専務との対面

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あれから半年…。 厳しめ…っていうか、意地悪よね…。 暢子は電車に乗って、ふぅーと息を吐いた。 窓の外は、すっかり夜の帳がおりて。 満月がガラス越しに頭上に見える。 榎本との邂逅までの日々を、思い出していた。 髪は相変わらず飛びはねるし、朝もブローが面倒くさいので、今ではひっつめのおだんご頭だ。きゅっきゅっ、と一つにまとめる。 あのときのオーダースーツも随分くたびれ、今では3着目を注文中である。 過労で少しウェストが落ちていたのはラッキー?だった。 「遅いよ!」 「早くやって!」 「もたもたしすぎ!」 間違いがないように二重チェックをしていると、せっつかれる。 だからといって、ミスがあると「これ違う」と詰られる。 あの整った顔が歪むのだ。 怖いどころじゃない。 (ヒー)と思いながら、とにかく集中して仕事をするようになった。 その合間に、榎本に言いつけられた用事をこなす。 最近では、榎本個人の通帳まで預かるようになり「3万おろしてきて」「高級菓子を買ってきて」と言いつけられる始末だ。 体のいい使いっぱしり、なのだろうと思う。 ただ、辛いなぁ、と思うことがあっても、 総務部にいたころと比べるとまだマシだった。 至らないところがあるならば、自分で努力すればどうにでもなる。 そして、だんだんと秘書の仕事が好きになってきている自分がいた。 唯一できないのが、レセプションパーティーといった公の場の同伴だ。 才色兼備とは言いがたい、平凡な暢子の容姿では…榎本は連れていくことができないのかもしれない。 予定表をみると、すべて1人で行っているようだった。 しょっちゅう社長付きの秘書として、出張している梨花が羨ましい。 この間はカリフォルニアにだっけ…取引先の支社でのパーティーにお呼ばれしたって言っていたっけ…。 ドレスアップして社長と寄り添い歩く梨花の姿が、社内報に載っていたな。 その反面、榎本の隣をドレスに身を包み優雅に歩く自分の姿が想像できない。 もし、隣を歩けるのならば、榎本はあの優しい笑顔を向けてくれることがあるのかな…? トンネルに入り、向かいの車窓に映った自分に問いかける。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「もう帰れば?」 「え?」 顔を上げると、榎本がいた。 来週の臨時営業会議の議題をまとめているところだった。 「死相が出てる」 「え?」 慌てて顔を押さえる暢子。 「無理して倒れられたら迷惑なんだけど」 「……」 「それにいつまでもここにいられると邪魔」 「すみません」 ギロッと睨まれて、暢子はすくみあがった。 (また、すみませんって言っちゃった…) 若干落ち込みながら、バッグを開けて帰り支度をする。 そのとき、榎本がつぶやいた。 「本当に、残業が好きなんだな」 「……好きなわけではないです。ただ家に帰ってもやることないし…」 「へっ」 榎本が声を出す。 (いま、バカにした?!) 暢子が榎本を見ると、ほんのすこし、目尻にシワが寄っていた。 優しいとはいえないが、笑みがこぼれている。 照れた暢子は、 「せ、専務は帰らないんですか?」と聞く。 時計を見ると、21時を回っている。 そのとき突然、ドアが開いた。 「龍大ー飲もうぜー! …っとすみません。取り込み中?」 長身の男性が、驚いた顔で暢子を見る。 「じゃ、ない。早く帰って」 暢子に向かってシッシッと手振りをする榎本。 (これから飲むのか…花金だもんね) いつもは威厳のある専務から、1人の25歳男性の素顔を見たような気がした。 ほんのすこし、可愛いと思った。 「では、失礼します」 暢子が頭を下げると、 榎本は「あ…」と、何かをいいかける。 「はい?」 「おつかれ」 ぶっきらぼうに言って、顔を背けた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 意地悪ではあるけど、きっと優しい人なのだと思う。 だからこそ、あの笑顔がもう一度見たいな…。 電車は知らないうちにトンネルを抜け、暢子の最寄り駅に着くアナウンスが流れた。
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