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「あのー、ちょっとよろしいですか?」
声をかけられて男は振り向く。そこには、自分より些か背が小さく、歳は40半ばくらいか、髭をたくわえた中年男性が鞄を手に立っていた。
「……なんでしょうか?」
「いやぁ、寒くなりましたねぇ」
男の頬に冷たい風があたる。
中年の男は開いたコートの前を、寒そうに両手で寄せると、ぶるっと震えた。
「そうだな……うん。寒くなった」
そう言うと、男も自らの両肘を抱くように身体を縮めた。
中年の男は徐にコートのポケットからメモとペンを取り出す。
「……記者か刑事か探偵か?」
「何がですか?」
「あんたがだよ。人に話を聞くときに、メモとペンを持つ者は記者か刑事か探偵くらいなものだ」
「ああ、なるほど。いえ、これは気になさらず。特にそういうことではありませんので」
そう言うと、中年の男はメモとペンを再びしまった。
「しまうのか?」
「ええ。必要ありませんので」
「じゃあ、なんで出したんだ」
「なぜ……何故でしょう?」
「なに?」
「私は何故メモとペンを出したのでしょう。もしかすると、あなたの言うように私は記者か刑事か探偵なのかもしれません」
「あんた何を言っている?」
男の質問には答えず、彼は代わりに鞄から掌サイズの何かを取り出した。
「どうぞ」
男は差し出されたものを受け取る。
「……チーズ?」
男は掌の上に置かれたそれをまじまじと見つめると、再び視線を上げた。
「このチーズがなんなんだ?俺にこれをくれるのか?」
「ええ、ええ。どうぞ。その、チーズ、を差し上げます」
そう言う彼の手には再びメモとペンがあった。
「またか。今度はなんだ。俺からこのチーズの味の感想でも聞きたいのか」
「いいえ。聞いてほしいのは、むしろ私の話なのです」
「あんたの話を、俺が」
「そうです。私はわからないのです。それをあなたに聞いていただきたいのです」
何故自分が。あんたは誰なのか。このチーズはなんなのだ。
聞きたいことはいくつもあったが、男はそれらを呑み込んだ。話を聞くことを承諾する言葉を言ったわけではないが、相手は無言を了承のサインと捉えたのか、そのまま話し始めた。
そして、男もそれを止めなかった。
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