番外編③ さらばミツハシ part5

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本日をもって、 前西弥生は、約40年在籍したミツハシ(三橋商事)を去る。 机の周りやロッカーはすでに掃除した。 引き継ぎも万事OKといいたいところだが、 後任の古橋がまだまだ頼りない…。 席にいて思案していた弥生に声がかかった。 「前西さん、四国支店の鎌田さんからお電話です」 (え、あの鎌田係長?) と周りがざわつく。 弥生はウキウキと電話に出る。 「あー華ちゃん、わざわざ電話ありがとう。またすぐ会うのに。アハハ、じゃあ着いたらその店連れてってよ」 愛媛営業所は四国支店と名が変わり、 華絵は3人の子どもをもうけた後、バリバリ働くワーキングママとして、現在では総務係長となっている。 その鎌田係長と弥生がなぜ仲が良いのか、周りの者は首をかしげる。 さらに「前西さん、電報ですよ」といって、 ロスの榎本夫妻から音のついた電報が送られてきた。 (なんなの、前西さんの交遊関係……) とますます不思議がる人が続出した。 「じゃあ、オフィスに挨拶回りに行ってきます」  弥生が立ち上がって去った後、 社内便が来て、弥生の机の上に、封筒が置かれた。 宛先は「前西弥生さま」で差出人の名前はない。 数字が合わずに頭を抱えていた古橋が、チラッとその封筒を見る。 そして手を伸ばし、興味本位で中を覗き込む…。 そのとき弥生が「忘れものしちゃったわー」といいながら帰ってきた。 そして古橋がもつ封筒を怪訝そうに見る。 「こ、これ」 古橋が震える手で弥生に渡す。 「あら、私の?」 「は、はい」 弥生は受け取って中身を確認して、「ハアアア」と深いため息をつく。 「中身見た?」 「み、見てません…」 古橋の目が思い切り泳いでいる。 「他言無用よ。言ったらどうなるかわかってるわよね?」 「……は、はい!」 弥生は封筒を小脇に抱えて、大事そうに持っていく。 廊下では…社長である伊田が待ち構えていた。 「今日、最後の日ですよね」 「……はい?」 弥生は後退りして警戒する。 「花束を、と思いましてね」 といって、弥生に小さな花束を渡す。 「あらま。お気遣いありがとうございます」 「常務の息子がいて、ミツハシは安泰ですな。私の立場もそろそろ危ういかな」 「健太郎に変なことしないで下さいね」 「変なこと、とは?」 「あなたがこれまでやってきた所業よ。人を蹴落とし、随分恨まれてるわよ、伊田さん」 「…そうですか。怖いなあ…ハハハ」 「例えばね、会議室…。思い出したくもないけど、夏目事件の場所。あそこに監視カメラしばらく置いてたら面白いものが撮れちゃったのよ。野村さんとのチョメチョメだとか」 伊田の表情が変わる。 「それに、来年度入社予定の末永鞠鈴(まりりん)はあなたの娘でしょ?」 「……」 「真実子に産ませた婚外子。今の奥さんに言ったらどうなるかしらね」 「……。……脅しか?」 「……あなたの出方次第よ。大人しくしてろってこと。もし健太郎を傷つけたら、私何するかわかんないからね。よく覚えておいて」 花束をバンと伊田の胸に押し返すと、弥生はそのまま歩いていった。 出産前の健太郎を葬ろうとしたこと、弥生の出世を邪魔したこと…これまでにいろいろあったが、それはもう水に流すことに決めていた。 いつまでも恨んでいても仕方ない。 健太郎にも、伊田という人間の卑屈さを伝えているし、何よりあの子は足元を掬われるような子ではない。 (健太郎! 伊田に負けないでね!) 弥生は常務室の前を通ったとき、心の中で呼びかけた。
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