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prelude
猫みたいな男の子が降ってきた。
予想外の出来事に頭の中が真っ白になる。一体何がどうしてこうなったんだっけ。スローモーションで降り立つ彼に瞬きすらも奪われながら、そのジャンプと共に弾け飛んだ記憶の欠片を私は必死にかき集めた。
始まりは多分、放課後に喋りたがりの担任に捕まったことだ。
日誌を届けるだけのはずが、この学校には慣れたか、から始まる大して内容のない話を聞かされて気づけば一時間。こんなに遅くまで学校に残ったのは初めてだった。
誰もいなくなった昇降口で、大げさにため息をつきながらローファーに履き替えて、傾いた太陽が照らす黄金色の世界へ足を踏み入れて数歩。突然ピアノの音が耳に舞い込んだ。
どうしようもないほどに自由で美しい音色を聞いた瞬間、体中を心地良い衝撃が駆け抜けた。その楽器とはもう関わりたくなかったはずなのに、吸いよせられずにはいられない。
音に誘われ辿り着いたのは、半端に開かれた窓。そっと覗いて見えた背中は、予想外にも男の子。
こんなにも繊細な音が出せるなんて、どんな人なんだろう。先輩? 同級生? それとも後輩かな。彼が誰でどんな人なのか気にはなる。だけど今は、ただもっと彼の音を聞いていたい。そして私は息を潜め、窓の真下にあたるひんやりとした校舎にもたれて膝を抱えた。
瞼を閉じて耳を澄ます。アレンジが上手すぎて初めはわからなかったけれど、彼が弾いているのは長い一曲ではなく、複数の曲を切れ目なく繋げたものだと気付いた。
「……あ」
声が漏れてしまったのは、そのどんどん変わっていく音の中に私の好きな曲を見つけたから。丁度明日のカラオケに向けて練習していた曲でもあった。
テンポ90のミディアムバラードが、耳から心に沁み込む。この曲は、メロディーはもちろんだけど歌詞がまたいいのだ。心地良さに気が緩み、自然と歌詞が溢れ出す。ピアノに乗せて一番を気持ちよく歌い切ると、ふいに演奏が止んだ。
頭上の窓が勢いよく開いたのは、私が顔を上げたのと同時のことだった。
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