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窓の外を見たら、地面が濡れていた。
「梅雨は今朝で終わったみたいよ。これから晴れるんですって」
「ふーん」
母さんは部屋干しの洗濯物を眺めている。僕は肘をついて、リビングを流れるニュースを見ていた。
『――今朝、〇〇区でひき逃げ事件が起きま した。犯人は未だ逃走中で……』
テレビには近所の公園が映っていた。
「母さん、今日は家から出ない方が良いかも」
「え? この後買い物に行こうと思ってたん だけど⋯⋯」
「僕が行くよ」
陽気なバラエティにチャンネルを変えた。母さんの好きな俳優が声をあげて笑っている。
「今日もかっこいいわね〜」
「買い物行ってくるね」
「あらら、ありがとう、ミズキ。じゃあ、買い物のメモを渡しておくわね」
買い物のメモを受け取り、ポケットに入れる。
リュックに財布とスマホが入っているのを確認し、リビングのドアに手をかけたところで、母さんがゆっくり歩いてくる。右足の筋肉が弱く、歩く姿勢が少しふらふらしている様子は、やはり見ていてハラハラする。
「あ、そういえば……メモには書いてないけど、あれが欲しいわ。あれ⋯⋯」
うーん、と腕を組んで悩み始める。母さんが言い出すのを待った。まあ実際は、母さんが何を言いたいのか最初から知っていたが。悩み始めて20秒後、
僕は口を開いた。
「チャッカマン?」
「そう! 実はオイルが切れててね〜〜! 良く分かったわね」
「うん」
このやり取りは20回目だ。
「じゃあね」
「行ってらっしゃい!」
僕は家を出て、腕時計を見た。時間は16時24分。昨日と全く同じ時間。そして時計を見たその瞬間、脳裏に1の数字が浮かんだ。
今日で20日目。同じ休日をずっと繰り返している。
ある日、ニュース番組やSNSを見て、昨日が繰り返されていることに気づいた。そのことについて友人や街行く人に伝えたが、相手にされなかった。そしてその日、母さんが車に轢かれてしまったことを知った。それから毎日同じ日が続くので、いろいろ試していた。少なくとも、買い物というイベントは自分が参加して、出発時間、行くまでの道、歩行速度、買うもの、レジの支払い方法、店を出る時間——。このすべてを守った頃に、母さんが僕に忘れ物を届けに来る。その時落ち合って、一緒に帰る。これを繰り返せば、母さんは死なずに済む。
僕は毎日濡れた地面を踏みしめて、同じことを繰り返した。
時計を見る度に、数字が脳裏に浮かんでくる。最初は20で、一日ごとに減っていた。今日は1だ。今日、誰も死なせずに一日を終えることが出来たら、きっと、この日々から……。
スーパーについたらまず野菜コーナーに行 った。トマトとじゃがいも、ほうれん草。ここまで3分。そして次はチャッカマン。ここに2分。この辺りで――。
「ミズキ!」
笑顔の眩しい快活な少年が声をかけてくる。親友のハルだ。
「ハル。何してるんだ」
「父さんの買い物に付き合ってんの。お前は?」
「母さんの代わりに買い物」
「え? おばさん、風邪でも引いたの?」
「いや⋯⋯ひき逃げ事件が怖くて」
「ひき逃げ? えっ?」
毎度毎度説明するのが面倒だが、もし何かが変わっても困る。1つひとつ丁寧に話した。 そして、説明が終わったのは、昨日と同じ時間。完璧。
「めっちゃこわ〜〜⋯気を付けないとな」
「そうだね」
遠くからハルを呼ぶ声がする。ハルは顔を少し青ざめさせながら、元気のない声で応えた。そして俺に振り向く。
「教えてくれてありがとう。今、ナミが友達と外で遊んでるんだ。すぐ帰らせなきゃ」
その言葉は、昨日と寸分違わない。ハルは父親のもとへ走り出した。現在時刻16時45分。昨日と同じ。 僕は昨日と同じレジの前にならんだ。父親と話を終えたハルが外へ向かう。
同じ日々の繰り返しの中で、死んでいったのは母さんだけじゃない。ハルの妹のナミちゃんも、そうだった。
買い物の時間を間違えなければ母さんは助かったが、ナミちゃんが死んでしまった。彼女を殺さないためにしなきゃいけないことはなんだろうと試していたら、意外と簡単に見つかった。店の中で、ハルに電話をかけることだ。話す内容は何でもよくて、20秒くらい意識を向けさせればいい。会計が終わって、荷物を詰め終えた後、大体16時48~50分以内に。
今までは、この二つを同時にこなしたことは無かった。電話をしたら買い物の時間が遅くなったりして、結局上手くいかなかった。でも今日は行ける。今日は行ける。
レジが進む。一歩踏み出す。
「エコバッグはお持ちですか?」
「はい……あ、すみません、持ってないです。レジ袋ください」
店員とのやりとりも一期一句間違えず、現金で支払うことも伝えた。あとはレジが終わるのを待つだけ。完璧だった。
大丈夫、大丈夫、僕ならできる。父さんの絶望しきった姿も、ハルの涙声も、聞かなくていいんだ。早くしないと、慣れてしまいそうで怖い。大丈夫、僕ならできる。僕なら——。
財布を開いた。お札と小銭を渡して、小銭のお釣りをもらう。
失敗するな、失敗するな、小銭を落とすな、小銭を落とすな。
「お預かりします」
お釣りを落とすな、落とすな——。
「ありがとうございました」
16時48分。上手くいった、上手くいった!
さて、ハルに電話を掛けないといけない。ポケットからスマホをだして、ハルに電話をつないだ。大丈夫、上手くいってる。これなら——。
「ねえ」
声。
聞いたことのない、声。
明らかに、僕に。
「落としたよ」
子供が差し出している。何を?
母さんの字。買うもの。リスト。
「……」
頭がフリーズする。今まで、そんな簡単なミスしたことなかったのに。
メモを受け取る。電話は————切れている。何も話さなかったから、向こうが切った?
「待って……」
16時50分。
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