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「ミズキ!」
母さんが名前を呼んだ。見ると、前から母さんがゆったりと歩いてきてる。
「母さん。どうして外に出てるの?」
「マイバッグ、忘れてるでしょ?」
「やめてよ、僕はもう子供じゃないんだから」
「そう?」
母さんは僕を好きすぎる。親なんだから当たり前の部分もあるが、さすがに買い物を一緒に帰るのは高校生にもなってきつい。
「袋、持とうか?」
「いいよ」
歩きながら、ふと違和感が浮かぶ。
(あれ、僕……買い物の荷物、忘れたような……)
記憶を遡ろうとしたが、あまり覚えていなかった。メモに沿って買い物をして、時計を見て、レジに並んで、時計を見て、会計をして、時計を見て、電話をして、時計を見た。
(何でこんなに時計見てるんだろう……?)
「ミズキ?」
「何?」
「どうしたの? 何か考え事?」
「んー……いや、何でも——」
ない、という言葉は、甲高いブレーキの音でかき消された。
何かにぶつかるような音。悲鳴。さっき渡った横断歩道から。
「何……? 何なの?」
母さんは音のした方を見て、震えていた。僕も同じくそちらを向いていた。人混みがどんどん増えていく。
誰かが、車が横断歩道に突っ込んだと言っている。僕は母さんの腕を取って、そのままずんずんと家に向かった。
「母さん、帰ろう。こういうのはずっとここに居ちゃだめだ」
「そ、そうね……」
だけど、歩きながら、ふと脳内に景色が見えた。傷ついたフィルムから映し出される、亡霊みたいな映像が。
母さんが、鮮血を散らして倒れている。母さんだったものが、横断歩道に散らばっている。母さんと思しきものが、車のタイヤに血痕を——。
やけにほとんど色褪せていたけど、どこか具体的な映像に、胃の中のものが逆流を始めた。僕は思わず口を押えて、その場に座り込んだ。
「ミズキ、どうしたの? ミズキ!」
母さんがいる、母さんがいる。でも母さんの体が、横断歩道でバラバラになっている。鉄の匂いがする。僕は沸き上がる吐き気にこらえきれなくなって、地面がぐっと視界に近づいた。
「ミズキ!?」
ふと、知っている声が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
彼は——ハルは僕の隣に来て、恐らく僕の肩に手を置いた。ハルの近くに、小さな影が見える。ナミちゃん──ナミちゃん? 見えないけど、そんな気がする。
「おばさん、タクシーを呼んで。家で休んだほうが良い」
「え、ええ。分かったわ」
母さんがどこかに電話をしている。僕は顔を上げることもきつかった。そんな中で、ハルが僕の手に自分の手を重ねて、囁いた。
「その映像も、直に消える。……よく頑張ったな」
その言葉の意味は何か。
考えることができなかった。ただ、吐き気を紛らわすために、地面を見ていた。少しだけ乾いた地面に、黒い影が延びていた。
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