下心

3/4
前へ
/39ページ
次へ
3回目、これで一連のセミナーは終わり、今年度の女性向け研修はひと区切りとなる。 アンケートを届けるのも、今回が最後だ。 「こんにちは、永井です」 いつものようにドアを開けると、「はぁい、どうぞ」と、返事だけが返ってきた。 奥の壁際にテーブルをつけ、その上に椅子を置いて、その上に彼女が立っている。 「あ、どうも。すみません、ちょっと待って」 「どうしたんですか?」 近寄って行くと、彼女は振り返って言った。 「ヒーターとレンジを一緒に使ったら、ブレーカーが落ちちゃって」 ブレーカーの蓋を開けようとしている。 「僕、やりましょうか?」 「いえ、大丈夫です。目が悪いから、テーブルだけだとなんて書いてあるのか分からなくて」 紐が数本あるから、それのどれを引けばいいのか、ということらしい。 「これね」 そう言うと、紐を引く。室内に電気が点いて、電話やコピー機の点く音がする。 ブレーカーの蓋を閉めようと背をそらした時、バランスを崩した。 「きゃっ」 慌てて椅子の脚を押さえる。彼女は椅子の背になんとか掴まっていて、落ちずには済んだ。 落ちてきたら、受け止めていたけど。 「すみません。変なとこ見られちゃった」 そう言って、椅子から降りてくるストッキングの脚が目についた。 「今度から、困ったら呼んで下さい。飛んで来ます」 そうおどけて言うと、彼女はふふふ、と笑った。 「本当にそうしてもらえたら嬉しいんだけど」おチビだから本当に困るのよ、と独り言のように言う。 「いつもの席にどうぞ。コーヒー淹れるね」 僕は席へと移動しながら、彼女に話しかける。 「今回の座談会、参加者にはとても良かったようです。  向井さんにいろいろ引き出してもらって、自分の中にあった思い込みに気づいた、という人もいました」 「それは良かった。働くとか仕事について、正面から考える機会って社会人にはあまりないからね。  大学のキャリアセンターまでじゃないですか?  でも社会人と学生は大きく違うから、働き始めてやっといろんなことが分かる」 僕の前にコーヒーを置いて、いつものようにアンケートを見る。 今回は参加者が少ないので、すぐに読み終わったようだ。 「さて、一連の研修は、これで区切りね。  永井さんには本当にお世話になって。ありがとうございました」 そう言って、頭を下げられる。 「こちらこそ。来年度も同じようにやりたい、と上司は言ってます」 「これをご縁に、違う分野でもお仕事いただけるとありがたいわ」 そういって、彼女も自分のカップに口を付けた。 「あの」 なあに、と言うように僕を見る彼女に、思い切って言ってみる。 「仕事がなくても、たまにここに寄ってもいいですか?」
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1081人が本棚に入れています
本棚に追加