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第1話 隣の席の木村さん
ジリリリリッと大音量で鳴り響く目覚ましを止めに来た弟は大声で怒鳴った。
ばん、ばん、ばんっと五個以上はある目覚ましを弟はモグラたたきの要領で止めた。
もしくはワニワニパニック。
「有里、目覚ましを止めろっっ!その騒音、近所迷惑だろ!」
あー、うるさいよー。
その声の方が近所迷惑だってば。
あと五分でもいいから眠りたいっていうか、ギリギリまで眠らせて。
「また遅くまでネトゲかよ!不健康すぎだろ!」
「今日は休みたい。バージョンアップあるから」
「バカか!一流企業にせっかく就職できたんだから、行け!」
姉に向かってバカとはなんだ、バカとは。
私もまさか運試しで受けた会社に受かるとは思っていなかったけど、奇跡的に宮ノ入グループに就職できた。
「弟よ」
「なんだ」
「私の屍を越えていけ」
「起きろ」
弟はずるずると布団から引きずり出し、ごろんと床に転がした。
本当に容赦ない。
「ほら、朝メシできているから、ちゃんと食ってけ」
「うー。有給休暇とればよかったー」
「お前は世の中の真面目に働いている皆さんに今すぐ土下座するべきだ」
半熟目玉焼きとウィンナー、レタスが添えられて、味噌汁とご飯、味付き海苔が並んでいた。
弟の伊吹が作ったのだろうが、なかなかできた弟で家事は何でもできる。
前髪がちらちらと目にかかり、鬱陶しいのをのぞけば、顔もまあまあだし、モテるのではないだろうか。
「俺、午後からいないからな。レベリングとか、素材集めとか、絶対に頼むなよ」
伊吹は近くの大学に通う大学生だ。
「うん。圭吾兄ちゃんは?」
「納品に行ったぞ。親父と母ちゃんは店だろ」
うちは酒屋だ。
商店街の中にある小さな酒屋だけど、観光客相手にそこそこ儲かっている。
「有里っ!飲んだペットボトルは分別しろって言っただろっっ!それから、布団の上でポテチ食うな。シーツ洗うからな。弁当、包んであるから忘れんな!」
「はい、すみません」
―――本当にできた弟だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まあ、家ではぐうたらな姉ですが。
会社は違うわよ!?
ふっ。
見てよ。
ネトゲで鍛えた華麗なブラインドタッチ。
このスピードをもってすれば、会議資料なんぞチョロいもんよ!って自慢にならないか。
「有里せんぱーい」
「若菜ちゃん。どうしたの」
営業一課のアイドル的存在の後輩が私の元へやってきた。
若菜ちゃんは社内で一番可愛いと評判なだけあり、睫毛をバッチリあげて、マスカラをつけて、濡れたような目をパチパチさせていた。
ネイルまで完璧で、ピンクにきらきらのビジューをつけている。
それ邪魔じゃないの?
私は素早く打ち込めるように爪は短くして、薄くマニキュアを塗る程度。
余計なものを爪にはつけたくない。
集中力が落ちるから。
ふっ、一瞬の遅れがパーティの崩壊に繋がるからね。
これがプロの気づかいってもんよ。
心の中でドヤ顔をし、後輩の前では『素敵な先輩』の顔でキリリッとした表情を崩さないのはさすがに大声で『実は私、ネトゲやってまーす』なんて言えないからね。
一応、私もそこの分別はある。
グループ全体の入社式で出張した時、携帯ゲーム機のすれ違い機能が0人だったのは苦い思い出だ……。
みんな、ゲームしないんだ……ってなった悲しい歴史がある。
それ以来、私は会社でゲームが趣味だということは絶対に公言しないことを誓ったのだ。
「見てくださいよ。これ!」
「社内報ね」
いつも通りでなにも社内報さんにお変わりありませんが。
「社長、かっこよすぎじゃないですか」
写真嫌いな社長が珍しく載っていた。
「はあー。結婚しちゃうなんてざんねーん。社長の奥様って、有里先輩の隣の席だったんですよね」
「うん。すごく仕事のできる人だったわよ」
私の隣の席で働いていた沖重先輩が社長と結婚した。
シンデレラみたいな話で意地悪な継母に虐められていた先輩を社長が助けるっていう素敵なお話。
私はさしずめ、ハツカネズミ程度の活躍をした。たぶん。
