専務との対面

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翌日、職場にきた榎本はマスクをしていた。 ただ昨日とは違い、格好に乱れはなく、いつもの完璧な「榎本専務」だった。 暢子は仕事の手を止めて、 榎本の机のそばに行く。 「専務おはようございます。体調はいかがですか?」 「…昨日よりは大丈夫」 声がかすれている。 まだ本調子ではないようだ。 (やっぱり、買ってきて良かった…) 今朝コンビニで買ってきた、のど飴をポケットから取り出し、榎本に差し出す。 「もし良かったら、のど飴……」 「それより、今日の会議の準備は完了してますか? 安斎さん」 榎本がいきなり敬語で、暢子に問いかける。 「俺のことはいいんで、自分のことやってください。余計なお節介はいらないんで」 (余計なお節介…ってそんな…) 目の前が真っ暗になる。 《気がつくのはいいけど、お節介なのよね。 あの子》 母親に言われて傷ついた過去が、フラッシュバックした。 よかれと思ってやったことが、母親にはお節介ととられ、それからしばらく口をきいてくれなかったのだ。 「も、申し訳ありません」 確かに榎本専務と距離を縮めたくてやったことだった…。 甘えて弱った姿が、普段とは違って可愛かったから…。 そして故意ではないとはいえ、抱きついてしまった…。 余計なことやって、自己満足が過ぎたんだな…私。 復讐してやる、ってあんなに嫌がってたのに無理矢理……。 ごめんなさい。嫌いにならないで。 「…これからは、自分の仕事に…集中します」 言葉を絞り出すのが精一杯だった。 目頭が熱くなる。 こんなことで、泣くなんてダメだ。 泣きたい気持ちを押さえ、顔を上げてニッコリと笑う。 そして、自分の席に戻る。 折よく電話がかかってきて、秘書室でミーティングがあるとのことで、暢子は頭を下げて部屋を後にした。 バタンと閉まり、1人残された榎本は頭を抱える。 「最悪だ、俺」 今朝、暢子がコンビニでビタミン剤やのど飴を選んでいるところを見た。 真剣な眼差しで、長い間吟味して。 結局どちらとも買っていた。 俺のためだろうな、と思った。 学生時代から、風邪をひいた榎本の元には、大量の薬やビタミンやらが、差し出されてきた。 そのなかには下心が透けて見えるものがあって。受け取ると、デートなどの御礼を要求された。 暢子は、御礼を要求するような人ではない。 ただの善意だ。秘書としてただ心配してくれただけ、ではないのか。 榎本は自己嫌悪にはまり、深い深いため息をついた。
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