4 香り(2)

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 おにぎりを渡した時、ふと思った。  彼の鋭さが消えて、微笑む顔を見るのが、私は好きなのかもしれないと。  同じおにぎりを食べながら、私たちはどちらもなにも話さず、黙ったままだった。  いつもと同じ沈黙の時間は、居心地が悪いものじゃなく、お互いが静かな時間を好むと知っているから、会話が無くても平気でいられる。  食後のあんみつは、甘いミカンと桃、こし餡、透明な寒天に、あっさりした白蜜。口の中に残らない甘さで、美味しい。  気づくと、隣の社長は食べ終わり、うとうとしていた。  変わらない昼休みなのに、私たちの距離は近くなり、お互いの香りがわかるほど。  なぜか、私はそれが心地よくて、いつもと同じように、図書館で借りた文庫本を開き、本を読む。  この時間がしばらく、続いたらいいのにと思いながら―― 「美桜(みお)」  私の名前を呼ぶ声は、とても静かで抑揚のないもので、聞き流してしまいそうになるくらい自然だった。 「名前、呼んでもいいか?」 「……はい」  私たちはベンチに座り、前を向いたまま会話をした。  返事を聞いて、安心したのか、また目を閉じで眠ってしまった。  私の肩に、彼の髪が触れ、柑橘系のすっきりした香りが漂う。
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