可愛い人

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次の日、目覚めると絢さんはベッドにいなかった。 それもそのはず、時計を見ると、もう8時近くになっている。 休みなのをいいことに、寝坊させてくれたらしい。 パジャマのままでリビングへ出て行くと、声を小さくしたテレビの向かい、ソファの足下のラグに座りこんで、ソファの座面にもたれかかっている彼女がいた。 「おはよう」 そう言って、リビングを横切り、キッチンスペースに歩いて行く。 「あ、うん」 浄水器から水をコップに注ぎながら、なんとなく彼女を見た。 彼女はぼんやりテレビを見ている。なんか表情が冴えない。 どうしたのだろう、と思って近づいていき、コップを持ったまま、彼女のすぐ後ろのソファに座る。 テレビの画面の端には、『不妊治療最前線』という文字が。 長く治療をしていながら、やっと子どもを授かった夫婦が、嬉しそうにインタビューに答えている。 「絢さん?」 そう呼ぶと、彼女は僕を見た。どう見ても、泣いていたようだった。 よりによって昨日の今日だから、あのことしかない。 「また変なこと、考えてるでしょう。  僕に子どもを抱かせてあげられないとか、僕にはもっと、他の人の方がいいんじゃないか、とか…」 そう言うと、彼女の目から涙がにじんできた。 「千紘くん、子ども好きなのに…」そう言って、袖を顔に当てる。 前の妊娠が分かったとき、僕が、子どもが生まれてくるのをとても楽しみにしてたことを、彼女は知ってる。 自分の心と身体が傷んだことの方が大事なのに、必要以上に心を痛めてしまうんだ。 僕はこの際だと思って、強行手段に出ることにした。 床に座っていた彼女を強引に抱き上げて、ソファに乗せると、そのままの勢いで押し倒した。 「きゃっ」 普段はしない強引さに、絢さんはいつにもなく戸惑った声を上げる。 両腕を押さえ込み、上になって彼女の顔を見る。 そして、その唇を塞ぐ。 何度も唇を食んで、いつもより濃厚なキスをする。 一度顔を離して、何をするのかと驚いたような顔の彼女に、僕は自分のパジャマのボタンを外しながら 「僕にどのくらいあなたが必要な存在なのか、思い知らせてあげる」 そういうと、もう一度唇を塞ぎ、そのまま首筋の方へ滑らせる。 いかにもそのまま進めそうな勢いで、彼女の着ているセーターの下から手を入れた。 「…ごめん、ごめんね。分かったから、もう言わないから許して」 僕の肩を押すようにして、絢さんは言った。 「本当に分かった?」 動きを止めて身体を離すと、目線を合わせて聞く。 彼女は声に出さずに、うん、と頷いて見せた。 僕はソファに座り直すと、彼女の身体を起こして自分の膝の上に座らせた。 彼女の両腕を僕の首に回させる。 「子どもを持たないってことは、この先、ずっとふたりで生きていくってことでしょ?」 絢さんは僕の目を見て、黙っている。 「だから、僕はあなたの気持ちが離れていかないように、いつも大事にして、甘やかして、僕じゃないとだめだと思わせないといけない。  あなたがそうやって迷うってことは、僕はその役を果たせてないってことでしょ?  だからもう迷わないで。僕を手放すことなんか考えないで。分かった?」 そう聞くと、彼女はまだ黙っている。 「返事は?」 聞いても答えがないから、 「やっと結婚してもらったのに、僕があなたから離れられると思う?  あなたが思うより、僕があなたのことを好きだってことが、何で分からないの?」 念押しすると、小さな声が「分かった」と返ってきた。 「ごめんね」 「もう『ごめんね』は、なしだよ。  絢さんは僕の妻で、姉さんで、妹で、恋人で、大事な人だから。  絢さんは僕を、夫で、弟で、時には兄さんで、たった一人の大事な恋人にしてくれないと」 彼女はそんな僕を見つめていて、その後、頬にチュッとキスをしてくれた。 「私はそんなに価値のある人間かしら?」 「妻の価値を上げるのは、夫の仕事だ」 「そうなんだ。じゃあ、夫の価値を上げるのも妻の仕事ね」 そう言って、彼女はやっと微笑んだ。 ふたり微笑み合って、いつものように軽いキスをした。 こっちの方が、僕たちらしい。 「お腹すいた。なんか食べさせて」 そう言うと、一瞬彼女は目を丸くして、心からの笑顔を見せてくれた。
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