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ロボット社会
翻訳サービスを依頼する前の注意事項を読んでいたら,突然めまいがした。
「画面の見過ぎかな?」
時計を見てみた。あれこれ調べていたら,早々と2時間経ってしまっていた。しかし,2時間は,そんなに長い時間ではない。学生の時,課題の締め切り前は,何日も続けて徹夜し,朝までパソコンの画面と睨めっこをしたことがある。それでも,めまいや立ちくらみなどの症状が出ることはなかった。
「カルチャーショックかな?」
でも,カルチャーショックで,めまいがするという話は,聞いたことがない。
とりあえず,横になってみることにした。
ようやく目を覚ました2日後には,症状が改善するどころか,めまいに,ひどい頭痛が加わり,惨めな気持ちになっていた。
僕の体は,どうも,どこか具合が悪いということで,病院に行くことにした。この時代のことだから,画面で,診察を受けるのが主流になっているだろうけれど,もう画面は見たくなかった。生身の人間に診てもらいたかった。一人でいいから,病院の先生でもいいから,この時代の人に出会って,2200年に戻りたかった。
また画面を操作し,病院の場所を確かめてから家を出た。オンライン診療が主流の時代とはいえ,手術や精密検査など,画面越しに行うのが難儀な処置は沢山あるためは,病院は,まだ完全にはオンライン化されていないようだった。
ところが,病院の玄関を入ると,目の前の光景にショックを受け,立ちすくんでしまった。受付も,看護も,診察も,手術などの処置も,全部ロボットが行っていた。病院は,ロボットだらけだった。病院にいる人間といったら,病室で治療を受ける患者と待合室で待つ利用者数人だけだった。
僕の時代でも,ロボットは,活躍している。しかし,ロボットが活躍する現場は,主に人間が行うのが危険だったり困難だったりする仕事に限る。例えば,火事現場や原子力発電所などである。人情の機微を弁え,患者の気持ちや心境を汲み取り,それらに寄り添うことが求められる看護や医療の現場でも,ロボットが活躍するなんて,僕の時代では,考えられないことだ。
待合室の椅子に座ってみると,またもや衝撃を受けた。周りの人間たちは,みんな部屋の向こう側の壁に設置してあるテレビ画面に釘付けになっていた。僕が玄関を入っても,隣に座っても,チラッとでも目をやったり,僕の存在を気に留めたりするものはいない。僕の時代なら,身の回りで,音がしたり,人の動きがあったりすると,見ようと考えるまでもなく,反射的に見て,何の音なのか,誰が動いているのか,確かめるのだが,この時代の人間たちには,その反射運動はないようだ。
おそらく,人生のほとんどを狭い空間の中で一人で過ごす者にとっては,環境と自分との関連性や繋がりが希薄になり,外の世界への関わりが,無関心を通り越し,存在しないのだろう。認識したり,知覚したりすることもないのだろう。
僕に振られた番号が画面に表示されると,真っ先に診察室へ向かった。
病室には,ロボットが待っていた。
ロボットは,僕の方を一度も振り向かずに,入力画面を見つめたまま,僕に話しかけた。話しかけたというより,ただ,言葉を発しただけなのだが…顔も,目も合わせず,僕の姿も見ずに,言葉をかけられても,話しかけられたとは感じ難かった。
「どうされましたか?」
ロボットと話したことがない僕は,すぐに,しどろもどろになった。
「あの目が…めまいがして…頭痛がして…。」
ロボットが僕の様子を全く見ずに,僕の言葉だけを聞き取り,テキパキと画面に入力していく。
「いつから?」
「2日前から。」
僕が答えた。
ロボットが無言で,ひたすら僕の言葉を入力していく。
言うかどうか迷ったが,言わないと正確に診断してもらうのは難しいと思ったので,勇気を振り絞り,言うことにした。
「あの…僕は過去から来た者です。」
ロボットは,僕の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか,驚きなどの反応は,一切見せないから,わからなかった。ロボットは,感情がないのだから,仕方のないことだが,手応えが感じにくく,物足りなかった。
「何年ですか?」
ロボットがようやく僕の言葉に反応した。
「え?」
僕には,頓珍漢な反応に聞こえた。
「何年の世界から来られたんですか?」
ロボットが機械的な口調で言い方を変えて,尋ね直した。
「あー,2200年です。」
僕が答えた。
「画面見ましたか?」
ロボットが入力画面を見つめたまま,質問して来た。
「はい。」
「現在使われている画面は,非常に強い明かりを放つもので,数百年前の世界では,画面技術の発達に合わせた目の遺伝子組み換えは実施していないので,肉眼で画面を見ると目を傷めてしまう。使用する場合は,眼鏡を使うべき。」
ロボットが画面を見つめたまま,どこまでも冷淡な口ぶりで説明した。
「そうですか…。」
僕には,そう答えるしかなかった。
「眼鏡をお持ちですか?なければ,処方しますが。」
「ありません。」
そう答えると,僕は,不思議な眼鏡を処方され,待合室へ帰された。
待合室の人間たちは、今も,目を一瞬も逸らせずに,テレビ画面を見続けていた。
僕は,処方された眼鏡を受付のロボットから受け取ると,急いで病院を後にした。
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