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大学三年、春
大学三年のとき、わたしは卒論執筆のため、迷わずアジア思想論のゼミに入った。ゼミの担当は、今年度から准教授に採用されたばかりの若手の先生だった。若手と言っても三十五歳。研究者の世界ではこんな年齢でも出世頭らしい。
わたしの所属する国際文化学部の学生のほとんどは、国際ビジネス論や国際メディア論のような、見るからに華やかなゼミの方へ大量流入した。わたしが選んだアジア思想論は、さっぱり人気がない。
アジア思想論ゼミのガイダンスに出席したのは、わたしを除けば、男子生徒がふたりだけ。ふたりとも大学院への進学を希望しており、将来は研究者を目指すという。わたしが就職希望だと言うと、ふたりともあからさまにぎょっとした顔をした。それなら国際関係の方に行った方がいいんじゃない?今でもまだ間に合うかもしれないし、と親身にわたしの将来の心配までしてくれる。
卒論は自分の興味のあることで書きたいと思ってるんだ、とわたしは説明した。
大学に入学し、はじめて友達とタイに旅行に行った。バンコクの街角で、鮮やかなオレンジ色の袈裟をまとった、まだ小学生くらいに見える修行僧の集団を目にした。その子らの太陽のような明るい瞳を見て、彼らがどんな世界に生きているのか覗いてみたいと思った。
アジア思想論の先生は上座部仏教の専門家だと聞き、このゼミを選んだのだというと、ようやくふたりは納得した。
「雪歩さんって、真面目そうだし、勉強が好きそうだよね」
「髪も黒いし、雰囲気も落ち着いてるし」
「横文字のゼミを選ぶ人たちよりも、全然!」
「アジア、は横文字じゃないのかよ!」
たしかにそうだったと笑い合っていると、中を窺うように、静かに教室のドアが開いた。
「よかったぁ。三人もいた」
ほっとした声でそう言ったのは、ひょろりと長身の、生白い顔の男の人。学生っぽさが抜けきらない、よれた白のシャツに、ベージュのチノパンで現れたその人が、わたしたちのゼミの先生だった。
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