1人が本棚に入れています
本棚に追加
銀の肩当と胸当てを装備し、外套を羽織る。その背中に大振りの大剣という彼にとっては普段着を身に着け、モンドと一緒に噴水前の広場へと足を運んでいた。
噴水前に行くまでに周囲は少し明るさを増してきているが、霧が街を包み込んでおり視界が悪くなっていた。
街中を歩き慣れていなければ、直ぐにでも迷子になりかねないほど濃密な霧。何とかして噴水前に到着すると、そこには誰もいなかった。
「あり? 誰もいやせんね もしかして遅すぎましたか」
「…………まて、何か聞こえるぞ」
ヴェルトは神経をとがらせる。
視界不良の霧の中からガタガタと音を立てながら前から何かが二人に迫っていた。
それが何なのか分からぬヴェルトはモンドを自分の後ろに下げて大剣を構える。
ガタガタという音は次第に大きくなり、やがてうっすらと影が現れる。
大剣を握る手に力が籠る。その影は霧の中から姿を現す。
白い馬が二頭。その後ろには幌のついた大きな荷車を引いており、そこには黒いローブを羽織った男が二人座って手綱を引いていた。
「あ! あの人物でさぁ! あっしに依頼を持ち掛けた人物は!」
ヴェルトの背後からモンドが声を出す。
その出で立ちはあからさまに怪しく、ヴェルトは剣を収める事無く、構えたままその二人に対峙する。
馬車は二人の前で止まると、乗っていた黒いローブの男二人が降りてくる。
「依頼を頼んだ者だ。受けてくれるのか?」
依頼を頼む、と言っておきながら何処か頭ごなしの姿勢にヴェルトは違和感を覚えるが、モンドがヴェルトの背中から飛び出すと、ゴマを擦るように手を擦り合わせこびへつらいながら出てくる。
依頼人の機嫌を損ねないようにする対応だ。こういう仕事はヴェルトは不得意で、全てモンドに任せていた。
「今日は依頼ありがとうございやす! 一度、内容の確認をさせていただいても?」
「先程言った通り、馬車の荷物を運んでもらいたい。山脈を超えた隣街の「ギム」のギルドにだ。この馬車に乗せてある荷物を決して覗くことはするなよ?」
「それは勿論でさ。ハイランダーは信用と信頼があってこそ。それで……報酬の方は本当に?」
「30万オーラル。不服か?」
「め、滅相もありません! それだけのお値段を頂けるのなら必ずやり遂げさせていただきます! して、受け取りの方法は?」
「隣町にあるギルドに、この書状を見せろ。依頼が完遂されれば払われるはずだ」
ローブの男が袖の中からくるまれた一枚の羊皮紙を手に取り、モンドに手渡す。それを一度モンドは拝見する。内容を確認するよう目がやがて最後に記された落款に行きつくと。
「……げ、マルディオ侯爵」
小声でモンドが愚痴を零す。
それがヴェルトには聞こえたが、その名前が何なのかは理解できなかった。
二人はローブの男たちから馬車を預かり、モンドが手綱を握る。そして、ヴェルトは荷車に乗せてある荷物を確認した。
そこには木製の長方形で出来た大きな箱。しっかりとした作りではあるが、不思議な事に、鍵が見当たらない。覗こうと思えば、覗ける状態であった。
だが、ハイランダーの鉄則は荷物や依頼人にはできるだけ関与しない事。それが守れなければ安心して荷物を預けることなどできないからだ。
多少、気になったものの、荷物がある事を確認した後、モンドの横に並んで座る。
モンドはローブの男達に一礼し、馬を走らせる。
ガタゴトと揺られながら街の入口へと向かい、外へと出る。
ようやく朝を迎えようとした頃で、遠方から白く眩い光が二人の目に飛び込む。
完全に街から出たのを確認したヴェルトは、モンドに話しかける。
「なぁ、モンド。さっき、マルディオ侯爵と言っていたが何だ?」
「え? 旦那はマルディオ侯爵をご存じない?」
「侯爵とか伯爵とか嫌いでな。なにかあるのか?」
「何かあるのか? じゃないでさぁ……マルディオ侯爵と言うのはとんでもない屑な奴で有名でありやす」
「俺からしたらどいつも同じように思うが」
「とんでもねぇですぜ、旦那。マルディオ侯爵は大の女好きで、自分はすでに結婚してる身のくせに、気に入った女がいると、何かと理由をつけて引き入れて、行為を迫ったり、断れば暴力をふるうっていうので有名です。ですが、侯爵の身分を盾にやりたい放題。この金額で無ければあっしも断りたいぐらいでさぁ」
