第八章 三人の親

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その木田さんだけど、私のセンター試験の直前の大晦日、脳出血で倒れて救急車で運ばれた。 私は木田さんと木田のお婆ちゃんの意向で、センター試験が終わるまでそのことを知らなかった。幸い命に別条はなかったんだけど、しばらくは入院してたし、私がセンター試験の後にお見舞いに行った時は後遺症の影響で喋ることもできず、手足に麻痺が残ってた。 そんな姿になった実の父を目の当たりにして、私は急に自分がこれからすべきことに気がついた。 それまで“大学に合格できれば学部はどこでもいい”と思ってた私を介護の道に進ませたのは、木田さんの病気だったのは間違いない。 木田さんの力になりたいと、その時の私は自然とそう思っていた。 もちろんお父さんとお母さんは、両手をあげて賛成という訳じゃなかった。 とくにお母さんは思うところがあったと思う。 同じ帝産銀行の行員同士のお父さんと木田さん。一緒に働いた事はないけど、お母さんと知り合う前から、仕事上の繋がりがあって、お互い名前は知っている関係だったらしい。 そのお父さんにしても、木田さんは、自分の妻の元結婚相手なので、私が必要以上に親しくなることに対して快くは思ってなかったかもしれない。 でもお父さんは、私の実の父に対する私の思いも尊重してくれて、ニュートラルな立場を貫いてくれた。 一方、お母さんにとってはそう簡単に片付けられる問題じゃない。 お母さんにとっては、木田さんは自分と娘を裏切った元夫。 私が面会日に木田さんと会うことも、長い間快く思ってなかったくらいだから、木田さんの病気をきっかけに、私が介護系の大学に進学したいと言った時も、当然一悶着あった。 そりゃ面白くないよね。 一生懸命“教育ママ”として私のことを思って厳しく育ててきたのに、当の娘は母親の希望も聞かずに、別れた元ダンナの為に介護士を目指すなんて言い出すんだから。 でもまあ、その後いろいろあったけど、最終的にはお母さんも理解してくれて、私は介護系の大学に進学することができた。 それまでフラフラしていた私が、自分で真剣に考えて出した結論なら、反対はしないと言ってくれた。 とはいえ、お母さんも木田さんのことを許した訳じゃない。 あくまでも、理解を示したのは娘である私のため。それは今でも変わらないと思う。
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