サエコさん

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サエコさん

 まず最初に、俺が今居候させて貰っている叔母の「サエコさん」について話そうと思う。  サエコさんは、早くに亡くなった俺の母の妹にあたる人だ。いつもどこかフワフワしていた母とは正反対の姉御肌で、とにかく声が大きい。その娘のイトも母に負けじと声を張るから、サエコさんちは毎日とても賑やかだ。俺は二階の南部屋を間借りしているけれど、静かにさえしていれば一階の会話は大体ダダ漏れだったりする。  そんな賑やかなサエコ家に、やや毛色の違う俺が加わることになったのは、そう。母の死がきっかけだった。  母が死んでまもなく俺達姉弟は、人間が息をするただそれだけでこれ程に払わなければならない金があるという現実を突きつけられた。  父親は物心ついた時からすでに家にはいなかったし、社会人として自立したばかりの姉の月給では、医療費のかさむ無職の俺を養うことは難しかった。  とはいえ、母の生前の医療費はその殆どを祖父が肩代わりしてくれていて、これ以上祖父に負担をかけることも(はばか)られた。  母を亡くした事実を嘆く暇もなく、何もわからないまま葬式の準備だけが進んで、俺達姉弟は忍び寄る最悪の事態に、成す術もなく呑みこまれようとしていた。  そんな中で母の本葬を終えて、式後呆然としたままの俺達の前にサエコさんはさっそうと現れた。その時、大きな何かをを決意した表情でロビーから歩いてきたサエコさんの顔は、今でも鮮明に思い出す事ができる。  本葬後、ホールから出て来た姉と、口をずっと一文字に閉じたままの俺に、カツカツとヒールを響かせて近づくなり、両肩をバンバンと叩いて彼女は云った。 「大丈夫よ!」  それからサエコさんは姉と俺の腕を掴んで子供のように泣いた。その時、何故か俺もようやく泣く事を許されたような気がして、張り詰めていた糸が切れたみたいに声を上げて泣いたのだった。  サエコさんにとってひとまわりほど歳の離れていた俺の母は、たいそう自慢の姉だったそうだ。俺達姉弟もまた、いつも朗らかで唄うように生きていた母が大好きだった。俺達とサエコさんの間には、同じ神様を愛した信者の様な不思議な繋がりが生まれていたのかもしれない。    その後、サエコさんは俺を預かる事を提案してくれた。姉の青白かった頬にようやくうっすらと血が通うのがわかった。サエコさんとおじさんに姉は何度も頭を下げながら東京へ帰っていった。  それから俺は、母と暮らしたアパートを慌ただしくひきはらい、晴れてサエコ家の居候となったわけだ。  それからの賑やかで楽しく、時にしんみりする日常の物語はまた、今度。
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