後日、協会本部にて、小噺

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後日、協会本部にて、小噺

【土産】  天晴から手紙が届いたという。  内容なんて知れているだろう、どんな恨みつらみが書いてあるやらとそのあたりに放らせた。  その紙切れを、ただ眺める。 「君がかの」 「第十六代目、帝だ」  協会で成人とみなされるは十八歳、同時に就任した帝。当時は協会の困窮がひどくでっちあげの神もいない、ゆえに「協会思想」なるものもなく両国の関係は至って友好――とまでは言えるかは甚だ疑問ではあったが、敵意を抱く理由がなかったことは事実。荘園……天晴は協会にたびたび支援物資を送りながらも「対等な関係」を理想と掲げ、返礼などは一度も求めなかった。  ともかく、不可侵条約がなかったころの話だ。帝に就任し初めて荘園の御所に赴き、上げた顔の先――眩しいくらいの笑み。事実、わずか眩んだ。  自国の貧困さ、余裕のなさを、突き付けられるようだった。 「吾が名は藤天晴。好きゃあ呼ぶとえい」  そう言った男は先も言った通り輸出入でもって、協会にたびたび恵みを与えていた。恥、屈辱、悔しさはやがて、男の性格や人柄が変えたのだろう、純然な感謝や尊敬へと変わっていった。  いつか必ず協会も、この荘園という国のように。あるいはそれ以上になって、今度は俺が天晴を支える番だと。けれど二年の月日が流れても、自国は一向に復興へ向かいすらしなかった。土地も海も悪化しているのではないかと思うほど困窮は改善されず、ただただ天晴からの支援で何とか民が生き延びているような状態。焦っていた、ひどく。足を引っ張り寄りかかっていることにも、このままでは国が滅びてしまうのではないかという恐ろしい想像にも。  それを会うたび察する天晴は、大丈夫だと、何度も言い聞かせてくれた。その言葉だけが頼りだった、その声だけが俺の平常心を保たせていた。その、自国では濁り切って生き物も死に絶える海を――そんな海をどこまでも澄ませて陽で照らしたような、静かな瑠璃色、それが俺に「大丈夫だ」と言うだけで。あんなにも心は凪いだ。あれこそ天照たらしめる博愛、誰しもを等しく照らす慈愛なのだろう。天晴は違いなく、神そのものだった。絶対的に。  だのにその藤天晴という男は、神を降ろしてなお、否。神を降ろしてこそ死へ駆け走る。それをどうか、どうにかできないのかと思っていた。死ぬなんて神ではないだろう。  だって言っていた。協会が復興するまではと、死にたい人間なんていないのだと。俺とて天晴を失いたくないのだ、ならばこれでこそ、寿命を食われる定めより開放することでこそ、彼の力になれないものか。  死ぬなんて神ではないだろう、けれど天晴の慈愛も尊厳もすべて「神」のそれそのものだ、なのにどうして――そうか。心根が精神が神足り得ようと、身体が。容れ物が【ひと】のままだからなのではないか。  天晴をひとに繋ぎとめるすべてが要らない。邪魔だ。  そうして自国の文献を漁り出てきた――変若水の文字列。月夜見。  これだ。そう思った。  現に天晴は天照を降ろしている。ならば月夜見とて同じこと、降ろす方法は必ずやある。そして不死を司るその神と、死してほしくないという願いを込めた心力さえあれば。  次代帝の場所は常に感じている。その心力を利用すればいい、歳をとって神聖性が薄まる前に記憶を消してゼロからまた「神のうち」をやらせればいい。  そうなると問題は、国だ。この状態のまま放置して変若水を作っても、天晴のことだ、きっと飲まない。そんなことよりやるべきことがあっただろうと諭されて終いだ、それじゃ意味がないんだ。――力業の賭けだが、心力を国中に放出して干渉を試み、無理やり生き返らせるしかない。  結果として試みは成功し、自国は復興を遂げた。作物も限られているが育つようになり、川には魚が活き活きと泳いで――海は澄んだ瑠璃色となった。  激しい消耗に目眩と吐き気、脳がブレるようなふらつきに襲われながらも、達成感で胸は躍っていた。「神の子」たる心力の源も揃った、少々時間はかかるが天晴に変若水を作ってやれる。 「天晴、俺が変若水を作ろう。それでお前は死なずに済む」 「……そにゃあことせんでえい、分かっとろう」 「なぜだ、死にたくないんだろう?」 「死にとうはにゃあな、そりゃあ。しかし帝よ、そいでお内が不幸んならるならばそいなモン要らん」 「俺が不幸に? 何だそれは」 分からにゃあならなお作りやるな。  そう笑った男が当主を降り「上主」とやらになったのは、それからたった数年後だった。  叭玲を拾い心を壊して。変若水への準備は着々と進んでいたというのに。天晴は易々、神を息子に降ろした。  継いで衰弱し死していく定めの伝統を受け入れ、息子に国を託した。俺が変若水を作ると言ったのに、だ、言ったにも関わらず天晴は当主を降りた。変若水があれば神のままであろうが死ぬことなどない、だから当主を降りる必要はなかったというに、――つまり天晴は俺にも変若水にも何ひとつ、期待していなかったということ。  俺が渇望し苦難し周到に用意していたすべては天晴を生かすため、だと言うのに。事実天晴の期待を背負ったのは、任されたのは。ふざけた狸の長男坊だった。憎いほど同じ瑠璃色の、瞳、何度抉ろうとしたことか。  俺がしてきたことは何だったのか。たったひとり生かすこともできず、生かす努力を受け入れてももらえずになにが帝か。そのたったひとりが求めてきたものは全て生かす俺ではなく、相も変わらず死にゆくだけの息子ごときに委ねられた。伝統のあるがまま、荘園のあるべき姿のまま。  そう、――あのとき抱いた悔しさが年を経るごとに形を変えて、いびつななにかになってしまった。  本心では天晴が死を受け入れていることを察しては、けれどそんな天晴を受け入れることができなかった。置いていかれるのが恐ろしかったのだ。  変若水を作るしかなかった。  死にたくないと言った天晴を俺が生かすと約束したから。そんなもの要らんと笑い飛ばした声、それもあんなもの本心ではないはずと自分に信じ込ませた。俺にはそれしかなかった――天晴に何ひとつ「期待されないまま」死なれるのは、俺が、虚しかったのだ。天照に突き付けられたこんな事実、抱えてどうにも生きようがない。  変若水を作るしかなかったんだ。  ――あぁ分かっている、その紙切れにだってどうせ恨み言のひとつすら書いてはいまい。誰がお前の息子を殺したか、分かっているのか、天晴。  指先すら動かすことのできなくなった、ある暖かな日のこと。あの日天雀が置いて行った――天晴が(つね)身につけていた、細く細く編んだ深紅の紐で家紋を象った耳飾り。いつも視界をちらついて姦しい。……呼吸が落ち着く。  こんな形見なら、くれてやるほうが残酷だと。あの男には分からないのだろう。分かっていながら天雀には、死にゆくあの男の頼みを断れなかったのだろう。
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