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番外編③ さらばミツハシ part5
健太郎が産まれて一週間…。
弥生は退院の日を迎えた。
母は数ヶ月、弥生の職場復帰のときまで、
一緒に面倒を見てくれることになった。
入院中は、
「ねえ、お母さん。私の旦那って誰だった? 名前聞いた?」と、隣のベッドの人がギョッとした顔でこちらを見つめているのを無視して問いつめたが…。
「聞くの忘れちゃった。背の高い人だったことは覚えてるんだけどねえ。マスクしてたから顔はわからなかったわ」
と要領を得ない答えが返ってくる。
「髪の毛は? 少し天パだった?」
「ごめん、そこまで見てないわ」
じゃあどこを見てたんだ!
もう少し娘の(仮)相手に興味を持ってよ…ガクッ。。と気が抜けるが。
まあ仕方がない。
勇二でないことは確かだ。
「奈々ちゃんと違うわねぇ、健ちゃんはやっぱり男の子って感じ」と言って、
弟の赤ちゃんと抱き比べて楽しんでいる。
そういう母の姿を見て、弥生も嬉しくなった。
弥生たちはこのまま、弓子さんの親戚の離れに向かうことになっている。
落ち着いたら華絵と長田さんにも来てもらうつもりでいる。
弓子さんが聞いたところによると、朝原は辞表を出したということだ。
伊田と会っていなければ、こんなことに巻き込まれずに済んだだろうに。
少し気の毒に思った。
「健太郎…行こうか」
抱っこひもの中を覗き込むと、健太郎はスヤスヤと寝ていた。
お腹のなかにいたときとは違い、気がつくとよく寝ているおとなしい赤ちゃんだ。
今だけかもしれないが…。
産まれたばかりのときは猿のようだったけれど、今はどことなく、三橋の片鱗を感じる。目元とか…優しい微笑みを浮かべるようになるのだろうか。
「タクシー呼びにいってくるわね」
母が外に出ていく。
ロビーのソファーで1人、いやプラス0.5で腰かける。テレビの情報番組を見るともなしに見ていると。
…傍らに影ができた。
隣に座る人かなと思い、少しずれる。
「可愛い赤ちゃんですね」
声を聞いてハッとした。
震えそうになる声を一生懸命に隠しながら、
「そうですよ、私の子どもですから」
「…まったくだ。弥生によく似ている」
声の主を見ると魔法が溶けてしまうような気がして、隣に視線が移せない。
「…一緒に育てたいな」
「……よく言うわ、できないのわかってるくせに。第一あなたの子じゃないかも…しれないのに……」
弥生の目から涙がポタポタ落ちる。
「それでもいい」
「嘘よ。三橋さんの子どもよ。私欲しくて黙って産んだの、ごめんなさい」
「謝らないで。むしろありがとう」
三橋はそういうと、弥生の肩を自分のように引き寄せた。
「嫌じゃないの?」
「なんで?全然。今は難しいけれど、3人で暮らそう」
「社長ー!!」
運転手の制服を来た人が、三橋を病院に探しに入ってきた。
忙しいのにわざわざ来てくれたのだと思い至る。きっと出産の日だって…。
「あ、最後に。名前教えて」
三橋が聞いた。
「健太郎よ」
「いい名前だ」
三橋は笑いながら、健太郎の頬を触った。
健太郎がヘラッと笑った。
このまま…三橋さんと夫婦になれたらいい。
健太郎も三橋健太郎として…。
弥生にほのかな希望が生まれる。
しかし、現実はそう甘くなかった…。
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