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4 ゾウでもできる、働き方改革
いろいろと、面倒な世の中になったもんだ。
毎朝毎朝・・、
しかし、やらねばならない。
トラ丸は検温器を握りしめ、おさがり動物の体温を計っていく。
この動物園で、新型コロナウイルスの陽性者を出すわけにはいかない。クラスターが発生してはいけないのだ。
万が一、感染動物を出してしまえば、
「やっぱりね」
そんな世間の声が聞こえてきそうだ。
3密を守らず、手すりやベンチも消毒せず、入り口にAI温度検知センサーもおかず、換気もしない。
“やってるポーズ”だけの、いい加減な動物園と思われる。
ほぼ、その通りだけれど・・。
陽性反応が出てしまうと、一定期間閉園し、園内をくまなく消毒。そして、すべての動物に対して、PCR検査が必要になってくる。
「そのほうが面倒だ」
収入がなくなる上に、
「痛い出費」
ため息しか出ない。
すでに、検温器や消毒液以外にも、仕切りのアクリル板、売店のレジにぶら下げるビニールシートも買った。当然、マスクの常備も必要になる。
おまけに、予防対策をしてますよ、とアピールするポスターをパソコンで制作。
「余計な作業が増えるじゃないかっ!」
ようやく、キーボードの“E”の配列を覚えたばかりなのに・・。
誰か気前よく、ポンと札束をくれないだろうか。
Go ToトラベルやGo Toイートがあるなら、Go To動物園もキャンペーンに加えてほしい。
世界を一変する、悪魔のような新型コロナウイルスを恨みつつ、
「はい、次」
所属アニマルの検温をしていく。
「ケンカ売ってんのか!」
トラ丸園長の血圧が急上昇。顔が真っ赤になる。
このとき、タヌキがトラ丸の額に検温器を当てると、
「あ、37.5℃もある。さてはコロナか?」
「やかましい。そのマスクのせいだろ!」
「これはアベノマスクですよ。全世帯に、2枚ずつ配ったにも関わらず、している人を見たことがない幻のマスク。260億円もかけたマスクなんです」
「・・ったく、そのカネで、ここを救ってくれっ!」
「あ、密です。密です」
タヌキがササッと後退し、ソーシャルディスタンスをとる。
「客の前で、そのマスクをするなよ。ブラック動物園だと思われる」
タヌキをひとにらみすると、
「はい、次」
やって来たゾウの検温を始める。
「ん・・?」
38℃だった。これは幻覚に違いない。
そう思って、もう一度計ってみると、やっぱり38℃もある。
「んん~」
低くうなったあと、
「見なかったことにしよう」
リセットボタンを押す。
「消毒液をいっぱい噴きかけておこう」
ゾウの全身に、鬼のように噴射。鼻の中も念入りに消毒する。
「あのぉ~、4日以上息苦しくて、だるいんですけど・・。味覚もおかしいんですけど・・。PCR検査を受けに行ったほうが・・」
遠慮がちにゾウが言うと、
「いや・・」
万が一、陽性だったとしたら、当然、世間に公表しなければならない。ヘタをすると、同じバックヤードの濃厚接触者も感染。
「となると・・」
園内消毒、悪いイメージ、客が来ない、収入減、エサ不足、リストラ、暴動、死人が出る、園長の解任、動物園の売却、売り手見つからず、永遠に閉園、廃墟まっしぐら、心霊スポット化。
芋づる式に悪い言葉が出てくる。
「それはまずい」
ゾウは、人気が中途半端な動物。
それでもいないと寂しいものだ。客はがっかりするだろう。ただでさえ、園内のさびれた雰囲気に、客の9割は、肩を膝まで落とすというのに・・。
「もって1年」
「いや半年」
エントランスから続く歩道を歩きながら、互いに余命の予想を始めるほどだ。
しかも、動物たちのおさがり感が否めない。島流しに遭ったかのような、いじけた雰囲気をかもし出している。
顧客第一主義の園長にとって、客のがっかりは、1つあってもいけないのだ。
いくらここが“おさがりの殿堂”であっても、表面上は動物たちのパラダイスにしておきたい。
お客さまにも夢の空間。
なんせ・・、
カネを落としてくれる弁財天のような神様。
38℃の熱があろうと、休ませるわけにはいかない。
パンダは白クマでカムフラージュできても、ゾウは大きすぎて代わりがいない。
「あのぉ~、人前がちょっと苦手なんですけど・・」
言いにくそうに、ゾウが口を動かした。
「は・・?」
「接客しなきゃいけないかと思うと、緊張して何もできないというか・・」
モジモジと、長い鼻の先で地面をなでる。
そういえば、愛想をふりまけと言っているのに、いつも頬がけいれんしている。大きな耳が、ロボットみたいにぎこちなく動いている。
「だから、おさがりになるんだ。人前に出てナンボの世界だろ? ここは・・。東京ふれあい動物園だぞ。アイドルみたいに、目は笑っていなくても、顔さえ笑っていればいいんだ」
「頭では理解してますけど、体が言うことを利かないというか・・」
「人を背中に乗せる。寝転んだ人間の間を、上手によけて歩く。鼻で筆を持って、シュールな絵を描く。ゾウの基本芸3点セットじゃないか!」
トラ丸園長のツバが飛ぶ。
「そのハードルが、高すぎるんですけど・・」
「まさか、プレッシャーのかかりすぎで、熱が出るとか?」
「はい」
「リモワはどうです?」
ゾウが提案する。
「リモワ? テレワじゃなくて・・?」
「いえ、リモワです。リモートワーク。人と接しなくてもいい」
バックヤードにパソコンを置き、表の展示スペースにモニターを置く。
「それをテレワークと言うんじゃないのか?」
トラ丸園長が聞き返すと、
「いえ、リモートワークです」
「いや、テレワークだろ」
「じゃあ、テレワークのテレって、何ですか?」
「照れくさいのテレだ」
「ああ~」
ゾウが大きく口を開ける。
「しかしなぁ・・」
トラ丸は、腕を組んで考え込む。
故郷であるアフリカ、おさがり前の石川からのテレワークならともかく、わずか数メートル先のバックヤードで、パソコンと向き合っていることになるのだ。
そんなことが、客にバレてはまずい。
生身の姿を見せてこその動物園。
画面越しなら、客はわざわざここまで来る必要がない。自宅で、スマホやパソコンを見ればいいのだから・・。
「んん~」
トラ丸が渋る。
とりあえず、ゾウのバックヤードに入ってみたものの、コンクリートむき出しの壁は、客に監獄を連想させるのではなかろうか。
劣悪な環境にいると思われる。
しかも、背後の壁とゾウが同化している。客にすれば、モニターから“ゾウを探せ”みたいなことになってしまうではないか。
「これは・・?」
トラ丸が、壁に貼ってあった写真をのぞき込む。
「兼六園です」
ことじ灯籠から写した、紅葉シーズンの1枚だった。
「金沢の動物園にいたもんで・・。できれば写真を引き伸ばして、壁全体に貼りたいんですよねぇ」
このひと言で、容積の少ない脳みそがひらめいた。
「よし、それでいこう!」
「は・・?」
「金沢もいいが、ここは思い切って、ワールドワイドにシフトしよう」
「・・?」
「ニューヨークのマンハッタン。いや、ハワイの海がいいか。ドイツの古城もいいな」
背景を定期的に変えれば、さも、世界各地からのテレワークに見えるではないか。
「ふふふっ・・」
天才かもしれない。
「よしっ、今週は万里の長城にしよう」
熱っぽいゾウのことより、モニターからの見栄えと、来客数のアップしか頭にないトラ丸であった。
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