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 早く、桜が起きる前に、この虫を全部外に出さなくちゃ。あの子は顔に飛びかかられそうになってから巨大虫を(こわ)がるようになった。ハエ(たた)きの先端に何匹かが引っかかり、毛の生えた足を落としていく。舌打ちしつつそれをティッシュでつまんでゴミ箱に(ほう)りこむ。  良介(りょうすけ)は出張で視察に出ており、二週間は帰ってこない。メイドのファンさんに以前一度だけこの苦境を(うった)えたが、ああ春節(テト)が終わるとこの虫の季節なんだよ、これ北部では食べるんだよと言われてから相談するのをやめた。 ゴキブリ――Gより巨大な、Gに酷似しているこの虫を、どう料理して食べるんだろうか。まあ、なんとなくは想像がつく。おそらく炒めて大皿にそのままどーんと盛るんじゃないか。あくまで簡素に。そいつを普通におつまみみたいにつまんでかぶりつくのだ、みんなで。 三世代同居の大家族で、一日に使う経費はおよそ500円。それがこの国のスタンダードだ。そういえば以前に市場でカブトムシの幼虫みたいなのが炒められ、香ばしく山になっているのを見かけたことがある。 日本に一時帰国した時、友達の千夏にベトナムでは虫を食べるんだよと話すと、米国系金融機関に勤めている友は得意げに語った。 このままだと世界の増えすぎた人口を賄うだけの食料が足りなくなるのは目に見えている。だから虫を食べるのはむしろ最先端で。虫はタンパク質豊富で健康にもよくて云々。 いやその、理屈はわかる。わかるけれども。理屈じゃないんだよなぁ。芋虫やバッタみたいのが、普通に食べ物として並んでいるのを見た時の、内心の衝撃度合いって。 それにしても。なにかというとファンさんはすぐ、食べ物の話に論点をすりかえるんだよなー。 華菜(はな)はもう気がついている。英語とベトナム語の混ざった、よくわからない言葉を発する五十女の顔にまったく同情の色はなく、あるのはただ無知な外国人に知恵を(さず)けてやったという自信に()ちた笑みだけだ。  誰もわかってくれない。だから? 悲嘆する(ひま)なんてない。ここに来たのは自分の意志だ。私がなんとかするしかない――桜を守るのは私の役目なんだから。  急いで部屋を(ととの)え、長い長い廊下(ろうか)を移動し、だだっ広い台所へ行き、朝ご飯を作った。 目玉焼きとキュウリとトマトのサラダにマンゴーフルーツ盛り。それと白飯、味噌汁。台所脇にある洗濯場へ行き、洗濯機へ洗い物を放りこんで、料理を全部お盆に乗せてリビングへ。十人座れる立派(りっぱ)なダイニングテーブルを横目に、ため息をつく。部屋が広いのも考え物だ。しょうゆさし一つ忘れただけで、ずいぶん遠い台所までいちいち往復しなくちゃならない。
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