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2「ブルベリのアメ」
「きょかしょう、ないのかー」
幼いころに行った美術館のチケット売り場を思わせる入国管理所で事情を話すと、係員のムーンが確認するようにそう言った。
ムーン。彼ら(あるいは彼女ら)は、じゃがいもよりはまん丸で、満月よりはいびつな丸さの体を持つ未だ謎多き生き物で、総じて抑揚に乏しい喋り方をする。表情の変化もわずかで……というか、そもそもどこまでが「顔」なのかもよく分からない。
「きょかしょうがないとなあ」
背もたれとひじ掛けのある事務用イスの上に立ち、係員ムーンは言葉によってのみ難色を示す。セリフに感情がこもっている感じがしないため、「入国許可証がないとダメ」ということの「ダメ」度合いのニュアンスを、私は上手く感じ取ることができない……。
「入国許可証がないと、やっぱり、ダメ……ですよね……」
言葉とは裏腹に、「ワンチャンどうにかなりませんか」という意味のことを訊ねてみるけども、丸い体の係員ムーンから返ってきたのは、
「きょかしょうがないと、きょかしょうがないわけだからなあ」
という、ワンセンテンス堂々巡りな言葉だった。
「ですよね……」
となると、無一文な私はいったいどうすればいいんだー……。
目覚まし時計のスヌーズ機能並の頻度で途方に暮れる私を見て、係員ムーンは「ふむーん」と唸るように言い、イスをすとんと飛び降りて、管理所の室内後方のデスクに突っ伏して寝ている(のだと思われる)もう一球(ひとたま)のムーンの元へと歩み寄った。
そして管理所の受付窓口越しでもぎりぎり聞こえる程度の声で「にんげんさんが、きたぞー」とのんびり話しかけたかと思うと(そんなので起きるの?)、やはり寝ていたらしいもう一球のムーンは「もよ」と言って少しだけ体を起こし、「きょかしょうが、ないそうだー」と説明する係員ムーンに対して「ふむーん……」と寝ぼけたような声を出し……再び木製のデスクに突っ伏してしまった。
「ふむーん」
係員ムーンは、私が待つ窓口へと戻ってきてまたそのムーンたちの口癖らしき謎の言葉を発し、「とりあえず、はいってもいいというはんだん」なる驚きの逆転判決を下した。
「ははは、入ってもいいんですか?!」
もちろんはははと笑っているわけではなく、私唯一の特技であるどもりを披露しつつ確認すると、係員ムーンは「そのようだなー」というちょっと他人事みたいな感じのことを言いだす。
「どくだんせんこうはよくないですが」
「ですが?」
「ふたりできめたので」
「二人?」
二人というのは、きみと、きみの後ろで寝ているムーンの二人ということだよね? ていうか、ムーンの助数詞は「球(たま)」だと本に書いてあったけれど、それは人間が勝手に決めたものなのかなぁ?
「ふむぅ」
しゃべっているところを私がさえぎってしまう形になったせいか、係員ムーンは彼らの口癖「ふむーん」の活用形みたいな言葉を発して間を置いた後、結局私の疑問はスルーしてセリフの続きを言った。
「ふたりできめたので、どくだんじゃないんだー」
そうかぁ。彼がそう言うのなら、そうなのだろう。……たぶん。
「てをだすのだー」
「手? でですか?」変なところでどもってしまった。
「ぽっぽう、ぽっぽう」
係員ムーンはまたぞろ謎の音を発しながら、窓口から差し出した私の右手の甲にぺたんと、懐かしさ極まる芋ハンコを押した。
「にゅうこくきょかだー!」
仕事が一つ終わったとばかり、係員ムーンはそう宣言して、「がらがらぴしゃん」という効果音を自ら言いながら窓口のガラス戸を閉める。
ほ、ほんとうにだいじょうぶ? こんな感じで。
もし後から問題になったら嫌だなぁとは思いながらも、現実として、私には他にそう選択肢が残されているわけでもなく……。
「にゅ、入国だー! ……です!」
私は意を決し右手をお空に向かって突き上げ、不法入国者ではないですよということを周りにアピール……しようと思いましたが、辺りを見回してみても係員以外のムーンは見当たらず、その係員ムーンすらも私の精一杯の声量に注意を向けることはなく……デスクに突っ伏して寝ていたもう一球の係員ムーンなどは、こてんと寝返りを打って、デスクの上に盛大に寝転がった。
「に、人間が……入国、しますよー……?」
台風が来たら軽く吹き飛んでいきそうに思えるほど古い木塀と木塀の間をおそるおそる抜け、私はついにムーンたちの国へ入国を果たした。
とはいえ。右も左も分からないこの現状。
事前の話では、空き家の一つを住家として貸していただけるということだった。けどもちろんその空き家がどこなのかは分からない。古びた家屋自体はそこかしこに建ち並んでいる。しかしそれゆえに分母が大きく、それらしき家屋が見当たらない場合よりもずっと見当がつかない皮肉……。
……嘆いてばかりじゃダメだ!