モンドの語る言葉には不満と怒りが滲み出ていた。
余程マルディオ侯爵というのは嫌われている男だという事はヴェルトも一瞬で理解できた。
★
二人を乗せた馬車は順調にギムの街へと進んでいた。
但し、山脈を超えなければならない為、隘路を慎重に進まなければならない。
道には当然のように大粒の石が転がっており、馬車の進行を遅くさせていた。
山脈を登り、そして下りに差し掛かるまで丸一日を有し、既に昼へと差し掛かる途中になっていた。そして、後少しという所で事件が起こってしまう。
道に転がっていた大きな石に車輪が当たり、バランスを大きく崩してしまう。暴れる馬を制止し、モンドは馬車から降りて当たった車輪を見る。
「あー! 旦那、少し車輪が外れかけてます。ちょっと整備するんで待っててくだせぇ」
「手伝わなくて大丈夫か?」
「この程度なら大丈夫でさぁ。ゆっくりしててくだせぇ」
その言葉にヴェルトは甘える事にする。
「そういえば……」
先程の大きな振動によって荷物が無事かどうか、ヴェルトは確認することに。
荷台の方を見ると、大きな振動を受けて蓋がズレかかっていた。
取れてはマズイと、ヴェルトは荷物に近寄り、その蓋を閉めようとした時。
中身が少しだけ見えてしまう。
その中には赤い花が敷き詰められており、白い棒のようなものが見えた。
不可抗力であった。
ただ、ヴェルトはその白い棒を見て、鼓動が一瞬跳ね上がった。
勘、だろうか。
普段ならば他人の荷物など気にしないヴェルト。これも蓋を閉めてみなかった事にすればいいだけの話。
だが、それを彼は躊躇った。
蓋に手をかけ、あろうことか、ハイランダーとしての禁忌を犯してしまう。他人の荷物、依頼人には一切関与しない。その禁忌を破る。
木製の蓋を更にズラし、中を覗いた。
そこには首から上が無くなった女性の体があった。身に纏う白いドレスは血に染まり、獣に襲われたかのように所々引き裂かれていた。
物言わぬ女性の骸。それが誰なのか、顔が無い以上分からないものであった。
それが誰なのか、誰にも分からない筈だった。
ヴェルトは震える手で女性の手を取ると、その指には緑色に輝く宝石の指輪があった。
ゆっくりと、その指輪を女性の指から抜き取ると、それを手にしてヴェルトは太陽が照りつける外へと出た。
その指輪を、ヴェルトは太陽の光にかざす。
太陽の光を透過した宝石の中に文字が浮かび上がる。
――愛してる、ミリア。
その短い文字が浮かびあがった。
ヴェルトは無言であった。ただ、その体は小刻みに震え、握った手は力を込め続けた結果、血が滲みだし始めていた。
再びヴェルトは馬車へと戻ると、無言でその蓋をゆっくりと閉めた。
タイミングを合わせたかのようにモンドが戻ってくる。
「旦那! 車輪の修理終わりやした! 旦那? どうかしましたか?」
無言で荷物の前に佇むヴェルトに、異変を感じたモンド。
そのただならぬ雰囲気を察せぬモンドではなかった。
だが、ヴェルトは。
「何でもない。さっさと荷物を届けよう」
何事も無かったように再び馬車を走らせる。
★
彼等は仕事をやり遂げた。
ギルドに持ち込み、書状を見せると、ローブの男が言った通り、報酬を用意してくれた。大きな皮袋に、大量の金貨が詰められており、二人はそれを均等に分け合った。
仕事を終えた二人は、まだ昼間だというのに酒場に上がり込んでいた。
当然、昼間から酒場などやってはいない。
だが、二人は酒場の亭主に金を渡すと、快く二人だけに酒を提供してくれる。
誰もいない酒場で、二人はひとつのテーブルに座る。
手には木製の酒杯を持ち、中にはエール酒がたっぷりと入っていた。
「では、旦那と一緒に仕事を無事やり遂げれた事を祝して……乾杯!」
二人は酒杯をぶつけ、酒をグイっと飲む。
仕事を終えた後、酒を一杯やるというのは彼等の恒例であった。
何時もなら仕事から解放された喜びから、鼻歌を歌うモンドであるが、今回に限っては何故かそれを行わない。それどころか、思い悩むような表情を見せていた。
