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千紘くんで良かった
「ただいま~」
正月過ぎの土曜日、「学生時代の友達と会ってくる」と出かけていた絢さんが帰ってきたのは、夜の11時を過ぎた頃だった。
「おかえり~」
世の中がやっと平常モードに戻ったような時期で、あちこちで新年会が行われていたと思う。
絢さんの声は、ちょっとトーンダウンしてる。疲れたのかな?
「これ、おみやげ」
そう言って渡してくれたのは、小さいレジ袋。中をのぞいてみると瓶が入っている。
『カマンベールチーズの味噌漬け』とラベルが貼ってあった。
「行ったお店が北海道フェアやってたの。レジの横で販売してたから千紘くんに、と思って」
「ありがと」
開けてみると、キューブ型に切った飴色のチーズが入っていた。
僕はソファで、タブレットの動画を見ながらビールを飲んでいたところだったので、小さなフォークを出してきて、ひとつ口に入れてみた。
「うん、濃厚だね」
手を洗ってリビングに入ってきた絢さんが「どんな味?」と近寄ってきたので、口に入れてやる。
「ホント、これはお酒が進みそう」
そう言いながら絢さんは、ソファに座ることもなく、「シャワーしてくるね」とリビングを出て行った。
絢さんは去年、二度目の二十歳を迎えていて、そういう名目で同級会が招集され、学生時代の友人と旧交を温めあっていた。
その中の一人が、「実家に帰って来たから会わない?」と誘ってくれたらしい。
「今日会わないと、またいつ会えるか分からないから」と、混んでいるのを承知で出かけて行ったのだ。
二人だから、どうにでもなると思う、と言いながら。
僕はまた、推理物の映画の中に戻り、時間が経つのも忘れていたけど、絢さんはその後、ベッドルームから出てくることはなかった。
そのことに気づいたのは、映画が終わって時計を見た時だ。
絢さんが帰ってきてから1時間以上経っている。
…もう寝ちゃったのかな、いつもなら「先に寝るね」くらい言うのに。
疲れてそのまま寝たのかもしれない、と思って、その場を片付け、食器も洗って歯を磨くと、ベッドルームに入っていった。
ベッドサイドの小さい灯りが点いていて、絢さんは向こうを向いて眠っているようだった。
僕はそっと布団をめくると、反対側へと身体を滑り混ませる。
灯りを消そうと手を伸ばすと、絢さんが反転して僕の胸の中に入ってきた。
「起こした?」
「ううん、起きてた。ちょっと考え事」
そうなんだ、と思って、彼女の頭を持ち上げ、腕の中に入れる。
甘えたい気分なのかな、と思ったから。
彼女は僕の脇から腕を入れ、そっと抱きついてくる。
僕の首筋に彼女の吐息が掛かる。
「千紘くん…」
「うん?」
「…絶対に先に逝かないでね」
彼女の髪を撫でていた手が止った。
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