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弱った様子の榎本は、
いつもの完璧さがなく、隙だらけだ。
でもこれが本当の榎本専務の素顔なんだと思う。
私といるときくらいは素顔でいいし、
なんなら弱音だって吐いてほしい。
だって私は専務の秘書だから。
「ふざけるな。あとで復讐してやる」
うわ言をブツブツと言い続ける榎本。
ワックスで整えてきた前髪が崩れ、少し幼い。
顔を覆っていた榎本の両腕を、暢子は優しく取り外した。
榎本がじっ…と暢子を見る。
普段は切れ長の二重瞼が、あつぼったい三重瞼になっている。
(本当に調子が悪そうだな…)
「寝てください」
「やだ」
(やだって…子どもみたい…)
暢子は心のなかで苦笑する。
「30分だけでもいいですから」
「……」
「少し寝るだけでも、全然違いますよ」
暢子は着ていたジャケットを脱いで、榎本の上にかけた。
「いらない。余計なことするな」
暢子のジャケットを払って、
起き上がろうとする榎本。
それを止めようとした暢子だったが…。
落ちたジャケットに足をとられ、
榎本の上に覆いかぶさった。
「きゃっ」
「うっ」
「……イタ」
顔を上げると、すぐ側に榎本の顔がある。
一瞬何が起きたかわからず、まじまじと顔を見つめてしまう。
「どいて」
低く不機嫌な声で、榎本が言う。
「あああ…ごめんなさい」
慌てて、立ち上がる暢子。
「寝るから向こういってよ」
榎本が反対方向に寝返りをうつ。
ジャケットを再び掛けようとしたが、
嫌がっていたから迷惑だと思い、パタパタとはたいて自分で着た。
救護室に毛布があったことを思い出す。
そのまま専務室を出る。
初めてだった。
異性の身体にあんなに密着するのは。
細身に見えて、案外筋肉質だった。
少し意外だ…。
専務に声をかけられなかったら、私はあのまま抱きついたままでもいいと思ってたかもしれない。
…な、なんていやらしい人間なんだろう。
専務をそんな目で見るなんて。
暢子は、歩きながら首をブンブンふる。
ふと榎本には彼女がいるのだろうか、と思った。
仕事人間に見えるが、すでにいるのかもしれない。
森山と梨花が同棲していることにも気づかないくらい、恋愛には疎い私だもの。
いたっておかしくないよね。気づいてないだけかもしれないよね。
足を止めて、もと来た専務室を振り返る。
熱が出ているし寝たらさっきのことなんか忘れてるよね。
まだ、榎本のぬくもりが残っているような気がする。
暢子はわざと自分の前をパタパタはたいて、救護室のカギがある総務部に向かった。
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