戦場の足跡

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戦場の足跡

  話は第一次世界対戦に遡る。  当時私はイギリス軍として偵察隊に配属されていた。  私たちの仕事は見張り棟に陣取り、敵地を見張ることだった。敵襲があれば鐘を叩いて、陣営中に知らせた。  これは危険な仕事だった。というのも、見張りを始末して奇襲をかける、というのが戦場での定石だったからだ。  偵察隊の戦友は、皆若者と呼んでいい年齢で、気の良い奴らだった。彼らと永遠に会うことができないと思うと、今でも胸が苦しくなる。  しかし中には変わった戦友も一人いた。彼は、当時にしては珍しく大学を出た男で、植物学を学んだと聞いた。  彼が変わっていると言うのは周りより学があるからではなく、好んで詩を書いていたからだった。  戦場で詩を書くとは悠長な、と思われるだけでなく、彼の書く詩はこんな具合だった。  「この誤ちを繰り返さないでくれ   戦場に列また列と並ぶ十字架   ポピーの花がそよぐ」  反戦主義か。ポピーってなんだ。  当時、彼のいない間に彼の手帳を覗いた私は、帳面を閉じた。  その詩は、たまたま開いたページに書かれていたのだが、私はすぐに忘れてしまった。 思い出すのは数年後のことだ。  その後戦況は悪化し、戦友たちは一人、また一人と帰らぬ旅に着いた。  最後まで残っていたのは、詩を書いていた変わり者の彼と私だった。  銃弾の跡でぼろぼろになった見張り塔に座って、私たちは昼夜交代で敵を監視した。  寒さ、眠さ、空腹、そして何より恐怖を紛らわすために、私と彼は話をした。最後に触れた本や映画のこと、将来の夢、帰ったらしたいこと、等についてだ。  そして私は、時期をみて勝手に詩を読んだことを彼に謝ろうと決めた。  次の日、彼は見張り中に銃撃されて死んだ。  終戦まで一週間前という日だった。  その後私は文字通り孤軍奮闘していたところを援軍に助けられた。  戦場から元の世界に戻って、一年は栄養失調や精神的外傷に悩まされた。仕事も続かず恋人との関係も破綻しかけていた。原因が戦場で見たものや聴いたことだということは、自分でも分かっていた。  それでも私は諸悪の根元である戦争を根絶することもできず、悶々とした日々を送っていた。  私の戦争体験について、新聞記者の取材を受けたのはそんな時だった。  そして曖昧な記憶を呼び起こすために、私は記者と一年ぶりに戦場に戻ることになった。  かつて命がけで戦った戦場で私が見たものは、一面の花畑だった。  戦場を埋め尽くす赤い花は、よく見るとポピーだった。  驚く私の様子を見て博識らしい記者は、よくあることです、と言った。  「争いの激しい戦場ほど、平和になってからポピーの花がよく咲く。兵士たちの足跡が種を刺激して、発芽率を高めるようですよ」  広大な土地に広がる真紅の花は、敵にも味方にも別け隔てなく贈られる献花のようだった。  その時、記憶に変わり者の戦友の詩がふと蘇り、私はそれを口ずさんでいた。    「この誤ちを繰り返さないでくれ   戦場に列また列と並ぶ十字架   ポピーの花がそよぐ」  「良い詩ですね。反戦のメッセージとして、記事に添えても?」  記者の言葉に、私は静かに肩をすくめた。  その後、記者の書いた名文は反響を呼び、この詩は有名になった。  来年にはポピーを街中に飾り、終戦を記念する。今やイギリスで、ポピーは反戦と戦死者の鎮魂の象徴だ。  この詩は先人の足跡だ、と人は言う。    
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