手紙

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手紙

僕は,病院から帰り,後1日休んだら、頭痛とめまいの症状はようやく治った。 気を取り直して、病院でもらった眼鏡をつけて,念願の手紙の翻訳をお願いしようと,いつもの画面を操作し始めた。 画面の指示通り,手紙を画面にかざすと,すぐに文字認識ソフトで読み取り,翻訳作業を始めた。かざしてから,和訳が画面に出るまで,まずかの30秒だったが,僕には,もっと長く感じた。 そして,待ちに待った手紙の和訳は,以下の通りだった。 「アゾスへ いかがお過ごしでしょうか? こちらは,ナオサが亡くなってから,オロオロしてばかりいます。 いつになったら,この酷い戦争が終わるのか,いつまで我慢したら,平和が勝ち取れるのか,平和を手にするのに,何人の犠牲者を出すことになるのか,こういうことばかり考えて,懊悩する毎日です。 平和というのは,いい夢だと思うんですが,現実的かどうか,疑問です。私には,幻想にしか思えません。そして,その実現できるかどうかさえわからない幻想のために,家族の命が奪われたと思うと,やるせない思いでいっぱいになります。 アゾスは,どうか,無事でお過ごしください。私も,気をつけます。早く終わりが来ますように。 アノハより」 画面に,機械が手紙を読み取りわかった文面以外の情報も表示された。例の手紙は500年ほど前に,アランサドナという銀河系の地球とは一番反対側にある惑星のヒヤジラヤ語という言葉で書かれたものらしい。 僕は,手紙の内容はともかく,手紙の書かれた時代に一番驚いた。500年前は,2000年のことを指す。つまり,自分の生きる時代よりも,古い時代に書かれている。地球なら,タイムトラベルなどがまだ人類の夢に過ぎず,小説や映画の設定に使われることはあったものの,その実現がまだ遠い先の願望の時代だ。 タイムトラベルは,まだ技術として開発されていなくて,他の惑星について把握している情報も,非常に限られていた時代に書かれたこの手紙は,一体,どういう手違いで,自分の元に届いたのだろう。僕には,奇跡に思えてならなかった。 アランサドナという惑星は,地球とは違う惑星だから,技術の発展も,地球のとは違う変遷を辿っていても,不思議ではない。しかし,まだ手紙を主な連絡手段として用いているのを考えると,地球の当時の技術より進んでいたとは,考えにくい。 なら,一体,どうやって…!? その答えは,おそらく送り主のアノハさんにもわからない謎なのだろう。 一つはっきりしたのは,手紙が自分の元に届いたのは,送り主の意図ではないということだった。手紙は,「アゾス」という送り主がよく知っていそうな,同じ惑星に住む人に宛てたもので,自分に宛てたものではない。アゾスに宛てて書いた手紙が,宇宙の力の何らかの手違いで,アゾスではなく,地球という惑星の違う時代の若い男性の元に届いたとアノハさんが聞いたら,驚くに違いない。この手紙が今自分の手元にあるのは,偶然,いや,奇跡だ。そう確信した。 しかし,手紙の内容が自分とは全く関係ないことがわかっても,返事を書いて送り主に届けたいという気持ちは,変わっていなかった。むしろ、一層強まっていた。 アノハさんは,酷い戦争で家族を亡くし、その理不尽さに苦しみつつ,平和を願いたくても,平和が実現可能だとも信じられない心境である。戦争を経験したことがなく,歴史の授業で取り上げられる事柄の一つとしてしかその概念もない自分でも,アノハさんの手紙には琴線に触れるところがある。 今タイムトラベルで来てしまったこの世界には,戦争の脅威は,もう存在しない。人との接点を無くし、病気との戦争に勝ち誇ったのは,人類の最後の戦争だったらしい。しかし,この時代に来てみて,しみじみと感じるのは,アノハさんの大事な家族の命が犠牲になったと同じように,この時代の人たちも,現在の家から一歩も出なくても何でもやりこなし,何でも手に入る便利で,平和な生活を手に入れるためには,何かを犠牲にしている。その犠牲にしたものは,紛れもなく,感情,あるいは人情というものだ。 病院で出会った人間たちには,表情はなかった。周りへの関心も微塵もく,自分が隣に座っても,自分の存在を気に留めてもいなかった。周りへ気を遣わなくても,生きていけるのは,ある意味,ストレスから解放されて,気が楽なのかもしれない。この時代の人は,人間関係故のストレスや悩みは一切ないのだろう。確かに,平和だ。しかし,その反面,孤独と無関心がはびこり、人間は,感情が欠落し,人間らしくなくなっている。この点も否めないと思った。 これでも,平和と言えるのか? そもそも,平和とは,何なのだろう? 戦争のない状態? 病院の待合室で出会った人たちとロボットの医師の様子を思い浮かべると,否定したくなる。これは,平和ではない。一応,自分が望むような平和ではない。 アノハさんがこの時代に来たら,どう感じるのだろう?自分の戦争状態に陥った世界とこの世界と,どちらを怖いと思うのだろう? 僕には,戦争という地獄を知らないから,これについて,何かを断言する立場にはいないけれど,病院で出会った人間たちより,違う惑星に住むアノハさんの方が,親近感と連帯感が湧き,仲間に思えた。 アノハさんが大事な家族を亡くし,悲しんでいる。癒しを求めている。戦争を知らない僕でも,アノハさんのこの気持ちは,想像できる。この時代の人間たちが何を感じ,何を考えて生きているのか,想像を絶するが,アランサドナのアノハさんの気持ちなら,推測できる。 未来の地球という惑星に住む若者から手紙が届いたら,アノハさんは,どんなに喜ぶのだろう!新しい第一歩を踏み出す勇気を与えるのかもしれない!そう考えると,ワクワクしてきた。胸がワクワクするのは,久しぶりの感覚だった。この時代に来てしまってから,ワクワクすることも,なくなっていた。 アノハさんには,手紙を届ける!そう,決心したのだ。
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