番外編③ さらばミツハシ part4

6/9
前へ
/145ページ
次へ
「は? いなくなった?」 伊田の苛立った声が、電話口から伝わる。 朝原の脳裏に、仕事で叱咤されていた頃が甦った。 伊田はよく怒っていたが、朝原を可愛がることもあった。 家にも遊びに行ったし、そこで…元妻にも出会い、いっときは義弟になった。 しかし、夏目という男に寝取られ、自暴自棄になりパチスロや賭け事で、気がつくと借金だらけ…。 そんな朝原を救ったのが、またしても伊田だった。 懲戒免職になりかけていた朝原を異動させて裏で手をまわした。 でもそこには、ある思惑があって……。 「…は、はい、すみません。気がついたら会社は病欠扱いになってまして、マンションももぬけの空でした」 「……」 「それと、倉庫に細工してたのも見破られました…」 「…お前バカなの? 前西弥生を舐めるな!ってあれほど言ってただろーが」 「……」 「もういい! お前に期待した俺がバカだったよ」 「か、金は…」 「渡せるわけねーだろ。バーカ!!」 電話を切られて。 公衆電話の中で、朝原は悶絶した。 伊田は伊田で、頭を抱えていた。 「朝原のバカが! 真実子さんに言いにくいじゃねぇか……ハァァ」 深いため息をついてから、意を決して、三橋家へ電話をかける。 「もしもし、三橋ですー」 珍しく、真実子の明るい声が響いてきた。 「伊田です」 「あ、伊田さんか。今日ね、孝太郎さんが久しぶりに、やっーと帰ってくるのよ。だからいま準備中なんです。用件はなに?」 「例の件…朝原のバカが計画失敗したようで。前西弥生にも、まかれたようです」 「あらそう。でもねぇ、前西弥生はもういいわ」 「は?」 「勇二さん…って元彼に、私から会いにいったのね、そしたら彼女の子どもは自分の子です、彼女にも言われたから間違いないですってキッパリ。しばらくしたら今の奥さんと別れてやり直すと約束したって言ってたわ。だからもういいの」 「……」 「私…今夜…勝負かけようと思ってる。孝太郎さんの子どもは私が産むわ。ああ伊田さんたちにはいろいろ迷惑かけたわね。お金振り込みますからね」 「は? なんですか、それ。あやうく犯罪者になりそうだったんですが」 「犯罪者? 私はそんなこと頼んでないけど。伊田さんが個人的に恨んでただけでしょ。そろそろ帰ってくるから、切ります。それと、孝太郎さんに疑われたくないから、伊田さんからはもうかけてこないでね。さようなら」 ブツ。 ツーツーツー 「……クソ……。覚えてろ……」 伊田の握りしめたこぶしが震える。 その頃、真実子は花柄エプロンを着て、 グラタンを作っていた。 「フフフーン」 鼻歌を歌い、上機嫌だ。 チーズをかけて、あとはオーブンで焼き上げるだけ…。 「あっ! 忘れてた」と言って、戸棚から赤いビンを出してふりかける。 ラベルには書いていないが、いわゆる精力剤だった…。 それにもうひとつ、青いビンを取り出した。そこには…。 と、チャイムが鳴る。 「ハーイ」と出ていった真実子の後ろ姿は、 下着同然のノースリーブニットに、ミニスカート。 髪は横流しポニーテールで、少し幼めにしている。 (考えてみれば、あんな地味な年上イモクサ女とどうこうなるはずないわよね。 …今夜は私から攻めてやる!) エプロンのポケットには、使う機会がないといいと思いつつ、オモチャの手錠と青いビンが入っていた…。
/145ページ

最初のコメントを投稿しよう!

509人が本棚に入れています
本棚に追加