未来へ

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未来へ

僕は,バイトを3つも掛け持ちして,お金を貯めた。必要な金額が貯まるのに,1年半ほどかかったが,それでも,最初予想していたより早かった。 貯金が目標額に達すると,僕は,特に何も準備せずに,るんるん気分で,切符を買いに駅へと向かった。タイムトラベルの切符は,電車や新幹線とは違い,片道切符の購入は禁止されていて,必ず,往復切符を購入しなければならないという決まりがある。その上に,切符購入だけでは,人が過去や未来からちゃんと戻ってくることを保証できないとして,購入時に誓約書への署名を求められる。 それでも,戻ってこない人もいるが,タイムトラベルは、まだ新しい技術のため,規範に背いた犯人を捕まえたり裁いたりする制度は,残念ながら,まだ確立されていないので,罰則もない。この事態が急務課題としてニュースで取り上げられ,解決に取り組む専門家がいたり,時間や宇宙を超えた取り締まり組織を作ろうという動きもあったりするが,そう言った組織を実現させるために不可欠となる膨大な情報の把握や整理をするのは,現段階では,まだ難しいのは正直なところである。 僕は,自分の生まれた時代には,大きな不満は特に抱いていないし,違う時代になったところで、自分は自分である以上,大して変わらないだろうと見切りをつけているので,ちゃんとルールに従い,用が済んだら,戻ってくるつもりで,切符を購入した。 ところが,切符購入時には,どの時代に行きたいのか,すなわち,自分の行き先をはっきりと申込書に年号を明記し,述べないといけない。行き先によって金額が異なるためである。そこで,困ったことに気がついた。 どの時代に行ったら僕の手元に届いた手紙が訳せるのか,当然,はっきりとわかる由がない。今が2200年だから,100年ぐらい先の未来なら,訳せるのかな…?いや,おそらく違う惑星から届いた手紙だから,100年先でも,まだ無理だろう…。しかし,遠い未来に行きすぎて,人類が進化していたり,地球が隕石と衝突し,生命が滅びていたりしたら,それもそれで困るから…念のため,少し余裕をもって,300年先の2500年にすることにした。 何時代にするのか,結論を出すのに,かなり長い時間がかかり、それまでテキパキと淀みなく進んでいた購入手続きがスムーズに進まなくなると,切符売り場のおばさんが僕に厳しい口調で言った。 「本当に大丈夫ですか?タイムトラベルは、遊びではありませんよ。お金も,一旦この申込書を出してしまえば,もう戻って来ませんし、もう少しじっくり考えてからになさいますか?」 タイムトラベルの料金に関して,どういう理由であろうと返金は認められないことは,ちゃんとわかっている。行く時代を間違えたら,ただごとでは済まないことも,知っている。だからこそ、無理して即答しようとせずに、慎重に、色々考えながら答えているんじゃないですか? おばさんというのは,どの若者も,自分の子供のように叱ることを得意とする生き物だが、叱られた側は、そのせいで,気分を害しかねないことも考慮して欲しい。そう思った。おばさんから見てはチャラチャラしていても,こっちは,真剣だし,きちんと大人として色々考えているつもりだから,出しゃばらないで欲しい。でも,もちろん,そう答えるわけには行かない。 「いいえ,もうじっくり考えましたし,2500年でお願いします。」 口を尖らせないように気をつけながら,僕が堂々と答えた。 希望の出発時刻を尋ねられ,「なるべく早い時刻で」とお願いしたら,1時間後に出発することが決まった。 出発まで1時間しかないので,アパートに戻る時間もないし,駅近くの喫茶店で食事を取ることにした。300年後の世界に行ったら,どんな食事が出るのか分からないから,しっかりと栄養を取り,力をつけておくことにした。力をつけたいときに食べる食事といったら,僕は,カツ丼が定番だから,カツ丼をご飯大盛りで頼んで,一口一口しっかりと噛んで,旨味を深く味わいながら食べた。 食べ終わると,すぐに,駅へ戻り,出発ホームのベンチに座った。時計をチラッと見たら,出発時刻まで,後20分を切っていた。駅のホームに停まったタイムマシンの座席や床を清掃員が丁寧に掃除する様子を見ていると,興奮を覚え,ワクワクして来た。 2500年は、どういう時代なのだろうか?果たして,僕の手紙を訳せる人が見つかるのだろうか?返事を書いて,手紙の送り主に届けられるのだろうか?早く出発したくて,たまらない気持ちだった。この瞬間のために,僕は1年半も,睡眠時間や自由時間を削って,どのバイトでも引き受け,汗を流して来た。 予定出発時刻の5分前になると,車掌さんがタイムマシンの中から出て来て,ドアを開け,登場オーライの合図をした。 車掌さんの合図を見ると,僕は,すぐに立ち上がり,真っ先にタイムマシンの前に移動した。一瞬だけタイムマシンの車体を眺め,感動してから、中へ入り,自分の席に座った。タイムマシンは、全席指定席である。自由席というものはない。どうしてかというと,それぞれの席が違う行き先に向かうからである。つまり,原始的なタイムマシンとは異なり,タイムマシンという単位で,特定の時代に旅するわけではなく、タイムトラベルが可能なタイムマシンという空間を借りて,それぞれの乗客がそれぞれの目指す行先へ瞬間移動のような科学的な技術で,運ばれるわけである。タイムマシン自体が動くことはない。タイムマシンは、終日ホームに停まったままである。 タイムマシンに乗るのは,生まれて初めてだった。童心に戻り,興奮を抑えられなかった。あと5分ほどしたら,自分は、時間や宇宙などの枠を越え,全く知らない時代に旅すると思うと,気が狂いそうなくらい興奮して来た。これまで生きて来て,色々あったが,このレベルの興奮を体験したことがない。 予定出発時刻になると,タイムマシン内の電気が消され,目の前に設置された画面に「まもなく2500年へ発車致します。」という文言が出たと思いきや,目の前が真っ暗になり,体が軽くなったような,雲のようにふんわりと,軽やかに空の中を浮かんでいるような感覚を覚えた。 気がついたら,もうタイムマシンの中ではなかった。
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