先輩は眼鏡をやめ、素敵なスーツやアクセサリー、仄かに香る香水も上品でもともと美人だったけど、結婚してから、ますます綺麗になった。
先輩は社長秘書をしてスケジュールの管理や会議のサポート、最近は英会話まで習い、海外支店との連絡もやっているとか。
英会話は私もネトゲ内の意志疎通くらいなら雰囲気でやれるけど、さすがにリアルは無理だよねー。
美人な上に優秀とか。
ゲームヒロインみたい。
私はきっとモブ1とかなんだよ。わかってるよ。賑やかしなのは。
「社長秘書だったイケメンの八木沢さんは子会社になった沖重の社長になって会えないし、ざんねーん」
八木沢さん―――あの目つきが鋭いクールビューティーか。
綺麗なせいか威圧感半端ないんだよね。あの人。つまり超怖い。
「残念って。八木沢さんだって社長と同じで雲の上にいるような人じゃないの?」
「そんなことないですよー。わかりませんよ」
自信あるなあ。
私が高難度の敵に挑むのと同じ気持ちか。
仕方ないな。それは。
でも、八木沢さんはどうみてもラスボス級だからなー。
「木村さん」
噂をすれば、なんとやら。
課のみんながギョッとして仕事の手を止め、現れた人物を仰ぎ見た。
まあ、それもそのはず。
社長の奥様だからね。
「先輩、どうしました?」
「少し話があって。時間、大丈夫かしら?」
「あ、はい!大丈夫ですよ」
今日の仕事は終わっていて、急ぎのものはない。
「それじゃあ、申し訳ないけれど秘書室までお願いできる?」
「はい」
なんだろう。
席に戻り、バックアップをとってから、パソコンの電源を落とした。
見られてヤバイものはないけど。
念のため。
「ゆ、有里先輩!今の社長の奥様じゃないですか」
「うん。まあ、隣の席だったし、同じ会社だから話してもおかしくないでしょ」
「えー、そうですけど」
連絡先まで交換して、たまにランチに行く仲とは言わなかった。
めんどくさいし。
騒いでいた若菜ちゃんを置いて、課から出た。
エレベーターで最上階まであがる。
おー、見晴らし最高!
今からボス戦が始まりそう(始まらないけど)
今日のバージョンアップ、楽しみだなあ。
などと、のんきなことを考えていると最上階フロアに着いた。
しーんとしていて、人の気配がない。
えっ!?本当にボス戦くる?なんて、冗談はおいといて。
社長がいるとは思えないくらい静かだ。
秘書室をノックすると先輩がお茶の用意をしてくれていた。
紅茶のティーカップがマイセンとは。これいかに。
さすが、お金持ち。
「木村さん、わざわざ来てもらってありがとう」
「そんな、いいですよ。話ってなんですか?」
「宮ノ入の社長秘書だった八木沢直真さんが、子会社となった沖重グループに出向という形で、社長になったのは知っていると思うのだけど」
「そうですね。なかなかの手腕で業績も大分回復したとか」
「ええ。ただ仕事量が多くて、大変みたいなの。それで雑務をこなしてくれる秘書を探していて……その、詳しい理由はわからないけれど、秘書の子が何人も辞めてしまって」
「困りましたね」
「そうなの。できれば、木村さんに八木沢さんの秘書として、出向してもらえないかしら」
「えっ!?」
あの八木沢さんの秘書!?
「イケメン、さわやか、出世間違いなしのあんな人と仕事なんて!無理無理無理です。いくら、先輩の頼みとはいえ、無理ですって!」
「簡単な仕事なのよ。雑務をやる時間がもったいないらしくて」
「そ、それはわかりますよ」
「夫に誰かいないか、聞かれたけれど。頼めるのは木村さんしかいないし……。木村さんはしっかりしていて、明るくて、感じがいいし。八木沢さんの助けになると思っていたんだけど」
先輩は家庭の事情もあり、人付き合いから距離を置いていたため、友人がいないと聞いていた。
事情を知っているだけに断りにくい。
うー。仕方ない。
「簡単な仕事なんですよね」
「行ってくれるの!?」
「まあ、仕方ないです。先輩が困っていますから」
おだてに弱い自分だったけれど、先輩に頼られて嬉しかったのもある。
うっかり引き受けてしまったのだった。
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