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どれくらいそうしていただろう。
声が枯れた私は地面にだらしなく座りながらベンチに両手をつき、肩で息をしていた。
その姿を、柳太はまんじりともせずに黙って見てくれていたらしい。
てっきり途中でうるさいとでも言ってくるだろうと思っていた私は、少し拍子抜けしたように滲んだ視界の向こうにいる柳太を見上げる。
「泣き止んだか」
ぶっきらぼうにそれだけ言ったあと、柳太は物音ひとつさせずベンチに腰かけた。
「悪かったな、傷をえぐること言っちまって。……そこまで大切な人だってことは分からなかった」
私は呆けたように首を振る。
なぜか少しだけ嬉しかった。
「謝らなくていいですよ。こんなに誰かの前で泣けるなんて、自分でも少し驚いてるから。……あと、黙って聞いてくれてありがとう。ちょっとだけ、幽霊って怖くないんだなって思いました」
力なく笑った私に、柳太が呆れたように声をかける。
「勘違いしないでくれ、俺は死んでない。それは俺の身体に触れてるあんたがよく分かってるはずだ」
私はなるほど、と納得する。
確かにあの身体には人の温もりと柔らかな鼓動があった。
掌につい一時間前の人肌の感覚が蘇った私を横目に、柳太は続ける。
「俺は死んでないだけさ。誰かの役に立つために生き返りたくないだけの、へそ曲がりの生霊ってやつだ」
柳太の言い放った言葉に少なからぬ苛立ちを覚えた私の語気が強くなる。
「生き返りたくない? え、あなたのせいで周りがどんだけ心配してると思ってんの?」
それに対し、私の言葉の熱とは正反対の、ふん、という冷めた鼻息が響く。
「生き返ったら、親父の遺産が転がり込むどこぞのクソ院長はさぞかし喜ぶだろうさ。家ん中に専用の部屋まで作って俺を生かしてるぐらいだからな」
あくまで冷静に、そして静かに吐き出されるその口調には、底知れぬ嫌悪感が混じっているのが手に取るように分かった。
そこから柳太は自分の過去を話しはじめた。
それによると父親がかなりの資産家だったらしいが、柳太が中学2年のときに亡くなった際、22歳まで息子の面倒を見てくれた人に遺産の半分を渡すという遺言を残していたらしい。
それを知った、金に汚い院長に養子になるよう勧められたが、柳太はそれを断固として拒否し、自ら施設に入って大学まで進んだそうだ。
そして今から3年前、22歳になる半年ほど前に柳太は事故に遭って意識不明となり、結局は設備を整えた院長の下に匿われることとなった。
それからどういう訳か1日に2時間ほど、決まって夜の9時過ぎに意識だけがむくりと目覚めるのだそうだ。
しかし生と死の中間にいる生霊という存在は、いわゆる幽霊も生身の人間も両方見ることができるが、互いの声が届かないために意思の疎通が取れないらしい。
そして柳太は自らの孤独と院長の喜ぶ顔とを天秤にかけ、院長が死ぬまでの長い時間を孤独と戦いながら過ごすことに決めた、とのことだった。
そこまで話し終えた柳太は空を見上げていたが、私の位置からではその表情を伺い知ることができなかった。
私だったら泣いてるな、そう思ったとき、ふいに柳太と視線が合った。
「誰かと話せるって、幸せなことだったんだな」
泣き疲れて静まり返った頭に、柳太の孤独が流れ込む。
「久しぶりに誰かに話を聞いてもらえた。ありがとう」
照れたようなその顔は美しく月明かりに照らされ、思わず目を逸らした私の視界に20デニール越しのパンツが映り込んだ。
慌ててスカートを直す私を見て、柳太の口角がわずかに上がる。
「いつ気づくかと思って放っといたんだけど、まさか今頃とはな」
そう言って笑う柳太に釣られて、私も恥ずかしさからくぐもった笑い声を漏らす。
それからすぐに、柳太が口を開いた。
「なあ、友達を失くしたばっかりのあんたにこんなこと言うのもあれだけど……俺と、その、なんだ、友達にならないか?」
柳太は頭を掻きながら、照れ臭そうに下を向いている。
その姿に先ほどまでのくそ生意気で高圧的な態度は微塵も感じられない。
そのあまりの変わりように呆気に取られていた私だったが、突然耐えがたいほどの可笑しさがこみ上げ、吹き出してしまった。
イケメンの幽霊に、いや、本人曰く生霊に、友達になって欲しいなんて言われたアラサー独身女など、世界中を探しても他にいるだろうか?
