国とひと、神の在り方

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国とひと、神の在り方

城承語(じょうしょうのかた)り】:偽りとつよがり 「帝さま、おはようございます」  協会本部。帝さまの住まわれる場所にして、数多の民が祈りを捧げに足を運ぶ民らの心の拠りどころ。  しかし上層階ではいつでもしん、とつめたく静かな空気が流れている。帝さまが喧噪を好まないがゆえだ。彼のお方の過ごす最上階は世話を焼く侍女らでさえ、ときおりでしか立ち入ることは許されていなかった。例外はただひとりだけ、わたくし、だけ。  隠すように何枚も幾重にも、しかし僅かに開いた襖が並ぶその向こう、薄く色をまとい束ねられた透明なカーテンがいくらも重なりながら垂れているのが微かに見えるその、向こう。床に手をつき隙間から伺える黒い後ろ頭へ深く頭を下げて、たゆたわぬよう静かに挨拶をする。  叭玲(はれい)。  呼ばれて顔を上げると彼のお方は振り向いた。ふわりと頭の右側を覆う白い布がなびく、それだけ。遠く、お顔は見えない。 「昨日はよく眠れたか?」 「はい、帝さまのお力のおかげで、昨晩も無事に御言葉(みことば)を賜れました」 「そうか、そりゃあよかった」  ちかりとペンダントが光ったような気がした。けれどたゆたわぬよう、帝さまの望まれるとおりに。 「宣託の時間だ、行くぞ」 「はい、帝さま」  ゆうるりと立ち上がった彼のお方。迷わずわたくしのもとまで歩いてくる、来る、そして通り過ぎて廊下へ出て、侍女らが寄ることすら好まないひとふたりきりの本部を歩く。二歩ほど下がった位置を歩き狭い歩幅で姿勢を正し、なにかを問われるまで口を開くこともなく、そしてなにかを問うてくることもなく。  ひとふたりっきりの本部をただただ歩き、午前六時ぴたり、本部最上階に設けられし舞台へ。 「みな、今朝も平穏の調べが詠まれる。傾けよ」  帝さまは仰る。既に市井を見渡せるこの舞台の下には大勢の民が集まり、かの声に顔を上げれば静まり返っては、いまか、いまかとわたくしの言葉を――否。 「今朝の御言葉で御座います。神は仰せられました、」  「御上(みかみ)の姫」が告げる、神、の。御言葉を待っている。 「もー、どうしてわたくしに行かせて下さらないのですか!?」  駄々を捏ねてみる。  乾季が近づいて、魔物の凶暴化が始まったのだ。多種多様な形を持つあれらは見境なく人を襲い、食らう。民のため御上の姫なんて大仰な名前を背負っている以上、魔物を野放しにはできない。なによりこの手と足に嵌った金属の輪、その先端から射出される鋼線――この武具はまさしく帝さま自身がわたくしに用意してくださったもので、鋼線の切れ味は抜群だし、木々や土地の凹凸に絡ませたりなどで利用すれば逃げ足だって誰より速くなれる、という優れものである。  だ、というのに。本部街から歩いて三日のところで発見された魔物討伐の征戦に、わたくしが参加してはならないだなど仰るのだ。 「だって叭玲は疲れてるだろ、昨日儀式をしたばかりで」  びくり、肩が跳ねる。  「儀式」。  どうして普段は怖くなんかない帝さまを、あの「儀式」の直前や後になると、怖い、なんて思ってしまうのだろう。  帝さまは八年前――心力(しんりょく)と呼ばれる協会の民にのみに宿る御力にて、枯れ果てた土地に潤いをもたらして下さった。だけでなく、宣託、そう、「今日をどう過ごせばより平和に安全に暮らせるか」を日々神さまより聞き得る術までも見出して、この平穏を長続きする安定した【日常】へ変えてくださった、ひどく尊く偉大な御方なのだ。  土地は豊かになって作物も限定されてはいるが育つようになり、海や川の水だって綺麗になった、おかげで半島が多いこの国は海の幸が特産物となりどこも活気付いて、民はみな帝さまに、神さまに感謝して、平和に幸せに暮らせている。  だからとてもとても尊敬している。それなのに、なぜ、あぁ、 「……(きょう)ちゃんに頼むからいいもん、わたくしだって行きたい」 「はぁ……ホントに困った娘だ」  知ってしまったからだ。儀式なんて嘘、――違う。嘘なわけない。  帝さまは偉大で、素敵で、とうとくて、優しい御方。  胸元のペンダントがちかりと光る。 ----- 「今日はまた一段としばれりゃぁのう」 「そうですね……いま羽織を、」 「あーいらんいらん! お内ぁ()れを絶滅危惧種とでも思っちょうんか」 笑えません。  馬鹿な男はそう即答した。それを笑い飛ばしてやればまたむすっとした顔をする。  短気は損気、眉間の皺は癖がついたらとれないと昔っから言っているのに、こいつは――唐笠(からがさ)ハヤトは全く癖を直そうとしなかった。