物は人を襲うのだからな」  国のためなんて反吐が出る。  言うとまた、帝さまは喋らなくなってしまった。食事さえ摂られない。  ななつまでは神のうち。  一定期間ごとに次代「帝」に選ばれた人間が、国のどこかに産まれる。その心力は神聖で大きくて、けれど現帝にしか認識できない。だから帝さまはわたくしを拾った……のではなくて、帝足り得るほどの力を持つわたくしを、「籠に押し込めた」らしいのだ。次代帝が身元を本部に引き取られるのは本当に代々行われてきたしきたりでも、わたくしは少し違う――知恵をつけないようにほとんど外へ出さず、帝さまを疑わないよう暗示をかけ、自分が次代帝だなんて知る由もないように囲われて。帝さまを信じるほど、暗示が強くかかっているほど……帝さまの望む通り、心力を放出する【人形】でいられるから、だ。  帝さまは民に暗示をかけていた。神の子がいれば安寧は保たれる、協会本部に従えば平穏は約束される、と。けれどわたくしが毎晩聞いていたのは神さまの声なんかじゃない、帝さまに聞かされた幻聴。  天雀さんは苦く笑いながら教えてくれた。辛かろうが、現実だと。乗り越えて前へ進んでほしいと。……よく分からないけれど、お父さんから遂げなければならないなにかを託されて戦って、唐笠さんをあんなに心配させて、一番大変なのってきっと天雀さんだ。それでも誰かの前でずっと笑って振る舞える、やさしいひと。  心術とは心あってこそ展開できるもの。けれど不死を得ようとしていた帝さまにとって次代帝ほどの大きく神聖な心力は、変若水のためにこそ必要だった。そして次代帝が仮に帝さまの目的に気付いてしまったとき、その心術はただ、本懐を遂げるにあたって邪魔になるかもしれないだけの不必要なもの。  だからあのとき、わたくしの心を壊したんだって。歳をとるごとに心力の神聖性は衰えるから。  ななつまでは神のうち。  それを過ぎる前に、心を壊してしまったんだって。記憶を消して「神のうち」をやり直せば、心力は衰えないから。だからあの日、初めての「儀式」で。  帝さまはずっと割れた窓の下で俯いている。話しかけても、あんまり返事は返ってこない。天晴さんのことなら、時々。  天雀さんはもうすぐ船を出すというとき、そんな帝さまに歩み寄って、屈んで、顔を覗き込んだ。 「土産やありやらる言うたじゃろう、天晴から。必ず渡しゃられ、と言われとらるゆえのう、持って帰られりゃせん。また叱りゃれらぁんは御免じゃ」  そう言って懐から取り出したのは、……なんだろう、あれ。どこかで、と、思って……全く同じ物が天雀さんの耳から垂れて、マフラー状になっているマントに縫い付けられているのを見た。色も形もおんなじだけれど、少し……素材? が違う、ような。 「……天晴に言うことはもう、無い。あれがすべてだ。会うこともないだろう」 「そいか。……残念がる」  それだけ交わすと天雀さんは立ち上がって、唐笠さんを連れ部屋をあとにした。お見送りを、と駆けようとしたわたくしを、狭ちゃんが引き止める。心配そうな苦笑い、――なんだか今日はみんなにこんな顔をさせてばかりだ。 「どうする? 帝、なるの?」 「やだ、ならないよ。でも荘園さんとはもっと仲良くなりたいから、マツリゴトはやってみる! 【帝】の代わりも考えるの!」 「……なら、私が補佐をしよう」  より笑みの苦くなった狭ちゃんから、不安がありあり滲み出ている。よろしくない未来を想像しているのだろう。シツレイな、わたくしだって本気を出せば政治のひとつやふたつくらい。……ふたつはないか。 「名前、変えるかい?」  そっと頭を撫でながら、苦笑いのまま少しだけあの温かさを浮かべて、狭ちゃんが覗き込んでくる。  ……たったひと晩。なのだけれど、なんだか懐かしくさえ思えるその温もりに、ゆるりと目をとじた。 「ううん、仕方ないからもらってあげる」 ――告げる喇叭(らっぱ)、美しい玉の鳴る音、(れい)……叭玲。  