そう考えはじめると笑いは収まらず、私は柳太の横に座りなおしながらけたけたと夜空に向けて白い湯気を吐き出し続けた。
「何がそんなに可笑しいんだよ!」
そのふくれっ面をまじまじと眺めながら、私は自分がヒトではない存在と話していることなどすっかり忘れてしまっていることに気づく。
「私とおんなじだ」
柳太の半透明の目が、驚いたように見開かれる。
「私もずうっと孤独だったんだ。でも、強がって誰にも弱さを見せられなくてね……お互い、苦しかったよね。よく頑張ったね」
私は自分にも言い聞かせるようにして、柳太の目を真っ直ぐに見た。
柳太は半透明でもはっきりと分かるほどに大きな目を潤ませ、何か言いたそうにしている。
「うん、友達になろう。君とだったらいい友達になれそう。その身体じゃ変なこともされないだろうしね」
言い終わる前に柳太の顔が、ぱあっ、と明るくなり、それからすぐにそっぽを向いた。
「えっ? ああ、そりゃどうも。まあ、生身だったとしてもあんたに手を出すことはないから安心し……」
「ただし、条件がある」
言葉を遮った私に、柳太は身体をびくっ、と震わせてから振り返る。
「私のことを、あんた、って呼ばない。名前で呼ぶ。私の名前は花村心、さあやってみて」
面食らったような顔をした柳太は、少し悩んでから渋々といった感じで口を開く。
「分かったよ。あの……こ、心ちゃん」
花村さん、と呼ばれると思っていたが、私をそう呼んでくれたのは朋花だけだったということを思い出し、不覚にもきゅんとした私は思わず下を向く。
「うん、それでいいよ。これからよろしくね、柳太」
「え、何で俺は呼び捨て……」
「当たり前でしょ? 私の方が3つも年上なんだから」
口を尖らせて意思表示をする仕草はまだ子供だな、と思ったとき、ふと、さっき飲み込んだ疑問が鎌首をもたげた。
「ところでさ、何で柳太は私が部屋にいたことと、朋花が亡くなったことを知ってたの?」
その質問に柳太は、少し得意げになって答える。
「俺さ、生霊になってから幽霊でも人間でも、誰かが遺した強い感情を足あとの形として見ることができるんだ。さっき起きたとき部屋に青黒い足あとが残ってたから気になって、ここまで辿ってきた」
にわかには信じられないような話だったが、そもそも生霊と話をしている時点で異常なのだと思い直して私は続ける。
「じゃあ、朋花が亡くなったことはどうやって?」
柳太は少しだけ表情を曇らせてから話しはじめた。
「いい趣味じゃないけど、足あとに触れると、思いが流れ込んでくる」
その言葉に、ある可能性に行き当たった私の脳裏に電流が走った。
「足あとには色があって、喜びは黄、嫉妬は緑、悲しみは青、絶望は、黒。」
私は自分の足あとの色が青黒かったことに納得がいくと同時に、どうしても確かめておきたいことが口を突いた。
「ねえ、足あとに触れると思いが分かるって言ったよね、それが幽霊でも」
柳太は困惑したように頷く。
「じゃあ、直接触れたらもっと伝わるはずだよね?」
柳太は戸惑いながら、たぶん、とだけ口にする。
私は柳太の目を真っ直ぐ見据えた。
「私、朋花が最後、どんな気持ちで旅立ったのか知りたいの」
柳太は、ああ、と小さく声を上げる。
「そしてもし朋花がいたら、私に教えてほしい。私は……私はどうしても朋花に謝りたいの。お願い、協力して」
私の訴えに柳太は目を閉じ、考え込むように腕を組んだ。
柳太はしばらくそのまま動かなかったが、私に悲しそうな視線を投げかけながらゆっくりと口を開く。
「もしそれが心ちゃんの望んだ答えじゃなかったとしても、後悔しないか?」
私は両拳に力を入れる。
「大丈夫、私の声が届かなくても、独りよがりでもいい、覚悟を決める」
そう言って胸の前に上げた私の右拳に、実験、と言いながら柳太がそっと自分の手を伸ばす。
その手が触れた刹那、魂に直接触れられたような、まるで得体の知れない鈍い衝撃が私の全身を貫いた。
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