Scene.1

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Scene.1

 買い物を終えて車に戻ると、助手席に見知らぬ女の子が座っていた。  ローリング・ストーンズのロゴがプリントされたTシャツの上にデニムのジャケットをひっかけ、チノパンに包まれた細い足を組み、マセラティの革張りのシートにぴったりと納まっている。その一角だけ切り抜いてアルバムの表紙にしてもいいくらいにサマになっていた。その気になればもっと子細に彼女の様子を観察することもできたが、僕はそれ以上しなかった。ひとつにという事実を放置しておくべきではないためで、もうひとつは馬鹿みたいに買い込んだ食料品を指がちぎれる前に車に放り込みたいためだった。  僕はドアを開けて女の子に声をかけた。 「ねえ」  しかし返事はない。女の子は身じろぎひとつせずフロントガラスを睨んでいる。いいかげん指が限界を迎えそうなので、僕は後部座席に食料品を放り込むと運転席に乗り込んだ。そして改めて女の子に声をかけた。 「ねえ、君は乗る車を間違えてるよ」 「いいえ、間違ってないわ」  女の子は答えた。かすれ気味で変声期の少年のようにも聞こえる。 「だって僕は君のことを知らないよ」 「そりゃそうよ。わたしもあなたを知らないもの」 「ならやっぱり間違ってるじゃないか」 「この車はロックされてなかった。だからわたしはこの車に乗ったのよ」 「ちっとも論理的じゃないよ」 「論理的かどうかなんて関係ない。わたしはこの車に乗るべくして乗ったのよ」  確認に満ちた口調だった。そしてポケットからマルボロのソフトパックを引っ張り出した。パックの底を指で弾き、器用に一本だけ抜き出して口にくわえる。マッチに灯した火で穂先をあぶると、静かに煙を吐いた。無駄のない動作だった。 「もしかして禁煙だった?」 「それは火を点ける前に聞くべきことだよ」 「で、どうなの?」 「構わないけどさ。それを喫い終わったら降りてくれないか?」 「なぜ?」 「わからないのかい?」 「わからないわ。これを喫い終わったら行かなきゃならないの」 「どこへ?」 「世界の果てまで」  やれやれ。僕は溜め息をついた。いくら天気がいいからって浮かれすぎだろう。 「浮かれてなんかいない。わたしは大まじめよ」  大まじめよ、ともう一度言って、女の子は僕の目を覗き込んだ。切れ長で、トゲがあるが眩しい瞳だった。僕がチョークと汗の匂いのする校舎に置き忘れてきた瞳だった。僕は目を逸らそうとしたが、身体がいうことを聞かなかった。ピンで留められたみたいに、僕の目は彼女の目に固定された。そして何となく、女の子の語る論理にも筋はあると思った。。ああ、そういうこともあるのだ、と。 「分かったよ。付き合おう」僕はキーを回した。エンジンが品のある唸りを上げる。 「もう一度聞くけど、どこまで行けばいい?」 「世界の果てまで」 「世界の果てはハイオク60リッターで辿り着ける場所なのかい?」 「ええ、もちろん」  女の子は言い切った。 「それなら行こう」  ぼくはシフトを入れ替えると、アクセルを踏み込んだ。
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