3「全ての道はスーパーに通ず」

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3「全ての道はスーパーに通ず」

 全ての道はローマに通ず、という言葉があるけれど、「なもなき国」においては、全ての道はスーパーに通じているらしかった。  道の真ん中で、ロープを使って電車ごっこをしながら歩いていた二球(ふたたま)のムーンのうちの一球が、そう教えてくれたのだ。 「しゅっしゅ!」 「ぽっぽう」 「しゅっしゅ!」 「ぽっぽう」 a4d872ac-9bc5-4e07-acd5-84538b56b740  たった二球だが、ロープの輪に入って歩くムーンたちのその姿は、どちらかというと散歩をする園児たちのように見えた。もちろん引率者はいないのだけれど。 「あのぅ……」  私は二球のうち、前を歩くムーンのほうに話しかけた。 「ふむーん?」  後ろを歩くムーンより一回り大きな球体のそのムーンは立ち止まることなく、しかしながらしばらく私のほうを向いて歩き続けた。おかげでほとんどカニ歩きみたいになっている。器用……。 「あああの、電車ごっこ? をしているところ、申し訳ないのですが……」 「ふむーん」  そこでようやく、前を歩くムーンは立ち止まった。そして―― 「いたい」  後ろを歩いていたほうのムーンが、彼(あるいは彼女)の体に追突した。 「だ、大丈夫……ですか……?」 「ふむーん……」と、後ろを歩いていた小ムーンが答える。「だいじぶだー」大丈夫らしい。よかった……。 「えとそれで、私が訊ねたいのは……この道を行くと、どこに着くのかということを、知りたいわけですね」 「このみち」  できるだけ分かりやすい言葉で質問したつもりだったのだけれど、大ムーンは難解な数学の問題にでも立ち向かっているかのような調子で、慎重に短い言葉を発していった。 「それは……」「てつがくてきないみではなくて……」「じっさいてきな……」「いみなのかー?」 「あっ、はい」と私が真顔になって答えると、今度は小ムーンのほうが、「すーぱーなのでは」と、疑問形かどうかあいまいな言い方をする。 「わたくしもそうおもう」大ムーンが同意する。 「スーパー? ですか?」それは、私の知っている、スーパーマーケットのこと……? 「ふむーん。すべてのみちは、すーぱーにつうじているからなぁ」 「すぱす」  ことわざみたいに言う大ムーンと、特に意味のなさそうな言葉を言う小ムーン。  二球のムーンはもうこれで用は終わったのだろうとばかり、また元気にロープを持ち、「しゅっしゅ!」「ぽっぽう」「しゅっしゅ!」「ぽっぽう」と、餅つきでもするみたいな調子で交互にかけ声をあげながら、スーパーへと繋がっているというこの道を歩き出した。  しばし、考えたのち。私も彼らについていくことにした。  急いで後を追う……必要もなく、私は二球の電車ごっこムーンに追いつく。 「しゅっしゅ!」 「ぽっぽう」 「しゅっしゅ!」 「ぽっぽう」  それなりに元気に声を出しているけれど、避けがたく鈍行だ。 「あの、私も、一緒についていっていいですか?」  思いきってまた声をかけると、後方車両役の小ムーンが「ふむー」と少し考えるように言った。そのあいだも前方車両役の大ムーンは「しゅっしゅ!」とかけ声を口にしているので、しばらく「しゅっしゅ!」の独壇場となる。 「おきゃーもの、するのかー」 「おきゃー、もの? あっ、お買い物、ですか? はい」  流れではいと言ってしまったけど、考えてみれば今の私は無一文。買い物はできなさそう……。 「かよいち、だからなー」  その辺りを説明しようかとも思ったのだけど、唐突に聞き慣れた造語が出てきて、訂正のタイミングを失ってしまう。 「かよいち?」 「そうだー。かよびだから、かよいちだー」  それは、なんというか。やっぱり、火曜にやっている特売の日のことなんだろうか。 「しゅっしゅ!」  詳しく聞いてみたい気もしたけれど、そこで大ムーンが、そろそろ合いの手がほしいぞー、さびしいぞーとばかり、ほんの少しだけかけ声のボリュームを上げてきたので、小ムーンも「ぽっぽう」と再び電車ごっこへと意識を戻していった。  これは……私も、混ざるべきなのでは。 「あ、あの! もしよければ、私も電車に乗車させせせてもらえませんか!」  上手く言えなかった。 「もよ」 「むよ」  しかしながら二球の電車ごっこムーンは、今回はぴたりと同時に、追突することなく停車した。 「ふむぅ……」 「ふむよ」  そしてやはり、彼らはしばしの思考時間を必要とする。 「むりなのでは」と、前方車両役の大ムーンが答えを出した。 「もよもよ」と、後方車両役の小ムーンはよく分からないけどもよっている。 「せが、ちがいすぎるからなぁ……」 「ふむー。