宣託は当然やめる。もう誰もわたくしを御上と呼ばないのなら、あの人が……帝さまが、だれかに祈ってつけたこの名前に甘んじてあげるのも、いいかなぁって。  動かなくなって、ときどきまばたきするだけの帝さまに、意思があったこと。  わたくしは慈悲深いから、その証拠を背負ってあげるのです。狭ちゃんだってそう、お世話を焼いてあげるらしい。  生きているのに動かなくなったこのひとが、国のためじゃなくても国を復興させてくれたこと。それだけは変わらない事実だから。  今度こそはわたくしが国のために、自分で考えて自分で決めて、国をよりよく発展させてみたい。これはこの国が、民のみんなが大好きなわたくしが自分で決めた、初めの第一歩である。 「結局……天晴様とあの男に、何が?」 「関係なかろうて」 「若が巻き込まれたので、あります」 「ははは! まあ誑し込んだっちゅうとこか。相変わらず厄介な男よ、我が父ながらな」 「た、たら」 「阿呆。憧れようたんじゃ、帝は荘園に、天晴という男ん人柄に」  縁側に茶を持って来たハヤトの頭を軽く叩く。相変わらず真顔でそこをさすりもせず、苦そうに顔を顰めた。 「……では、結局なぜあんな、廃人のように」 「果たしたかったんは天晴んとの「約束」でありゃあせん、己の「生きてほしい」っちゅうただん欲だったと。そいに気付きゃあて月夜見の特性と反発、拒絶反応でも起こしやぁたんじゃろうて……あとは自棄か。あん水とて、放っとうても本物ん変若水足り得たか怪しゅうモンじゃ、月夜見の特性や鑑みりゃあな」 「神降ろし……一旦は成功していたんでしょう?」 「まぁ何年も願いを歪めちゃ偽り続きやぁたんじゃ、偽りを真実とほんに信じられとう内は……辛うじて」 「で、結局帝と上主様の約束とは何だったんです」 「あー野暮じゃ野暮じゃあ、天晴ん聞きゃあれい」 「たらい回しなんですが……」  ――いつか美しゃあ協会ん姿や見やらるまで、死にゃあせられんのう。  ――ん? はは、何を当たり前ん事ぁ言うちょらるか! 死にとうはにゃあよ、そいな奴がどこんおらる?  そんな言葉ひとつでこんな事態が引き起こされるとは、天晴自身思ってもいなかったと。あの日、詫びられた。そう、国を離れた天降しの日。自分が死ねば妹の音春へ天照が宿るよう、儀式を執り行ったときのことだ。「帝にもお前にも悪いことをした」、と。  結果として、あの場で死なずに済んだのだが。何とか自国に戻って来て、こちらも無事戦はなく平和であったこと、しばらくそのような動きもなさそうであることを確認して。そうしたら気が抜けたのか眠気なんか訪れる――縁側で茶を啜りながら団子を食べて、鳥がさえずって。こうも穏やかだとまるで嘘のようだ。 「……ハヤト、みたらしゃあいい加減飽きゃあたぞ。察して餡子持ってきやられ」 「無茶言わないで下さいよ、亭主関白ですか。まったく」  、目を――瞠りそうになるのを、堪えた。  ……そうか、こんな風に。こんな瞳で、こんな声色で。  次の瞬間にはもう、ああ通じてしまっているのだと、それゆえにか、と。腑に落ちる。契約者だからではない、ひとと、ひとだからだ。  分かり合うため手を伸ばし続けてきたひとりとひとりが、ここにいる。  初めて見たそれは、陽のごとく柔いぬくもりを湛えていた。 「待っていてください、すぐお持ちしますから」 「あぁ、今日や日差しゃあ暖かぁゆえ、寝てしまう前にな」 「すぐお持ちしますって言ってるでしょう。起きる努力をしていて下さい」  立ち上がり、静かに――ゆっくり、振り返らずに去っていく足音。   それが遠く離れれば沁みだすような幸福があふれ、逃がさぬようと目蓋を下ろす。 「おやすみなさい、天雀様」
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