その異変にヴェルトも気づいてはいたが、あえて聞かずにいた。
そして、突然。
「すいやせん! 旦那!」
テーブルに両手をつき、頭をこすりつけるモンド。その急な行動に面食らったような顔をするヴェルト。
「突然どうした?」
「あっしは……あっしは、今回の仕事でハイランダーの仕事をやめようと思っておりやす!」
急な事だった。
そんな話は彼の口から一度として聞いたことがなく、そんな素振りも見えなかった。ヴェルトからすれば晴天の霹靂のようなものであった。
「何故急に?」
「実は、あっしに好きな女が出来まして。そいつはあっしには不釣り合いなぐらいよくできた女でして。こんな見てくれが悪いあっしの事を好きだと、言ってくれたんでさぁ」
モンドと言う男は可哀想な男であった。
滑稽とも言えるその顔立ちのせいで人々から忌み嫌われ、挙句にはゴブリンと言われた事もある。
ゴブリンは醜い魔物であり、それはモンドにとって耐え難い苦痛であった。
顔の悪さで誰ともモンドは手を組めず、途方に暮れていた所をヴェルトが手を差し伸べたのだ。
「だから、柄にもなく、あっしはそいつを幸せにしてやりたいんです。ハイランダーの仕事は旦那も知っての通り、危険が伴うのが常。旦那にはあっしを拾っていただいた恩がありやす! けれど……こればかりは! どんな罵倒も受けるつもりでありやす! 申し訳ねぇですが、つぎからは違う相方をさがしてくだせえ! 本当に、本当にすいやせん旦那!」
その目には涙が浮かんでいた。
彼にとってヴェルトは感謝を幾ら尽くしても足りないぐらいの恩人であった。
義理堅い男である彼が、どれだけの葛藤を抱え、この場でヴェルトに提案をしたか。
残っていた酒をヴェルトは一気に飲み干し、テーブルに音を立てて置く。
大きな音に震えるモンド。どんな罵倒をされるか、心中穏やかではなかった。だが、次のヴェルトの言葉は意外なものだった。
「奇遇だな、モンド。俺も今日でこの仕事を最後にするつもりだったんだ」
「え? そ、それは本当に?」
「ああ、俺にも好きな女がいてな。この金は、全てその女に使うつもりだ」
「そうでやしたか……」
「唯一の気がかりは、モンド、お前だった。俺がいなくなればどうなるかと思っていたが……お前の方から言ってくれて助かったよ。肩の荷が下りた」
ヴェルトの顔は爽やかだった。
何時もどこか神経をとがらせており、強面だった表情は憑き物が落ちたように優しい表情があった。
「旦那、ありがとうございやす。しかし、旦那が惚れた女は幸せですね。ここまで気を使ってくれるなんて、旦那ぐらいでさぁ」
全てが上手くいったモンドは笑顔を見せる。何時ものように調子の良い事をペラペラと喋るモンドであったが、ヴェルトの目は細くなる。
「モンド、その女を大事にしろよ」
「わかってますぁ! 必ず幸せにします!」
「良い心掛けだ。じゃあな、モンド。二度と会う事もないだろう」
「そんな今生の別れみたいな事言わないでくだせぇ。また、こうして飲みかわしましょう。あっしで良ければ、何時でもお相手します」
「そうか、じゃあ何時かな」
たった一杯の酒を飲み終えたヴェルトはゆっくりと立ち上がる。これから、という時に席を立つヴェルトを見たモンドは慌てる。
「旦那? どうしました?」
「アーデルベルトでやり残したことがある。そいつを今から片付けに行ってくる」
「とんぼがえりですか? もう少しゆっくりしても……」
「一刻も早く終わらせたいんだ。それが終わったら、彼女に会いに行く。アイツ一人で寂しい思いをしているだろうからな」
「旦那も好きなんですね、その女性の事が」
「ああ。全てを捨てでもアイツと一緒なら悔いはない。俺にはミリアが全てだ」
「わかりやした、旦那、お元気で!」
酒場から出ていくヴェルトをモンドは見送る。
外に出たヴェルトは持っていた指輪を、自分の左手の薬指に填めた。
ずっしりと重い皮袋を背負う。それの使い道は既に決まっていた。
目に宿るのは憤怒の色。手にした資材を全て投げ捨て、望みを叶えるために彼は再び街へと戻っていった。
最初のコメントを投稿しよう!