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「おはようございます」
朝早く行くと、朝原がすでに席に座っていた。
朝原は弥生を見るとビクッとして、不自然な笑顔で挨拶を返す。
(華ちゃんの言ったとおり、変な奴ね…。
ってあれ?)
机の引き出し、開けたまま帰っていたかしら…。
引き出しが1cm程度だが開いていて、しかも名刺の位置が微妙に違っている……。
(おかしいな…)
朝原を見ると、何食わぬ顔で仕事をしていた…。いつから来ていたのだろうか。
弥生は朝の準備のため、始業の30分前には来ていて、自分てもかなり早いほうだと自負している。
(…疑っちゃ悪いわよね。単純に閉め忘れたかもしれないし。それに新人だから朝早く来るのも当たり前か…)
その時はそう思ってやり過ごしていたのだが…。
ハッと視線を感じて振り向くと、朝原が背後にいることが多い。
だからといって、彼はあらぬ方向を見ていて視線が合うことはないのだが…。
(…なんだかうす気味悪い)
営業のメンツからは、朝原はすでに「使えない」と不評をかっていて、当初は営業外出していたのだが徐々にその機会が減っていき、営業所内にいることが増えた。
なにをしているかというと。
じっ…と微動だにせず、仕事もしない。
長田さんもほとほと困り果てて、それとなく本社の人事に掛け合ったそうだが、何か大きい力が働いているようで朝原の話題になると、いきなりガチャンと電話を切られる、ということだった。
(なんか…やったのかしら。私と同じように)
その点に関しては少し同情をしてしまう弥生だった。
そんなこんなでも。
弥生の妊婦ライフは順調そのものだった。
つい最近、赤ちゃんの性別が男の子であることがわかり、出産への準備し始める時期に入った。
男の子だから、三橋さんに似るのかしら。
早く会いたい…。ワクワクが止まらない。
以前よりお腹も出て、赤ちゃんも動くようになっていた。
そのとき「うっ」などと声が出そうになるが、なんとかこらえる。
でもさすがにごまかすのが難しいと思っていた矢先…。
案の定、朝原が気づいた。
「やっぱり妊娠されてますよね?」
「……なんで? 私が妊娠してるって、あなたに関係ある?」
「……だって重いもの持てないじゃないっすか。俺が代わりに、と思ったんですけど」
「そうだったのね。ありがとう」
(他人のこと気にするよりも自分の仕事せいや!)と言おうか迷ったが、結局やめた。
「…結婚はしてないんすか?」
「…はい」
「…相手は……知って…る?」
「それこそ、あなたに関係ある?」
弥生は強い口調で遮って、朝原に歯向かった。
「結婚しない人は、産んではダメなのかしら?」
いけない、おもいきり私情が入っている。
頭で理解はするものの止められそうもなかった。
「ダメなことはないですけど……。でも結婚しないと、経済的に育てられなくないですか?」
「…余計なお世話よ。なぜあなたにそんなこと言われないといけないの? プライベートに立ち入りすぎじゃない?」
弥生はイライラして、大声を張り上げた。
(こんなときに、華ちゃん、長田さんにいてほしいのに!)
華絵は松山まで備品の買い出しに出かけ、長田さんにいたっては朝原の代わりに営業回りで外出することが増えていた。
「ダメなことはないです……。でも不倫とかじゃないすよね?」
「……!」
一瞬動揺して、視線がブレた。
それを朝原が察知して。
ニヤっと笑った。
「俺…言いませんからね」
「……」
弥生は何も言うことが出来なかった。
今は何をいっても墓穴をほりそうな気がする。
(私のバカ! なんで…動揺しちゃったの…)
スキップしそうな勢いで出ていく朝原を横目で見ながら、弥生はうなだれた。
今の応答のやりとりで、朝原への疑惑は増した。
奴はやっぱりスパイかもしれない。
これをもし真実子に伝えられてしまったら…どうしよう。
弥生は深呼吸して考える。
考えて考えて…。
(絶対嫌だと思っていたけれど、この子を守るためなら!)
弥生はどこかに電話をかけ始めた。
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都内のバーにて。
綺麗めな女性が、待ち合わせ男性の元へとやってきた。
無言で男の隣に座る。
男は神妙でありつつも、どこか嬉しそうな顔で告げた。
「やっぱり…クロだったよ」
「……!」
女は下唇をかみしめた。
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