だいぶ、あしがながい」  あし。あっそうか……彼らの前に入るにしても、後ろに入るにしても、ロープの高さがだいぶ変わっちゃうのか……。 「しーなのだ。いまのごじせい、そういうことはいってはいけないのだ」 「がーん」 「あめりかだったら、うったえられているぞー」 「しょびお……」  なんか、小ムーンがめちゃくちゃ切ない声を出してる……。 「き、気にしてませんから、ね……?」  実際、彼らに比べたらそりゃ脚は長いよ。人間だもの。 「しゅっしゅ!」 「しょぼしょぼ」 「しゅっしゅ!」 「しょぼしょぼ」  かけ声が変わってしまった。わわ、私のせい……? 「本当に、気にしてませんよ……?」 「しゅっしゅ!」 「しょぼしょぼ」 「しゅっしゅ!」 「しょぼしょぼ」  私のフォロー、聞こえているのかいないのか。  とにかく彼らは再び走り……というか、歩きだした。  いくぶん湿っぽく。  私、もう下手なことは言わず、黙ってついていったほうがよさそう、かな……。  そう考え、無言で彼らと歩調を合わせて歩く私の配慮とは無関係に、 「あれー? 親子ムーンちゃんじゃないっすか!」  と言って、いかにも気安く彼らに話しかける人間が現れました。 「ふむー?」 「よぼぴよ」  ほらー。なんだか変な感じで停車しちゃったじゃないか……。  って、あれ? 人間が、いる……?  ににに、人間がいる! 「お久しぶりっす! 元気してたっすかー?」  もちろんそれは私への言葉ではない。私は彼女に会ったことはない。  ……でも、知っている。私はこの、『京都』なるデカ文字がプリントされた謎Tシャツを着た女の子を知っている。彼女は―― 「げんきだー」 「わたくしは、あまりげんきではありませんが」 「そっすかー。まあ親ムーンちゃんも元気出すっす! いつものアメあげるっすー」 「わーい」と即座に元気を取り戻す後方車両役の小ムーン。 「えっ、そっちが親ムーンなのな、なんですか?」  意外な事実の発覚に、思わず会話に割って入ってしまった。 「そうっすよー。小さいほうが親ムーンで、大きいほうが子ムーンっす!」  や、ややこしい……。 「ま、まあでも、子供は親を追い越すものですもんね……? ああと、『あんなに大きかった親の背中が、いつの間にか年老いて小さく見えた』みたいなのもありますし……」  そう考えてみると、子供のほうが大きな体なのは、むしろ自然なことなのかもしれない。 「…………! 言われてみれば、そういうのもあるっすね!」  コロンブスがテーブルに卵を立てたときみたいな、驚いた表情で彼女が言う。  なんだろう、そういうことじゃないのかな……。 「ちなみに親子ムーンちゃんは、ボクが勝手にそう呼んでるだけで、特に親子関係なわけではないと思うっす」  親子じゃない。なんだそうなんだ……。でも確かに、いつもロープの輪に収まって電車ごっこをしているわけじゃないだろうし、区別のためのあだ名としては、「親子ムーン」のほうが適切なのかもしれない。 「でー、キミは誰っすか? 不法入国者ちゃんとかならー、ボクが責任持って、ムーンに代わってお仕置きするっすよ?」  そして彼女は、急に落ち着いたトーンで私に向き直り、目と目で赤外線通信をするみたいに私の双眸を見据えた。 「えあっ? えとえと、私の名前はカンザキ・サリイと言いましてこのたび『なもなき国』の入国審査に受かった唯一の選ばれし者なのですがタクシーに荷物をあらかた忘れてしまいましましてにゅ入国許可証を持っていないという意味では不法入国者と言われても仕方ありませんががが入国管理所の係員ムーンさんは通してくれたため今私はここにいるわけでしてどどどどうかご容赦ををををお願いします……!」  早口になっちゃったわりに言うべきことはちゃんと言えた……! という甘すぎ自己採点もあながち間違いではなかったのか、彼女は「ムムム……!」と露骨に眉間にしわを寄せて見せた後で、「じゃ大丈夫っすね、たぶん」と言って親指を立てる。  わーい、てきとうだー。 「自己紹介が遅れたっすね! ボクはナルセっす! よろしくっすー」  Shake hands... 「なもなき国」で暮らす唯一の人類、ナルセ・ミツキさんは、ちょうどテーマパークの人気マスコットが子供相手にそうするように、私の右手を両掌で包み込み、カクテルを作るバーテンダーみたいにぶんぶんと上下に振った。  笑顔だった……と思うのだけれど、彼女の笑顔は、やはり着ぐるみマスコットの表情と同じで、たとえば写真に撮って改めて静止画で見てみると、あるいはいつも同じ表情をしているのかもしれなかった。  そしてそれは、なもなき国の主たる住人である、ムーンたちも、同じだ。
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