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めざす公園は近所だ。 スプリンクラーが定期的に散水する円形広場では、家族連れが子供を遊ばせている。 虹のプリズムがきらめく噴霧のトンネルを、ずぶ濡れの子供たちが大はしゃぎでくぐっていく。 「随分若いわね、お兄さんかしら」 「ヤンパパじゃない?」 「やだ奥さん死語よ」 「聞こえてるっての」と舌打ち、井戸端会議に忙しいママさん連中から距離をとる。流しそうめんの準備が整うまで時間稼ぎを引き受けたものの、ファミリーの憩いの場で悪目立ちはしたくない。 「大志さーん、見てますかー」 「あーあー、しっかり見てるよ。だからンなでけえ声だすなって視線が痛ェんだよ」 水玉模様の水着に着替え、噴水広場で遊んでいたみはながぶんぶん手を振り回す。周囲のママさん連中から忍び笑いが起き、控えめに手を振り返す大志の顔がほんのり染まる。 夏の太陽の下、みはなはすこぶるご機嫌だった。 プラスチックの水鉄砲をあちこち撃ち放っては無邪気な笑いを上げ、時折思い出したようにこちらを振り返り、大志に大きく手を振る。 少し前までなら考えられなかった平和なひととき。 「俺も丸くなったな」 元ヤクザの舎弟が今じゃ立派な子守りだ。落ちぶれたとは思わないが、皮肉な成り行きに自嘲を禁じ得ない。 みはなが何故自分のような人間のクズに懐いてくれるのか、大志にはちっともわからない。 既に足を洗ったものの、大志には色々と胸を張れない前科がある。 家庭環境に恵まれず中高はグレて、施設を卒業したあとはヤクザの使い走りで生計を立てていた。 そんな大志に手をさしのべてくれたのが悦巳に誠一にみはな、児玉家の人々だ。彼らのおかげでやり直せたと思えば感謝はいくらしてもたりない。 束の間の感傷を遮ったのは濡れた足音だ。 みはなが水を跳ね散らかして大志に駆け寄り、屈託なく小首を傾げる。 「大志さんも遊びません?」 「俺はいいよ」 「暑くないですか」 「スプリンクラーで涼んでる」 「スプーン、プリン……?」 「合体事故だな」 「他に大人のひとが遊んでないから恥ずかしいんですか?」 「大人は見守る係でガキは遊ぶ係って決まってんの、世の中上手く回す役割分担って奴だ」 「えっちゃんは一緒に遊んでくれますよ」 「精神年齢が同レベルだからな」 そっけなくあしらえば、納得してないみはなが不満げにむくれる。どうやら大志と一緒に水遊びがしたいらしい……が、それだけは断る。 「わかったらあっちで水鉄砲ピュッピュッしてな」 広場の外周に突っ立ち、手の甲で追い立てる大志を見上げるみはな。 その時だ。 「くらえヤンキー!」 「ぶっ!?」 綺麗な放物線を描き、大志の顔面を水が直撃。 「てめえこのガキ!!」 「やべっ、ヤンキーがキレたぞみんな逃げろー!」 みはなの後ろで暴れていた悪ガキどもが、大志の顔に狙いすまして水鉄砲を撃ったのだ。たまらず拳を振り上げれば、甲高い歓声とともに逃げ散る。 「大丈夫ですか」 「大丈夫なもんか、目と口に入ったぞ。あー最悪、シャツまでびちょ濡れじゃねえか」 ガキを追い回すのも大人げないと自重、シャツの裾を掴んではためかせる大志。素肌に張り付くシャツをひっぺがし、風を入れて乾かしにかかれば、足音軽く後ろに回り込んだみはなが驚く。 「背中どうしたんですか」 「え」 「赤くて小さいのがたくさんあります」 咄嗟に手を止めてシャツの裾を引きずりおろす。しかしみはなはばっちり見てしまっていた。一瞬はだけた大志の背中、引き締まった腰回りに赤い斑点が無数に散らばっているのを。 「これは……」 反射的に出かけた舌打ちをこらえ、もとからよくない頭で言い訳を練る。 あどけない顔に特大の疑問符を浮かべ、そこはかとなく純粋な眼差しで、今はシャツに隠れてしまった大志の背中を凝視するみはな。 「虫刺されだよ、蚊にさされたんだ」 「ちがいます。みはなも蚊にさされてよく腫れますけど、それとは違いました」 「一瞬だろ?よく見てねーくせに」 「ちゃんと見ました、みはな目はいいんです、視力検査は1.5でした」 得意げに断言するみはな。 いよいよ追い込まれた大志は助けを求めて周囲に視線を巡らす。するとそばにしゃがみこんだ女の子が持った、プールバックが目にとまる。 プールバックには幼稚園児に絶大な支持を誇る、某魔法少女アニメのキャラクターがプリントされており、カラフルな翅が生えた妖精が微笑んでいた。 閃いた。 もったいぶって一呼吸おき、人さし指を立てる。 「これはな、妖精さんの足あとだ」 「妖精さん?妖精さんてプリピュアにでてくるあの」 みはなが目をまん丸にする。 「そうだよ、ちょうちょみてえな翅を生やしたちっこくて可愛いあの妖精さんだよ」 「本当ですか?」 みはなが興奮あらわに素っ頓狂な声をだし、大志のシャツの裾を引っ張ってもういちど確かめようとする。 「ちょ、やめ、こんなとこで脱がねーから」 「ホントのホントに妖精さんの足あとなんですか、妖精さんっているんですか。プリピュアは作り物だから妖精なんかいないって、全部CG合成だってお父さんは言ってました」 「妖精さんはピュアな子供にしか見えねーから、物欲とか下心とか色々焙煎してコーヒーみてえに目が濁っちまった誠一さんにゃ見えなかったんだろうな」 「なるほど……」 やけっぱちに言い放てば、おそろしく説得力ある言い分に感動したみはなが大志の裾を掴む手を緩める。 「お父さんは妖精さんが見えない可哀想な大人だったんですね」 「そーそー」 「どこで妖精さんと会ったんですか?子供のときですか?なんで妖精さんの足あとは赤いんですか、赤い靴をはいてるからですか、あんなにたくさんあるってことは大志さんの背中でダンスしたんですか」 「あーあーうるせえな、そうだよ連中俺の背中でダンパしたんだよ、お前にも見せてやりたかったぜ妖精の親玉のトリプルトウループ」 「みはな審査員やりたかったです」 心底悔しそうに口を尖らすのが面白い。 こみ上げる笑いを噛んでみはなの頭をぽんぽんなで、足元のリュックに顎をしゃくる。 「水浴びにゃ満足したか。ならそろそろ帰るぜ、コンビニでアイス買ってやる」 「アイス!みはなスイカのがいいです!」 「りょーかい」 目をきらきら輝かせたみはなの質問責めに辟易、そそくさと話題を変えれば途端に食い付いてくる。モノで釣るみたいで少し気が引けたが、背に腹は変えられない。こんな事もあろうかと誠一に小遣いをせびっておいて助かった。 紺と白のツートンカラー基調のセーラーワンピースに着替え、ごく自然に大志と手を絡めて歩きだすみはな。 子供特有の高い体温とふっくらした手の感触がこそばゆい。
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