私は目についた空き家らしき家屋の玄関前に立ち、都合良く『カンザキ』という表札が用意されていないか確認する。当然そんなものはーない。私の名前の表札どころか、表札自体が存在しなかった。
ということは? 空き家ということなのでは。
「ふむよ」
わずかに抱いた期待はすぐさま消え去った。玄関のドアがゆっくりと開いて、一球のムーンがのそりと顔(というか、体?)を出したからだ。
「ふむぅ」
そのムーンは似たような言葉を連続して呟きながら私の顔を見上げたかと思うと、開いたときと同じ緩やかな動作でドアを閉めてしまった。
「あわわわ……」これは私の声である。
なんだか悪いことをしてしまった。私は音を立てないように、かつできるだけ早足でその家を離れた。
驚かせてしまったかな。家を出ようと扉を開けたら、見知らぬ人間が立っていた。私だったら向こう一ヶ月は残る精神的ダメージになりそう……。
とりあえず、しらみつぶしに家を周るような作戦はとらないほうがいいということが分かった。それが分かっただけでも進展があった、というふうに思おうとしたけれど、もちろん状況は進展などしてはいない。むしろ元いた往来に逆戻り。
行き来する者のいない往来。もう昼過ぎのはずなのに、ムーンたちはおうちでいったいどんなテレビゲームをしているのだろう。あっでもこの国、テレビはあんまり普及してないんだっけか……。彼らの主流メディアはラジオなのだと、以前読んだ本に書いてあった覚えがある。
私は道のど真ん中に立ち、昔ながらのワニ叩きゲームをするときみたいに、視界のどこかにムーンが現れるのをじっと待った。我慢できず、地面の感触を一歩一歩確かめるように歩き始めた。どこかからムーンが現れたら、その子にそろそろと歩み寄って、事情を話し、アドバイスをもらうつもりだった。
左から、右へ。右から、左へ。視線をサーチライトみたいに動かす。小さな羽虫が一匹、眼前を飛んでいく。ムーンは現れない。
――困ったなぁ。
立ち止まった、そのときだった。
「いたい」と、私の背後から声がした。ふくらはぎの辺りになにかが当たる感触があった。
振り返ると、一球の、どちらかといえば小振りな体のムーンが、私の脚に追突していた。
「こっ、ここっ、こんにちは!」慌てて挨拶する私に、彼は「ふむーん」という返事をした。
「ふ、ふむーん!」もしかしてそれがムーンたちの間での挨拶の言葉なのかと思い、できるだけ声色を似せて言ってみたけれど、返ってきたのは明らかに疑問符の付いた調子の「ふむー?」だった。
「ふむー」
そのムーンは考え直すみたいに再びその言葉を発し、私の足元をゆっくりと周り始めた。そして彼自身が納得いったところで私の二本の脚を軸に周るのをやめ、一つの結論らしき言葉を導き出した。
それは「いつものひとではないようだった」という言葉だった。
「いつもの人?」それはまあ、私は「いつもの人」ではないだろうけども。
「うむー。いつものひとは、ぶるべりのあめをくれるからなぁ」
「ブルベリのアメ?」なんだか、高級ブランドの略称みたいな響きだ。
「そうだー。あうとだいたい、くれるんだ」
「そうなのかぁ……」
今ほど、ブルベリのアメを持ってないのを悔やんだことって無いし、おそらくこれからも無いと思う。っていうかブルベリってなんだろう。アメは飴? じゃあブルーベリーの飴ってことだろうか。
「しゅっしゅ」
そしてそのムーンは謎のかけ声を発し、来た道をとろとろと引き返していった。
どうにも、後を追って事情を話し、アドバイスをもらおうという気分にはなれなかった。
なにしろ私はブルベリのアメを持ってはいないのだ。
そのムーンが民家のうちの一つに入っていったのを見送った後、私は再び歩き出した。
「ブルベリのアメかぁ……」
ここがゲームの世界だったら、きっとどこかでそのアイテムを手に入れて、彼に渡すことでイベントが進行したりするんだろうな。
考えてみたら、ゲームの世界の主人公は、他人の家にずんずん入っていくことができて楽でいいなぁ……。情報集めのしやすさが違う。
それに序盤でだいたい、地図が手に入るし。
「おなか、すいたなぁ……」
あと、空腹度があるゲームも少ないだろう。
ダメージさえ受けなければ、飲まず食わずでどこまでも歩いて行けちゃったりする。
「ブルベリの、アメ……」
今それを求めているのは私だ。
ひょっとして、さっきの追突ムーンは私が見た幻覚・白昼夢の類だったのかもと思って後ろを振り返ると、まだどうにか、とても小さくだけれどそのまん丸な体を認めることができた。
じゃがいもみたいな体のムーンだって、遠く離れれば飴玉みたいにまん丸に見える。
私は歩き続けた。この道はいったい、どこへ繋がっているんだろう。
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