対面のない社会

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対面のない社会

ところが,どんなに歩いても,人気がほとんどない。これ以上歩いたら道がわからなくなりそうというところで,引き返し,狭いアパートへ戻った。 広い部屋に設置された画面をもう少し調べることにした。調べていくと,なんと,子供の申込書というものを見つけたから,開けてみた。 どうも,この世界では,子供を商品と同じように注文することになっているらしい。目の色や髪の色,鼻の形や目の形など,全ての特徴を自分の好みに合ったものを選び、申込書を出せば,希望通りの子供が人工的に作られるらしい。これを見ると,僕は,背筋がゾッとするのを感じた。何が怖いと感じているのか,特定できずに,怖いと思ったのである。 この申込書の意味することを考えると,また少し寂しくなった。子供を商品のように,自宅で注文できるようになっているということは、結婚の必要はないということだ。結婚の必要がないということは、交際など異性との交流の必要はないということだ。 そして,子供の特徴を全部自分の好みに合うように選択し,指定できるということは、子供は親の遺伝子を受け継がないということだ。まして,子供は、人工的に作られるから,親子は血は繋がっていないということになる。すなわち,親子でありながら,他人同士であるということだ。「〜ちゃんは,鼻がお父さん似だね。」や,「〜君は、お母さんに似て,目がくりくりしているね。」のような会話が出来ないということだ。 そして,子供を産む必要がないことも意味している。この時代の女性たちは、お腹に赤ちゃんがいる,お腹の中で新しい命が成長しているという喜びも,陣痛の苦しみも知らないのだ。男性は、同様に,自分の遺伝子を残すということも,自分の命が別の命と繋がっているという感覚も,知らないのだ。そもそも,男性と女性が一緒になって,交わり,新しい命を生み出すという発想はないだろう。その必要はないのだから。 画面をさらに調べていった。よく見ていると,買い物や仕事だけにとどまらず,学校,公的手続き,サービスの申し込みや支払いなども,全てこの画面一台で行えることがわかった。つまり,老若男女の全ての人が,生活の全てをこの画面で行うことが可能であるということだ。 お金を稼ぐためには,出勤する必要はない。学問を習うのに,学校に通う必要はない。物を買うのに,お店まで足を運ぶ必要はない。 何をするのにも,この部屋から一歩も出る必要はない。人と顔を合わせて,やりとりをする必要もない。僕の時代では,人はよく,「人間は一人では生きていけない」という言い回しを使う物だが,この時代では,その言葉は,まるで通用しない。この時代なら,この画面さえあれば,一人で生きていくことが十分可能なのだ。その発見が僕には,とてつもなく,寂しく感じた。 そして,一人で生きるというのは,どういう感覚なのだろうかと,想像しようとした。自分しかいない部屋で朝目を覚まし,画面で仕事をし,画面で食事の買い出しをし,食べてお腹を満たして、眠くなるまで一人で過ごす。こういう日々が永遠に続く。 「おはよう」と挨拶を交わす相手はいなく,いても,自分がオンラインカタログで注文した人工的に遺伝子改良され,作られた子供である。仕事は、同僚や上司と顔を合わせずに,全て画面で行うから,注意したり叱ったりする相手がいなければ,励ましたり意気投合したりする相手もいない。「はい,1050円のお返しです。」と笑顔でお釣りを返してもらう場面は,この時代の人たちの日常生活には、ない。仕事を終えても,「お疲れ様でした。」の労いの言葉をを言われることはない。 この時代の人間たちは、何を楽しみにし,なんのために生きているのだろう。僕には,到底想像出来なかった。 歴史を少し調べてみたところ,200年前に恐ろしい疫病が流行り,どの手を尽くしても、収まらずに,世界秩序が大きく揺らぎ,乱れ始めたらしい。収拾がつかなくなる前に,何とかしなきゃということで,疫病の流行を封じ込めるためには,人の接点を最小限に抑えるしかないと判断し、こういう無対面の生活様式に,50年以上かけて,少しずつ改革しながら,切り替えて行ったそうだ。 疫病という大危機を乗り越えるための一時的な凌ぎ対策のはずだったものが,すっかり定着してしまい,疫病が収まっても,生活が元に戻らなかった。というか,人は、新しい生活様式に慣れて,あえて戻そうとはしなかったようだ。 画面のサービス申し込みというタブを開き,しばらくいじっていると,翻訳が依頼できるページが見つかった。銀河系周辺で使われている言語なら,正確に,且つ瞬時に訳せるサービスページで,お金もかからないらしい。 「これだ!これで,僕の手紙の内容がようやくわかるんだ!」 さっきまで,物思いに耽り,しんみりしていた気持ちが吹っ飛び,胸がドキドキし出した。
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