いや本人曰く直す気はあるらしいのだが、如何せん短気な国民性が強く出すぎたか生育環境ゆえか、もはやとっくにその眉間の皺はとれないほど深くなってしまっているのではなかろうかと思うほど……それほどに、笑ったところというものを、見たことがなかった。  なぜか――ひたりと笑いもしないのはなぜか、初めてそう思いを巡らせたのは、幾つのころだったか。手を袖に入れつつ再び巡らせればすぐに、あぁ、と行き当たる。  あのときだ、ハヤトを拾って数年、まだ吾れの父が国を治める【当主】だったころ。渋々といった様子で吾れの「従者」でいながらも、説教や反抗的な対応を繰り返し、果ては時折勝手に姿を消すような困った男……その体中の痣を見たあの日。  「完璧すぎる主君を持つにはこの身は未熟すぎる」。行水していたのだろう、川沿いの林で気まずそうに目を伏せてはそんなことを吐き捨て、ハヤトは散らかしていた脇差を納め腰に差すと、怒られるのを待つ子供のように俯いたまま突っ立った。  更地にでもする気かと言わんばかり切り倒された竹を見て、なによりあえて「防ぐ」状況を何度も作ったのだろう、結果いくつも色濃く重なった痣を見て、吾れはようやく知ったのだ。出来損ないの烙印を押され自ら家を出た少年、それが繰り返していたのは反発や怒り、ましてそれらゆえの失踪などではなかったと。「従者」となった自身が負うべき責任として課した、無茶苦茶な鍛錬だったのだ。  変わらず俯いたままの、濁った黄味帯びた頭。大きくわらって撫ぜ回してやった。  果たして男はぽかんとして、それからまた眉間に皺を寄せ――バカにしないで下さいと、至って本気で怒鳴るものだから、吾れはなおさら。  それからだ。全くできっこない料理をやらせては不味い飯を食わされたり、ならば手本をと、簡単なものを作るだけであるのにわざと調理場を散らかし後片付けをさせたり。少々長くなるというだけでなんてことはない書簡を押し付けたり、果てはさっぱり物の無かった部屋に、いらないものを散らかしてみたりした。 若、こんなことする必要ないでしょう。あとはやりますから。 若、こんなこと貴方なら面倒でもないでしょう。自分に教養はありませんよ。 若、こんなことになるまでどうして手をつけないんです。ばかなんですか、前まで片付けられていたのに。  文句を言いながら喜んだ鳶はますます、体に痣を増やした。まるで吾れを、追う、ように。 「明日に差し障ってはみな困ります」  目を伏せ、また眉を寄せて言うハヤトは要するに、はやく寝ろと言いたいのだ。酒もほどほどにしろと。  布団に入って眠って、明日を乗り越えて生きろ、と。くつくつ、思わず笑った。  ――荘園の民はみな短気。そう言われてはいようと奴は特別だろう。吾れが笑ったその瞬間、男は肩を怒らせて大声をあげる。 「貴方が一番分かっておいででしょう、一番大きな一族に、後ろ盾に裏切られたんです! 明日の戦いは、」 「ハヤト」  ぴたり。  まったく出来た側近である、吾れの言葉であればこそ一音とて聞き逃さない。  時折心拍数さえ聞かれているような気分になりさえする、そんなわけはないのだろうに、恐らくは心拍数さえ聞き逃さんとしているその柳茶色の目が、じっと、こちらの目の奥に、心臓を確かめているからだ。そんな錯覚を抱くのは。  そんなこと、笑い飛ばすしかできやしないというに。この身では。 「(いくさ)前にべらべら喋りやらるは野暮じゃあ、黙って呑むか先に寝にゃあし」  唐笠ハヤトという男。自身は戦う力を持たない法石族、本来巫術師(ふじゅつし)を選ぶ側にいる、国唯一の貴重な貴重な法力(ほうりき)源。  そのなかでさえ落ちこぼれの名を賭けられた一族の、望まれて生まれたはずの長男。されど奴は出来損なった。法力量が人より劣るのである。  吾れが世話を焼かせたところで、出来るようになったのは卵焼きくらいのものだった。  字は教養がないと言ったとおり汚いまま、なれどペンだこが途絶えた日はなく。自室とて本人の感覚では片付いているつもりらしいがとっ散らかっていて、人のことなど言えたものではない、今はもう諦めて吾れが断捨離なぞしてやっている。  とにかく不出来だ、不器用だ。要らぬと家の者に川に突き落とされてもう、何年だ、すこしの進歩もない。  痣を作るのももはや趣味の領域だろう、なれども。ふらりいなくなってどこぞで積んでくる勝手な鍛錬――それで培っためちゃくちゃな軌道を描く二刀の脇差は案外、避けるに苦労するほどにはなった。  黙って俯く鳶は、そう、あれはいつの頃だったろう。気がつけば勝手に、鷹になっていた。  脇差二刀を置き去りに、膝を摺って寄ってくる。無理くり酒瓶を奪うと自身の杯に注ぎはじめた。 「なら、自分は若に付き合う方を選びます」  ありあり、不機嫌。  そんな顔をやはり、笑い飛ばすしかないのだ、吾れは。
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