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病室で華絵にすべて話し終える、と同時に。
ナースが「消灯時間ですよ」と電気を消しにきた。
(あ、もうそんな時間か!)
と弥生が華絵にタクシーで帰るよう、財布を出そうとしたとき。
「今日は一緒に泊まるって、武には話してあるから」
と言って、華絵はそばにあった簡易ベッドを出して寝転がった。
「いいの?」 弥生が聞くと、
華絵は力強くうなずく。
華絵の優しさにじんわりとくる。
真っ暗になった病室で、しばらく沈黙が続いた。
華絵はきっと…弥生の話を反芻しているのだろう。
もしかしたら呆れているのかもしれない。
「……」
「……」
突然、華絵がつぶやいた。
「まさか、三橋社長だったなんて」
「……ごめん」
「なんで謝るの。そんなすごい人に愛されるなんて、やっぱり弥生ちゃんはタダ者じゃあないね」
「……」
「…ただ。もしなぁ、武の子どもが他にいるって考えたら、私はめちゃくちゃ悔しい。だからもし子どもができたことを知ったら、あの奥さんの矛先は弥生ちゃんに向かうよ」
「…そう…だね」
「しばらくは…元カレの子どもとして育てたほうがええかも…な」
「……」
「産休もとらんほうがええな。あの奥さんは会社の人事まで顔つっこんでるでしょ?」
「……そうだね。そこまで考えてなかったわ。
会社やめて実家に戻るしかないかしら…」
「長田さんに相談したらええよ。悪いようにはしない。あと長田さんの奥さんがな、看護婦さんだったから色々アドバイスもらえると思うよ。
実は…私もなぁ、実は妊娠の相談のってもらってん……。欲しいけどなかなか思うようにいかなくて…な。身体冷やすなーとか、基礎体温つけなさいーとか毎回怒られてるよ」
「……」
「赤ちゃん出来るのは奇跡よ。宝だよ。私も協力するから…軽々しくはいえないけど、産んでほしいと思うよ」
「…ありがとう」
「営業は会社におらんからな、どうにかこうにかごまかしできるよ。ゆったりめの服きたりしてな。仕事も私もこれまで以上に頑張るから…でも本音はなるべく早く復帰してほしいな。毎月の収支報告書いつも数合わないの、なんでだろ~。
あと預け先な…営業所内に託児スペースつくって交代で見回るとかしようか?…って。え?!」
暗がりのなか、突然弥生に抱きつかれて、華絵は驚いた。
震えながら、鼻をすする弥生に、
「弥生ちゃん…泣いてるの?」と聞く。
「……ん、ありがとう。ありがとう。華ちゃん」
「…そんな。私は…」
「不安なの。子どもが出来たのはすごく嬉しい。だけど…本当に産んでいいの? 何よりも三橋さんの反応をみるのが怖い。家庭があるし、社会的地位のある人なんだよ。喜ばないかもしれないじゃない。…怖い、怖いのよ」
「……」
弥生は続けて言う。
「三橋さんには…絶対言えないね」
「……」
「…隠して育てるしかない。二度と会うこともないだろうし」
三橋との思い出が、脳内をフラッシュバックする。
迎えにくるとかなんとか言ってた気もするが。
どこまで本気にしていいのだろうか…。
でも…駄目だ…。
あてにしてはいけない。
私1人で育てていかなければ。
泣くのは今日で最後にしよう。
氷女、鉄火面…。
今まで散々言われてきたじゃない。
感情を押し殺して、たくましく生きていかなきゃ、これまでのように。
この子を産むときは35歳になる。
父親を知らないけれど、どこに出しても恥ずかしくない立派な人間に育てなくちゃ。
やってやる!と思ったとき、
思わず声がもれた。
「フフ…フフ……」
「ど、どうしたの?!」
「いや、気にしないで」
「…そうはいっても…気になるよ…」
弥生の頭の中で、今後のシミュレーションが繰り広げられる。
でもまずは無事に産みたい…。
今はそれだけを考える。
華絵に出会えた有り難さもかみしめながら、弥生はようやく安堵の眠りについた。
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