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目的は地下からの脱出。僕達はひたすらに走る。
「ってことは、あれが伯爵様ってことか? 最近姿を見ねぇと思ったが、随分と変わっちまったもんだなぁ」
「それだけじゃありません。あくまで予想ですが、夫人も……ベルベット・ロシャウドも、あれと似た怪物だと思います」
手短にハンス警部に、狼人間について説明する。
彼は最初は驚いていたが、流石に実物を目の当たりにしては信じざるを得なかったのだろう。「そんなこともあるか」と納得したように見える。
「何にせよ、この一族をとっ捕まえて話を聞く必要がありそうだ。だが俺達だけじゃ、とても装備も人数も足りねぇ。一旦戻って応援を」
「あら、もうお帰りで? 」
警部の言葉を遮るように、静かな声が響き渡った。
地下から出た僕達の前に、赤い絨毯が敷かれた広間が現れる。窓の向こうには夜の青が広がり、欠けた月の柔らかな光が差し込む。
声がした方を向くと、そこは二階に続く階段の踊り場。純白のドレスに身を包んだ女性が、月明かりに照らされて美しく佇んでいる。
「どうもご夫人。先程、おたくの伯爵様に殺されかけたんですがね」
「それは失礼。先生がいらした際は、歓迎するように伝えましたのに」
先生がフランクに話しかけたが、瞳は既に金色に光っていた。その鋭い視線を正面から受け止めるように、ロシャウド夫人の……いや、ベルベットの真紅の瞳も、血のように輝きを放つ。
「はぁ。ロシャウド家の歓迎ってのは、伯爵が客を叩き潰すことなのかい」
「いえいえ。お客様がどのようなお方か、当主自ら会って判断したのです。そしてそれを聞いた私が、お客様に相応しいもてなしをするのですよ」
最早隠すつもりもなく、ベルベットは瓶から「月の光」を出した。
しなやかな指の動きと共に、一粒の錠剤が口の中へ滑り落ちていく。
「参ったなぁ。私は卑しい庶民でね。貴族のもてなしには慣れてないんだ」
「そうですか。では、お詫びと言ってはなんですが……」
瞬間、屋敷の空気が冷たくなる。
夫人の豊かな白髪は激しくうねり、獅子の鬣の如く逆立った。絹のような若々しい肌からは、混じり気のない純白の毛が伸びてふわりと広がる。更に細くて優雅な指先からは、血を吸ったかのような真紅の爪が伸び……最後に腰の辺りから、白銀の毛に覆われた尻尾が生えた。
「……私がお相手をしますわ」
眩い白毛に覆われた体、口から覗く牙、血のように赤い瞳。
真紅の爪を艶かしく舐めるその姿は、もはや伯爵夫人「ベルベット・ロシャウド」ではない。月光に照らされて立つ、一匹の美しい怪物だ。
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