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5
「東雲さん」
デスクに着き、PCの電源を入れたところで名前を呼ばれた。振り返った先には、先日大失態を演じた部下がかちかちに緊張した様子で立ち竦んでいた。
「西野さん? どうかしたか」
彼女から声をかけてくるなど、珍しいことがあるものだと小首を傾げる。社会人として大丈夫だろうかと思わず心配になるほどの人見知りだ。目を合わせることすら難しいというのだから相当だろう。
教育係として、接する機会が他の誰よりも多いはずの自分に対しても、初対面の頃と変わらない反応である。反面、こちらの感情の機微にいち早く察し、細やかな心配りをしてもくれる。しかしこちらから声をかけると、わたわたと慌てては顔を青くしたり赤くしたりするものだから、どう接したらいいものか、ここ最近の悩みの種だった。
「あ、あの、すみませんでした!」
ぶん、と音がする勢いで頭を下げられて思わず後ずさる。
「え?」
「先日は、私のせいで、と、とんだご迷惑を、」
「ああ」
やはり気にしていたらしい。
(まあそうだろうな)
遠い眼をしてしまった。言っては何だが、本当に随分と見事なこけっぷりだったのだ。即座にフォローに走れた自分に、今更ながら拍手を送りたい気分である――今にも泣きだしそうな彼女にはとても言えないが。
「まあ取り返しのつかないことになる前に収められたから大丈夫だ。次はないけどな」
「は、はい……」
項垂れる様子にどうしたものかと頭を悩ませる。自分としてはフォローしたつもりだったが、逆に落ち込ませてしまった。
(言い方がきつかったか……? いや、溜息交じりだったのが感じ悪かったかな)
どうもうまくいかない。再び溜息をこぼしそうになるのを慌ててこらえた。なんとか元気を出させなければと必死に考える。今日一日、落ち込み続けられても困る。
「……それに、ああいう時のための教育係であり上司なんだ。そこまで気に病む必要はない」
苦し紛れに繋いだ言葉で、何とかこれで勘弁してくれと内心で懇願する。そもそも自分に他人の、ましてや見るからに気の弱そうな女性へのフォローなんてできやしないのだ。もういっそ、この場から逃げ出したい。
項垂れたまま、前髪に隠された西野の表情は見えない。これ以上言葉を重ねるのも無粋な気がしてなんとなく押し黙ると、途端に周囲の喧騒が気になってくる。項垂れ、立ち尽くしているうら若い女性と、椅子に座ったままやはり動けずにいる自分の姿は、もはや周囲から見慣れたものとして認識されているらしい。誰も気にかけることはなく、たまに「またあの二人か」といったような視線が向けられる程度だ。居た堪れない。何が悲しくて朝からこんな説教している態にならねばならないのか。むしろこっちが泣きたい。やはり自分に教育係など無理だったのだ。誰でもいいから助けてくれと、胸中で情けない悲鳴を上げたとき、消え入りそうな声が「ありがとうございます」と呟いた。
「本当に、すみませんでした。もうあんな失敗はしません。……私の上司が東雲さんでよかったです」
そう言ってようやく顔を上げる。まだ落ち込んではいるものの、どうにか気を持ち直してくれたらしい。初めてはにかんだような笑顔を目にして、一瞬息を詰まらせた。
(こんな風に笑うのか)
もともと甘やかな造りの、美人といっても過言ではない顔立ちだ。そこに恥ずかし気な笑みを加えると、これはなかなか威力があった。
(いや、今はそうじゃないな。……とにかく落ち着いたみたいでよかった)
心底安心し、知らず顔が緩む。要領も悪ければ気持ちの切り替えも下手な部下だが、素直で努力家なのだ。懸命な姿は見ていて可愛くないわけがない。
「ああ。俺も、部下が西野さんでよかったよ」
笑いかけると、ぶわりと彼女の頬に朱がさした。色白だから余計にその反応は顕著だ。よくよく照れ屋でもあるらしい。ええとええと、と呟きながらうろうろと目が泳いでいた。今日は随分いろんな表情が見れるなあと内心で驚く。そういえば、きちんと言葉に出してこういったようなことを言うのは初めてかもしれない。普段からもっと褒める所は褒めるべきだったなと少しばかり反省する。赤面して動揺するほどに彼女は褒められ慣れていないのだ。
そんなことを考えながら、それにしても面白いくらいの動揺っぷりだなとまじまじと泳ぐ瞳を見ていると、不意に何かが頭を掠めた。
「あ、」
漏らした声に反応し、きょとんとこちらを見つめる部下の目は潤んだようになっている。その色をどこかで見かけた。柔らかな茶色。
「あの……?」
じいと瞳を見つめられ、混乱したようにかけられた声にはっとする。可哀想なくらいに赤くなった部下に慌てて弁解した。
「あ、いや、悪い。不躾だった。その、西野さん、目の色が茶色いんだなと思って」
どこかで見たような気がしたのだ。そしてその色に救われたような。
(何だったか)
思い出せない。
「あ、ああ、ええと、昔から、色素が薄くて、その、それで、名前も、目の色からとって、」
「名前?」
「わた、わたしの名前、中国語では色の名前にもなってて、ちょうどこんな色なんです」
「確か西野さんの名前って」
「めのうです」
「へえ、色名になってるんだな」
西野めのう。初めて聞いたときは随分しゃれた名前だな程度にしか思わなかったのだが。めのうと言えば宝石だか鉱石の一種だったはずだ。ぐるぐると不思議な縞模様の石をぼんやりと思い浮かべる。あいにく、宝石やら鉱石やらにそこまで興味は持っていないので、持っている知識と言えばその程度だ。ただ、石の名前の彼女の目はとても、
「……綺麗な色だな」
「え、」
(ん、石……鉱石……?)
ちらりとなにかを思い出しそうになる。なにか、夢を見たような。何だったろうと考え始めてしまったので、目の前の部下が今にも爆発するのではないかというくらいに真っ赤になっていたこと、自分が思ったことをそのまま口にしてしまっていたことに気付いたのは、それからずいぶん経ってからだった。
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