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【プロローグ】-2
秋も深まる頃になると駅のホームは底冷えするように寒かった。私は寒気を肌に感じて身を竦める。帰宅しようと駅に向かうと途中の駅で事故があったらしく、電車がストップしていたのだ。時間を潰す場所もないので、仕方なく私は寒いホームで待機していた。
「こんな遅くまでバイトしてるんだね?」
声がして振り向くと“彼”が横に立っていた。
「あ、どうも」と私は軽く会釈し
「今日は残業だったんです」と付け足す。
「それは大変だったね」
労るように彼が言い、私が苦笑すると
「肉まん好き?」
「え、ええ……」
突然聞かれて私はポカンとした。その間に彼は姿を消し、どこかに行ってしまっていた。
「……」
ぽっかり空いた空間を困惑しながら私が眺めていると
「どうぞ」
不意に声がして、目の前に何かが差し出された。開いた紙袋。その中に見える丸くて白いもの。
「え? いいんですか?」
私は戸惑いながら、それを差し出してきた人――彼の顔を見た。彼は「うん」と優しい顔で頷いた。
「寒そうにしてたから」
その言葉がふわっと心に毛布をかける。
あったかい……
二人でほかほかの肉まんを頬張りながら、私は心まで温かくなっていくのを感じていた。
それからも私と彼は同じ距離を保ち続けた。名前も知らないただの顔見知り。挨拶程度の軽い会話を交わすだけで、それ以上でも何でもない関係。そんな日々が続いた。
私も何かしてあげたいな。
胸の中にはいつもそんな気持ちが漂うのに、なかなか行動に移せなくて悶悶とする。
彼はいったい何が好きなんだろう。どんなことをしてあげたら喜ぶのかな。
あれ、私、彼のこともっと知りたいと思ってる? これって恋? わあぁぁ〜だめだめだめだめ! だって彼みたいな人はぜったい結婚してるし……
近付きたいけど
私のほうから接近することなんてできない。
私ってば、よりによって既婚者を好きになるなんて……
今までいろんな人に恋してきたけど、結婚してる人を好きになったのはこれが初めてだった。ぜったい報われないし、この歳になって恋愛に失敗したくない。次付き合う人が最後にしたかった。今まで生きてきて得た恋の教訓は“男は漁るべからず、黙って待つべし”だ。はっきり言って私に男運はない。最悪と言ってもいい。今回も同じだろう。ぜったい、ぜったい最後には泣くことになるんだ! だから漁らず、焦らず、黙って待つべし、待つべし、待つべし〜っ!
大丈夫、そしたらあとは時が忘れさせてくれるはず。
私はこれからも引き続き“密かに思いを寄せるただの顔見知り”を続けることにした。
――私が黙っていれば、彼のほうから距離を縮めようとしてくることはない。
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