番外編③ さらばミツハシ part5

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月1回の逢瀬は、銀座にあるバーだ。 会員制のためリークされにくいし、マスターも事情を知る三橋の古くからの友人なので安心だ。 ここで交わされる話は、どれもこれも社外秘(トップシークレット)な内容なのだが、一度たりとも外に漏れていないことが、マスターの口の固さを証明している。 「弥生!」 店内に入ると、先にカウンターに座っていた三橋が手を上げた。 傍らには女がいて、弥生を値踏みするように睨み付けた。 (やれやれ…またか) 弥生が遅く来ると、大抵ナンパされている光景を見ることになる。 このバーに来るのはたいてい社会的地位のあるリッチな人たちなので、男漁りに来る女も多い。 50を過ぎてもなおダンディーさに磨きをかけて、いわゆるイケオジな三橋は、よく女に声をかけられている。 女が舌打ちして、去っていく。 (フン!……チッ!) こっちも心の中で舌打ちよ。 当初は嫉妬したりして「お邪魔だったかしら~?」と嫌みをぶつけてみたり、わざと不機嫌になってみたりしたが、今はそんな気にならないほど達観してしまった。 「遅かったね」 「古橋のボケ野郎がまた計算間違いしたのよ。一度でいいから、あいつしめてやりたい」 「ハハハ…」 三橋が快活な笑い声をあげる。 おおらかな三橋と話すると、狭小な自分に気づかされる。 笑って受けとめてくれる存在がいる… 私が定年まで…働くことができた理由の一つかもしれない。 「来月はついに、定年退職か」 「そうね…こうして仕事のあとに会う機会も無くなるわね」 「いや…無くならない。待ち合わせることはできるだろう。なにも平日夜じゃなくたって」 「…そのことなんだけど。物理的に無理になりそうなのよ」 「……」 「まあ……ずっと考えてたんだけど、私……」 「……場所移そうか……」 「いや、いいわ。マスターにもお別れしたいし」 「…にも?」 「私、愛媛に移住しようと思ってるから」 「……は?」 「理由は…長田さんが足悪くしてしまって、介護する弓子さんに付き添ってあげたいの。あの二人には…恩義があるから。健太郎も自立したことだし。両親ももういないしね。よく考えるともう東京にいる理由がないのよ」 「……」 「孝太郎さんと長い間恋人でいられたのは本当に幸せだったわ。ありがとう。運良く婚姻関係は結んでないから、もうこのまま…お別れしましょう」 傍らを見ると、三橋が頭を抱えている。 「まさか今日…そんなこと言われるとは…」 「……ごめんなさい。でもずっと考えてたのよ」 「俺のことは…考えてくれなかった?」 「もちろん考えたわよ。でも…あなたは……」 「……」 「私じゃなくても、一緒に生きていける人がこの先も出てきそうだと……思ったから」 ちょっと目を離すだけで、三橋に言い寄る女性はたくさんいる。 よりどりみどりで、何も私じゃなくても…という気持ちは常に弥生の中にあった。 私に気を使ってくれて、健太郎しか子どもを持てなかったこと…本当にもったいないことをしてしまった。 私に会ったことで、女性運や家庭運を下げてしまったのでは…とずっと考えてきた。 三橋家に認められなかった私ではなく、上品で質の良い奥様と、もっと健やかで普通の家庭を築けたかもしれないのに。 今からでも遅くないから、そうしてほしい。 と、弥生はゆっくりゆっくり話をした。 三橋はしばらく黙ると…。 「……ずいぶん、甘く見られたものだな…」とため息をつく。 三橋にしては珍しく、本気で怒っているような口調だった。 (…どう言ったって、引き下がらないわよ。 これからの孝太郎さんの幸せがかかっているんだから) 弥生も意地を張る。 「やっぱり、場所移そう。マスター勘定!」 「あ、マスター……私、今日でね」 「また2人でくるから」 「ちょっ、待ってよ!」 三橋が弥生の腕をつかむ。 「いたい!」  三橋はハッと気づくと、弥生の指に自分の指をからめて恋人つなぎをする。 「…こんな……中年のおばさんと。ちょっとやめてよ。恥ずかしいじゃない」 聴こえないふりをして、三橋はずんずんと歩いていく。 (こういうところが…年下なのよね) 引っ張られながら、三橋の後ろ姿を見つめる。白髪が少し見え隠れする。 お互い歳をとった…。 だけど私は彼よりも年上で、きっと早く逝ってしまう。 あなたを最期までみてくれるような若い女性を…見つけなさいよ。 弥生はさっき言いそびれた言葉を、そっと心の中でつぶやく…。
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